静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

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2020年04月01日 | 教会案内

日本ホーリネス教団 静岡教会 Shizuoka Holiness Church “Grace Chapel”


 

 「人は心の中に、何によっても埋める事のできない空洞がある」とは、有名な科学者であり哲学者でもあった、パスカル(Blaise Pascal 1623-1662)の言葉です。

 この言葉は、現代に生きる私たちにも、何故かピッタリと当てはまるのではないでしょうか。物質的に豊かになり、ハイレベルの教育を受けても、人の心は満たされず、本当の平安が見いだせないのが、この世界です。

 こういう時代だからこそ、永遠に変わることのない神の言葉である聖書に耳を傾け、真の平安を見いだしていただきたいのです。

 教会とは、神を礼拝し、聖書を学び、賛美を歌い、共に祈り合うところです。お互いに助け合い、新しい交わりができる仲間がいるところです。どうぞ教会に加わって下さり、神を愛し、自分を愛し、他者を愛して生きる生活を共にしていきましょう。教会で中心となる集会は、毎週日曜日の礼拝です。まずは、こちらにお出かけ下さい。
 

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日本ホーリネス教団静岡教会 〒422-8043静岡県静岡市駿河区中田本町13-30 TEL:054-286-8323 FAX:054-286-8347 牧師:杉本 守・杉本敬子

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Shizuoka Grace Gospel Choir

2018年12月31日 | 教会案内


一緒にゴスペルを歌いませんか? ぜひおいで下さい。

無料体験あります!お気軽に来てください!
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グレース・キッズ始まったよ! 

2018年12月30日 | 教会案内


2017年5月から、グレース・キッズが始まりました。幼児~小学生のお友達、みんなで来てくださいね。

楽しいゲーム、賛美とダンス、聖書のお話、他に楽しいイベントたくさんです。クレープ作り、リッツパーティ、オリジナルカード作り、オリジナルバック作り、パフェ作りなど。

もちろん、クリスマス会、イースターエッグハント、おもちつき、キャンプもあります。

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天のマナ

2018年09月02日 | 天のマナ
「そこから神のみわざがあらわれる」  
 「土の器」という賛美があります。その一部の歌詞は、「土の器 欠けだらけの私 その欠けからあなた(神)の光がこぼれ輝く 土の器 ヒビだらけの私 そのヒビからあなたの愛が溢れ流れる・・・」です。私達は、「良き器になりたい、欠けのないヒビのない器になりたい」と願います。もちろん栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていくわけですが。しかし、仕上がった器だけを主は用いるのではなく、ロバの子のように、仕上がり途上にあるの器をもお用いになります。時には、私たちの欠けやヒビを通して、神の光と愛がこぼれ溢れるのです。あのパウロが、肉体のとげ(目が悪い?てんかん?迫害?などと言われている)を取り除いて(癒して、離れさせて)下さいと三度主に祈り願いました。そうしたらもっと宣教に励めると。しかし、神の応えは、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」(Ⅱコリント12:9)でした。癒されること解放されることは、もちろん神のみわざですが、癒され解放されることだけが神のみわざではなく、私達が負い続ける重荷の中でも神は、星野富弘さんやレーナマリアさんのように、神のみわざをあらわすことができ、あらわしておられるのです。賛美は、「・・・こんな私でさえも、主はそのままで愛してくださる・・・」と続きます。
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天のマナ

2018年08月26日 | 天のマナ
 「主のために」
 先週参加した牧師研修会では教会成長がテーマで、色々と学ぶ機会がありましたが、その中で「自己実現型クリスチャン」という言葉が強く心に突き刺さりました。これは、教会での奉仕や働きを自分の目的のために行うタイプのクリスチャンという意味です。しかし、このタイプのクリスチャンが教会成長を妨げるというのです。しかも、そのタイプは信徒だけではなく、牧師にもいるということでした。はた目には教会のためによく働く人と映り、賞賛を受けるかもしれません。ところが神様にとってはその働きが御心に沿っておらず、自分のために行うので、教会の成長には繋がらないのです。神様への奉仕が、気が付いたら自分のために行ってしまったり、また、そのような誘惑はあるものです。だからこそ教会の働き人は注意しなくてはなりません。神様にいつも祈り、お伺いを立てつつ、仕えていかなくてはならないのです。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」(コロサイ3:23)この御言葉をもう一度胸に刻み込み、神様のために仕えていけるように祈らされました。(修養生)
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天のマナ

2018年08月19日 | 天のマナ
「成長させてくださる神」           
 教区の子供のキャンプと教団のファミリーキャンプに奉仕者として参加いたしました。どちらも、子供との関わりを持たせてていただいき、恵みの時でした。小学生低学年の男の子たちは、とても元気がよく、自由時間には、休むこともしないではしゃぎ、走り回っていました。友達同士でけんかすることはありませんでしたが、兄弟姉妹となるとお互いに引かず、遠慮せずにぶつかり合っていました。幼稚園から中学生までは、競り合う年齢でもありますが、「手は人を叩くためにではなく、人を助けるために神様が下さっている」と何度も諭しました。その時、自分の小さい時のことなど忘れがちですが振り返りました。私もどんなに大きな寛容で、家族や教会や社会に包まれ、許され受け入れられて、育てられてきたのだろうと。そして、誰よりも私を、今までも、今も、これからも一番寛容で育ててくださっているのは、主なる神であるということを。「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である」(第一コリント3:6)。主なる神に共に育てられていきましょう。
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天のマナ

2018年08月12日 | 天のマナ
「神の言葉が人をとらえる」 
 修養生が、祈祷会にて牧師として召された献身の証しをして下さいました。その証しの中で、神からの二つのみ言葉が迫ってきて自らをとらえたと、告白していました。一つ目は、「もし、最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちはキリストにあずかるものとなるのである。」(ヘブル3:14)、二つ目は「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして立てた。(ヨハネ15:16)」でした。
 まさしく、神のみ言葉(聖書)には命があり力があり、人をとらえ、人を造り変え、人を満たし、新しくするのです。ただ聞いて、知的な理解だけで、「良い言葉だなあ」で終わっていては、まことに私たちを生かしません。今日も取り次がれる神の言葉に、幼な子のような純粋な心で受け入れ信じてまいりましょう。神のみわざがあなたの内になされ、神の豊かな恵みの世界を体験するからです。私の心の目を開いて下さい。主イエスを見るために。
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天のマナ

2018年08月05日 | 天のマナ
「神の言葉が人の心をとらえる」 

 修養生が、祈祷会にて牧師として召された献身の証しをして下さいました。その証しの中で、神からの二つのみ言葉が迫ってきて自らをとらえたと、告白していました。一つ目は、「もし、最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちはキリストにあずかるものとなるのである。」(ヘブル3:14)、二つ目は「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして立てた。(ヨハネ15:16)」でした。

 まさしく、神のみ言葉(聖書)には命があり力があり、人の心をとらえ、人を造り変え、人を満たし、新しくするのです。ただ聞いて、知的な理解だけで、「良い言葉だなあ」で終わっていては、まことに私たちを生かしません。今日も取り次がれる神の言葉に、幼な子のような純粋な心で受け入れ信じてまいりましょう。神のみわざがあなたの内になされ、神の豊かな恵みの世界を体験するからです。私の心の目を開いて下さい。主イエスを見るために。
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天のマナ

2018年07月29日 | 天のマナ
 「三倍祈りなさい」 (夏季聖会の恵み②)

 前回に引き続き夏季聖会の恵みをお分かち致します。

 「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。」(マタイ5:7)からも語られました。そこでは、「あわれみ深い人」とは「祈る人である」ということでした。また、続けられてこう語られました。「人を非難したくなったら、その人のために三倍祈りなさい」と。人のことはよくわかり、批評や非難をしやすい私たちです。しかし、自分のことは見ようとはせずわからないのです。主イエスは、「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」(マタイ7:3)と語っています。批評や非難することは一番簡単なことです。しかし、その人の為に三倍の時間をかけて祈ることは難しい事です。

 わたしたちクリスチャンは、祈り人として存在し歩ませていただきましょう。主イエスが父なる神の右の座にて、三倍どころか、ずっと私たちの為に祈ってくださっているのですか
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天のマナ

2018年07月22日 | 天のマナ
 「地の塩、世の光とされているクリスチャンとは」    

 西湖の湖畔に建てられたホテルで三日間、夏季聖会が開かれ、200名を超す会衆が、関東の教会から集まり、7回の主のみ言葉(聖書)のメッセージを聴き、主の豊かな恵みを受けました。

 中日の午前、東京聖書学院教会の齊藤善樹牧師が、マタイ5:1~16からメッセージを取り継いで下さいました。神によって地の塩、世の光とされているクリスチャンとは、3~12節のお取扱いを受けている者だという内容でした。自分の力で地の塩、世の光となるのではなく、一か所挙げると、「心の貧しい人たちはさいわいである。天国は彼らのものである」(3)とあるように、自分の心が飢え渇き、極貧であることに気が付いている人は、神を求め、神の恵みと愛との支配を受け満たされる。こういうふうにされている時、わたしたちは地の塩、世の光とされているとのことでした。塩は自らを隠しながら周りを引き立たせ腐敗を防止し、光は周りを照らし活かすのです。
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