静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2023年10月29日 | 天のマナ
 「中断することが愛」
 先週の木曜日にあるミッション・スクールで修養会が持たれ、講師と静岡市内の教会の牧師18名が招かれました。この者も講演を聞かせていただき、その後高校3年生のクラスを受け持ち、幸いな時を持たせていただきました。その講演の中でまず教えられたのが、タイトルにさせていただいた冒頭の「中断することが愛」という言葉です。
 講師が大学生の時、ある教授に大切な話をしたいと思っていましたが、その教授は大変忙しくなかなかその機会が得られないでいました。しかし、ある時ラウンジでパソコンに入力している教授を見つけ、小さい声で呼びました。これで気づかれないならあきらめようと思いながらも、この時を逃したら機会が得られないと思い声をかけたのです。教授は、体ごと振り向き、「〇〇君、何ですか?あなたのために時間をとる用意がありますよ」と仕事を中断し、向き合ってくれたのでした。首だけを向けるのではなく、全身を向けて受け止めてくれたことに教授の愛をおぼえたのでした。
 私たちは忙しさに追われていますが、この礼拝の時、私たちを愛し全身をもって向いてくださっている主に、主を愛する者として全身をもって向いてまいりましょう。
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講壇の花

2023年10月22日 | 生花
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天のマナ

2023年10月22日 | 天のマナ
「権力者ではなく愛する者であり、支配者ではなく仕える者であるイエスに倣う」
 前回に続き今回も、「イエスの御名で」(ヘンリ・ナーウェン著)より教えられていることを分かち合わせていただきます。、「誘惑―権力を求めることー」の項に次のような文章があります。「神を愛するより自分が神になるほうが、人々を愛するより人々を支配するほうが、生命を愛するより生命を所有するほうが、ずっとやさしいように思えるからです。」「サタンが、『あなたがたがそれを食べるその時、あながたの目が開け、あなたがたが神にようになり、善悪を知るようになる』(創世記3:5)と語りかけて以来、私たちはずっと、愛を権力に置き換えるように誘惑され続けてきました。」とあります。
 どの時代もそして現代も、人は権力を求め、また権力によって他国や他民族などを支配しようとしています。それは国だけでの話ではなく、社会(職場、学校、地域)、家庭(夫婦関係、親子関係)、そして教会の歴史にもみられるものです。誰しもが、どこまでも愛し仕えられた主イエスを忘れてしまっているのです。「クリスチャンの指導者がたどる道は、この世が多大な勢力を費やして求める上昇の道ではなく、十字架にたどりつく下降の道(喜びと神の平安に至る道)です」と彼は追記しています。
「ですから、神の力強い御手の下でへりくだりなさい」(ペトロの手紙一5章5節)。
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天のマナ

2023年10月15日 | 天のマナ
「ただひたすらな愛を」
「イエスの御名で」(ヘンリ・ナーウェン著)の本に、次の文章がありました。復活された主イエスがペテロに問うた言葉から、彼が記した文章です。
「『あなたは私を愛するか』と。どれだけの数の人があなたを重要な自分と見るか、という問いではありません。また、あなたがどれだけのことを成し遂げたか、どれだけの成果を示すことができるか、ということでもありません。あなたがイエスとの愛の関係にあるかだけが問われているのです」。「この孤独と絶望が支配する世界には、神の心を知る男性と女性が大いに求められています」「ただひたすらに愛を与え、愛を受けることだけを願う心です」。
「愛には恐れがありません。完全な愛は、恐れを締め出します。」「私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛して下さったからです。」(ヨハネの手紙一4章18、19節)。激動し憎しみが渦巻くこの世界に、キリストの愛を示すキリスト者でありたいのです。
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天のマナ

2023年10月08日 | 天のマナ
「愚か者は心の中で『神などいない』と」(詩篇14篇1節)
 今年の愛修会では、講師を招いて学び会をいたしました。一般啓示の自然と人間存在を通して、神がこの世界を造り、人を造られたことを確認いたしました。その中で、私の心に残ったひとつのみ言葉がありました。それは、「愚か者は心の中で言う『神などいない』と。彼らは堕落し、忌むべきことをした。善を行う者はいない。」(詩編14篇1節)です。
 この世の法律は変わっていきます。また神が与えて下さった良心も神から離れては罪によって麻痺していきます。絶対的な基準にはなりません。絶対的な基準は、変わらない神であり、神の言葉であります。この神に背を向けては、堕落しかありません。「愚か者」は、へブル語で「ナバル」です、それは知能的愚かさではなく、意図的に神に心を閉ざし、逆らう者、また「道徳的な愚者」(道徳のない人物)を指しています。彼らは神の存在の証拠の欠如を語り、神はいないと語りますが、実は、彼らが神を否定するのは、神のきよさの前に立つと自分の罪とその責任が明らかにされるのが嫌で、それを認めないで拒んでいるからであります。
 神は自らを啓示しております。「彼らには弁解の余地はありません」(ローマ1:20)。
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天のマナ

2023年10月01日 | 天のマナ
  「神が結ぶ合わせてくださった夫婦」
 教団の次世代プロジェクト委員会より、私たち夫妻に、新婚ナイトミーティングでの御用の依頼がありました。そして、一昨日の金曜日夜9時~10時半まで、6組のクリスチャン夫妻、3名の個人、5名のスタッフで20名が参加し行われました。まず私がマタイによる福音書19章4~6節から、「神が結び合わせた夫婦って面白い」と題して25分ほどのメッセージを取り次ぎ、その後4つのグループで分かち合いをしました。
 メッセージの第一ポイントの「夫婦の違い」では、「男女の性差、二人の性質の違いなど具体例を挙げ、そしてその違いは、夫も妻も自分の足りなさを認め、助け合うためであります」と語りました。第二ポイントの「夫婦は一体」では、「なんと違う人格の夫婦が神によって結び合わされ一体とされていること、個人の決断の背後に主なる神が出会いを与え、結婚へと導き、神が結び合わせてくださったのが夫婦である」と語りました。夫婦のお互いへの敬意はどこから来るのでしょうか?何かをしてくれているからでしょうか?いいえ、神が結び合わせてくださった相手だから、夫へ、妻への敬意を払うのです。
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