静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2023年02月26日 | 天のマナ
 「主の手が彼の上に置かれ」
 エズラ書6章にて、バビロンの捕囚から解放された神の民は、エルサレムに神殿を再建し完成し奉献式をいたしました。その後、神はエズラらを用いて、み言葉信仰を確立させるために律法を教えたのでした(7章)。主なる神は自らの手を伸ばして、三代にわたり異国(ペルシャ)の異教の王に働きかけ、再建築に必要な物資、財を満たし、また神の民にも主の手を置かれ、民を励まして、神殿を再建されたのでした。神殿再建は、人間の業ではできない、主なる神の不思議な業でありました。また建物だけではなく、エズラを用いて神の言葉(律法)による信仰(内なる神殿)も再建されたのでした。
 私たちの上にも主なる神の手が置かれています。自らの頑張りで成そうとするのではなく、主なる神に祈り、主なる神から力と知恵を頂き、主の御手の中で精一杯なさせていただきましょう。「私の神、主の手が私の上にあったので、私は力を得て」(エズラ7章25節)。
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天のマナ

2023年02月19日 | 天のマナ
 「大逆転をなされる神」
 バビロンの捕囚から解放された神の民は、預言者らによる励ましを受けて神殿の再建を再開しました。しかし、再建を良く思っていない総督タテナイらは、「誰の命令で再建しているのか」と問い、神の民が「ペルシャ王キュロスの命令でしている」と答えます。その事が本当かどうか、この時のペルシャ王ダレイオスに問い確かめたのでした(エズラ記5章)。ダレイオス王は家来に調べさせたところ、書庫に一つの巻物が見つかり、その命令が確認されました。そして王は総督に、「再建を邪魔せず再建のための経費を出し必要な物を支給せよ」と命じたのです(エズラ記6章)。まさしく、神による大逆転です。再建を邪魔しようとした者達が、支援することになったのです。神の民は神殿は再建を完了し、奉献式、過越祭を祝ったのでした。「ユダの長老たちは、預言者ハガイと、イドの子ザカリヤの預言によって順調に再建を続け、イスラエルの神の命令と、ペルシャの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって再建を終えた」(エズラ6章14節)。 あなたの信仰生涯に神はどんな大逆転をして下さいましたか?またこれからもしてくださるでしょうか?神への感謝と期待をもって信仰生活を歩んでまいりましょう。
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講壇の生花

2023年02月12日 | 生花
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天のマナ

2023年02月12日 | 天のマナ
  「信仰の歩みの完成する秘訣」         
 ペルシャ王クロスをのよってバビロン捕囚から解放された神の民は、彼の命令によりエルサレムに帰り神殿を再建し始めました。しかし、サマリヤ人によって妨害され、新しいペルシャ王に再建中止の告訴状が送られました。このように悪魔は、私たちの過去の失敗や罪をあれこれ調べあげて、それを根拠に私たちの信仰生活を妨害してきます。あんな失敗をしたお前が、聖なる生き方など出来るはずがない。お前は偽善者だと訴えてきます。あなたもそのような悪魔の告訴状で悩んでいないでしょうか。悪魔が訴えるたびに良心はうずき、意気消沈してしまうことはないでしょうか。この時のユダヤ人たちも過去の失敗を指摘され志気はさがり、再建へのあきらめムードに満たされて、神殿再建は一時中断してしまいました。そんな時、預言者ハガイとゼカリヤが起こされ、神の励ましのメッセージが伝えられました。工事を再開せよとの力強い御言によって、民は再びその霊を奮い起こされて工事を再開したのです。「この地のすべての民よ、強くあれー主の仰せ。働け、私はあなたがたと共にいる」(ハガイ書2章4節)。私たちもサタンの惑わす言葉に耳を傾けるのではなく、主の言葉に耳を傾け、神の赦しと神の励ましによって、天の御国への信仰の歩みの完成をしてまいりましょう。
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天のマナ

2023年02月05日 | 天のマナ
「教会に来始めると気づくこと~聖霊による三つ(神・罪・救い)の気づき~」                
教会に来始めて聖書の言葉を聞くと、聖霊によってまず三つのことに気づかされます。最初は、「神の存在(神がおられる)」です。その神とは「天地創造の神であり、全知全能であり、遍在な神であり、永遠の神であり、愛で聖で義なる方、唯一の神である方」です。次に気づくことは、「私(人)は、神のかたち(霊的存在、神との交わりをもつ関係)に造られた尊い存在であるが、神から離れ神に背き自己中心に歩み、神のかたちが壊れ罪の中にいて、このままでは神の祝福を受けられないばかりか、神の裁きを受ける者になっていること」です。そして三つ目には、「神が罪人である私を愛し続けておられ救って下さること」です。つまり、「神は、神の独り子(イエス・キリスト)をこの世界に送り、私の罪を十字架でイエスに負わせ、私が受けるべき神の裁きを身代わりに受けさせ、私の罪を赦し、神に立ち帰らせる救いを与えて下さったこと」です。この三つを気づかされ、神の前にへりくださり、素直に認め信じ受け入れる時、あなたは救いを受け、神と共に歩む新しい人生を歩み出すのです。「だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさしく新しいものが生じたのです。」(コリント二5章17節)。
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