静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2020年07月26日 | 天のマナ
「社会的使命を果たす」

  コロナ禍の中にある世界、第二波が来ていると言われているこの時、この中でも主の守りと支えにより、続けて主からの使命を平安の内に果たしていきたいと願います。

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。」
                                (詩篇91:4~5)

 このみ言葉は、ライフ・ラインの放送で開かれた語られた箇所です。私たちキリスト者は、主に遣わされ置かれている家庭、学校、職場、地域において、ただ、自らの生活の糧を得るためだけに労するのではありません。今こそそれぞれの働きを通して、社会的使命を果たし社会への貢献していく、主の翼に守られている者として恐れず労していきたいのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2020年07月19日 | 天のマナ
 「わたしにあるものをあげよう」

 正典である聖書66巻がまだない時代、神は神の御使い、預言者、夢や幻を通して語られました。旧約時代のヨセフを始め、新約時代のマリヤ、使徒ペテロやヨハネ、パウロにもそうでした。しかし、今、聖霊なる神は、正典である神の言葉(聖書)をもって語り示します。ですから、日常生活で示されたように感じても、それが思い込みなのかどうかを、聖書のみ言葉で識別し確認する必要があります。

 教会のカレンダーのみ言葉によって励まさました。7月号のみ言葉は、故姉が書かれたものでした。先人の信仰が、今もみ言葉を通してあらわされ、その信仰者を通して、聖霊は私に語って下さっていると、心篤くされました。故その兄姉が天に召され、もう半年かという思いとまだ半年かという思い、様々な思いがあります。このコロナ禍の中、二人だったらどんな聖書の言葉を、どんな信仰の言葉を語らているかなあと、思いを巡らします。私も「あの牧師は、よく〇〇のみ言葉を語っていたなあ」と言われるように、み言葉を残す者でありたいと願っています。

「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒行伝3章6節)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2020年07月05日 | 天のマナ
「赦しのちから」 
 以前に、「祈りのちから」という映画が上映され、DVDを教会でも購入いましたが、そのシリーズで第二弾「赦しのちから」が、一昨日から静岡東宝会館にて上映されています。「祈りのちから」と同じく、とても信仰的な映画であり、また伝道的な映画であります。妻の体調が良い今週、観に行こうと思います。皆さんも是非観に行って下さい。DVDにならないという話を聞きますが、DVDになったら教会で購入したいです。
 他の県ではすでに上映されていて、Migiwaさんや明ちゃん先生(ゴスペルのディレクター)もすでに観に行かれたようです。ファイスブックにあるMigiwaさんの感想の一部を以下に記させていただきます。「わたしにはどストライクの素晴らしい映画でした!それぞれに苦しみを抱えながら、神様の愛に出会うことにより人生が豊かに変えられていく、神様の愛と赦しの力の偉大さに、何度も何度も泣けました。興奮のラストも最高!わたしも自分のアイデンティティに苦しんだ時期が長かったのですが、イエス・キリストこそわたしのアイデンティティだと心に刻み始めたとき、確かに人生が変わっていきました。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする