静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2017年02月26日 | 天のマナ
 「告白し宣言する力」
 サタンの誘惑は明白です。真の神から離そうとすることです。その具体的な方法は、「現在や未来の出来事に不安を煽ったり」「この世のものに依存させたり」「神や隣人に不信を抱かせたりして」私たちの心を支配し、自らの配下に置こうとします。前にも紹介したDVD(祈りの力)で、主人公の女性は、サタンの攻撃に遭いサタンに心が支配されていることに気づき次のような内容を告白し宣言します。「サタンよ、お前は私の主人ではない。この家の主人でもない。私の主人は、この家の主人は主なるイエスである。イエスの御名によって命じる、サタンよ、この家から出ていけ、ここはお前のいる所ではない」と玄関から庭に向かって叫んだのです。
 先日、いろいろな事を考えて寝付けない夜がありました。不安が重苦しく覆いかぶさる感じでした。35年の信仰生活で4回目くらいでしょうか。「サタンよ、お前は私の主人ではない。私の主人は、主なるイエスである、イエスの御名によって命じる、サタンよ、出ていけ」と宣言しました。なんでもサタンによるものとしてはいけませんが、注意深く見極めて、必要な時には告白し宣言することによって主の力による解放と勝利をいただきましょう。
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天のマナ

2017年02月19日 | 天のマナ
「み言葉によって」
 ある聖書学者によると、聖書の中に「恐れ」「不安」などの言葉が365回も記されていて、それは、「人間がいかに恐れや不安をいだく者であるか」をあらわしているというのです。まさしく来る日も来る日も毎日、わたしたちは様々な事に、恐れや不安をおぼえるのではないでしょうか。わたしたちは、このことにどのように対処したらよいのでしょうか。ある方はすぐに行動しがむしゃらに、他の方は成るように成れとあきらめに、あなたはどうでしょうか?
わたしたちクリスチャン(キリストに属する者)は、主の前に出てみ言葉に聴き祈ることを知っています。聖霊なる神はみ言葉を通して、私達の内に宿り、恐れや不安を追い出します。それだけではなく、「平安」と「業を成す知恵や力」を与えて下さるのです。「恐れ」や「不安」に襲われたら、その場に少し歩みを止めて神の前に出て聖書を読み、み言葉をいただき祈りましょう。主は大いなることをあなたに成して下さいます。そして、その信仰体験をセル・グループで分かち合いましょう。「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたし(イエス・キリスト)はすでに世に勝っている」。(ヨハネ16:33)
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天のマナ

2017年02月12日 | 天のマナ
「見ないで信じる者は幸いである」 
 「ユダヤ人はしるしを請い・・」(第一コリント1:22)と聖書にあります。あなたが救い主ならしるし(奇跡)を見せろ、そうすれば信じるということです。これはユダヤ人に限らず、今の時代の人も同じ思いがあり、「見せてみろ、そしたら信じる」と言います。しかし、本当に見たら信じるのでしょうか?主イエスは、多くの人の前でたくさんの奇跡をしました。その一つを挙げると、イエスは中風の者を癒しました(マルコ2章)が、しかし、律法学者たちは信じませんでした。奇跡は見ましたが、自分の考えに沿わない救い主は信じませんでした。たとえ奇跡を見たとしても、自分の考えが第一であることに固執している間は神の救いは受けられません。自分の罪と過ちを認め、砕かれ、方向転換(神のお言葉に従う)しなければ、救われないのです。しるしを求め祈ることはいけないというのではありませんが、しるしを求める以上に、神の権威あるお言葉だけで十分ですと告白した百卒長のように、神のみ言葉を信じることが大切であります。主イエスの信じきれなかったトマスに、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」「あなたはわたしを見て信じたのか、見ないで信じる者は、さいわいです」(ヨハネ20:27,29)
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天のマナ

2017年02月05日 | 天のマナ
「見ないで信じる者は幸いである」 
 
 「ユダヤ人はしるしを請い・・」(第一コリント1:22)と聖書にあります。あなたが救い主ならしるし(奇跡)を見せろ、そうすれば信じるということです。これはユダヤ人に限らず、今の時代の人も同じ思いがあり、「見せてみろ、そしたら信じる」と言います。しかし、本当に見たら信じるのでしょうか?主イエスは、多くの人の前でたくさんの奇跡をしました。その一つを挙げると、イエスは中風の者を癒しました(マルコ2章)が、しかし、律法学者たちは信じませんでした。奇跡は見ましたが、自分の考えに沿わない救い主は信じませんでした。たとえ奇跡を見たとしても、自分の考えが第一であることに固執している間は神の救いは受けられません。自分の罪と過ちを認め、砕かれ、方向転換(神のお言葉に従う)しなければ、救われないのです。しるしを求め祈ることはいけないというのではありませんが、しるしを求める以上に、神のみ言葉を信じることが大切であります。主イエスの信じきれなかったトマスに、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」「あなたはわたしを見て信じたのか、見ないで信じる者は、さいわいです」(ヨハネ20:27,29)
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