静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2023年01月29日 | 天のマナ
 「イスラエルの神の祭壇を築いた」(エズラ記3章2節)。
 神の民であるイスラエルがバビロンから解放され、ユダの地エルサレムへ戻って来た時に最初にしたことは何だったのでしょうか。それはモーセの律法(神の言葉)に記されていた通りに、祭壇を築き神にささげ物をしたことでありました。つまり礼拝をささげたということです。これから神の民が約束の地で復興していくにあたり、神を中心に、神への礼拝を中心に国を民を建て上げていくという信仰をあらわしました。崩された城壁、焼かれた神殿、まだ住む家もないテント生活でありましたが、まず礼拝を主にささげ、今後も神中心に歩むというもっとも大事なスタートでした。神は、その民の信仰を喜び、困難の中でも復興を進ませ、再建させたのでした。
 私たちは、一年のスタート、一週間のスタート、一日のスタートを何から始めるでしょうか?「私の主なる神よ、あなたをほめたたえます。今日もあなたに仕えます。私にあなたの愛と恵みを注いでください。あなたのみ言葉によって活かし、あなたの愛によって隣人を愛し主の栄光を現させてください」と祈り、主を拝して始めてまいりましょう。主は、どんな状況においても、主を中心とする歩みを祝福し建て上げてくださるからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2023年01月22日 | 天のマナ
「健全な自我性と罪に染まった自我性(内住の罪、自己中心性)」

 孫の誕生を機に、孫の成長の中にみる神の偉大さ、孫を通しての地域の方々との新たな関係の構築など、主の恵みを経験しております。今現在は、イヤイヤ期(2歳前後)に入ってきており、自我の芽生えに驚かされます。今までは鏡を見ても「誰?」っていう感じでしたが、今は鏡を見て自分を認識し、鏡に映る自分の表情や動きを楽しんでいます。また、自分の名前を認識し自分のこととして、はっきりと言えるようになりました。食べる物も今までは出された物を無我夢中で食べて、着る物も、する事もなされるままでしたが、今は、自分の意志がはっきりとしていて、「好み」を主張し気に召さないと「イヤイヤ」と拒否します。ひとりの人間として自分という人格が形成されてきています。健全な自我性で嬉しい事です。しかし、その反面。自分の気に入らないこと(今はおむつ替え)をしてもらう中で、誰からも教えてもらっていないのに、おむつを替える人を叩くのです。このことを見ながら、人間は生まれながらにして、アダム以来引き継いでいる人間の罪に染まった自我性をもっていることを思います。健全な自我性を喜び育てつつ、罪に染まった自我性は主なる神によってきよめられていく必要があるのです。「キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(ローマ8:2)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2023年01月15日 | 生花
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2023年01月15日 | 天のマナ
 「神に霊を奮い起こされた人々は(心に感動された者は)」

 新年も早くも15日が経ちました。職場も学校も始まり、通常の生活のリズムが戻ったことでしょう。静岡教会でも伊東教会でも祈祷会が始まり、静岡教会の午前の祈祷会ではエレミヤ書を終え哀歌、エゼキエル書へと進んでいきます。伊東教会では列王紀を終えエズラ書へ入ってまいりました。
 エズラ書1章1節に、「主は、エレミヤの口を通して伝えられた主の言葉を成就させるために、ペルシャ王のキュロスの霊を奮い起こされた」とあります。70年間バビロンでの捕囚にあった神の民は、主の時が来て、主がペルシャ王クロスに働きかけました。彼は、神の民をバビロンから解放し、エルサレムに帰還させ主の神殿を建てるように命じたのです。主は、約束のみ言葉をなんと異邦人の王さえも用いて実現したのです。そして5節にも「ユダとベニヤミンの親族の頭、祭司やレビ人など、神に霊を奮い起こされた人々は皆、エルサレムにおられる主の神殿を立てるために帰還しようと立ち上がった」のでした。
 私たちはいかがでしょうか。主の言葉を読み、聴く時、ただ主の言葉を理解するだけで終わっていませんか?主のみ言葉にはいのちがあり、聞き信じる者の霊を奮い立たせるのです。口語訳では「心を感動させたので」「心を感動された者は」です。み言葉に感動してますか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2023年01月08日 | 天のマナ
 「この私をも愛し続けて下さって」
 年末に三か所をネットで繋げての感謝祈祷会をいたしました。一年の主の恵みを分かち合い、感謝の祈りをささげました。ひとりの隠退されている牧師が、以下のような内容でその思いを吐露し、聞く私たちも信仰をもって受け止め、主の愛と恵みをいただきました。
 この先生には、月に一度礼拝式にて、み言葉の御用をしていただいて、教会も励まされ、私も助けられていました。その中で、年齢も進み、痴呆も入って来られ、「言葉が思うように出ないこと」を時々話しておられました。またみ言葉の御用でも、「このようにたどたどしくてよろしいのか」と自問し、葛藤されてもおられま--した。その中で「自らの痴呆を受け止めていく」ということが、少しづつできたのは、主がこの私をも愛し続けて下さっているということを確認したことだったとのことです。先生は、「痴呆になっていく私を主は見離さず、痴呆になっていくこの私を『愛している』と言って下さっている」と主の愛に触れて言葉を詰まらせながら話されたのです。私はこの言葉を聞き、「アーメン」とその告白に合わせました。そうです主の愛は、あなたに対して変わりません。「あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪なるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。」(イザヤ46章4節)方なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする