静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2009年12月27日 | 天のマナ
 「今年一年を感謝して」 「主の山に備えあり」(創世記22章14節)

 2009年も本日の主日礼拝で、53回の礼拝となります。神の家族の皆様と共にささげられたこと、感謝であります。一年を振り返ってみますと、永井兄が洗礼を受けられ神の家族に加えられた事は、大変嬉しいことでありました。さらに洗礼を希望されている方々も与えられ、来年の神の恵みの計画を想うと心がはずみます。また今年は、海野二三四姉を神の国に送り出した年でもありました。寂しさは残りますが、神の国での再会を確信し、楽しみであります。

 教会堂の今年の返済も、一人一人の献身によるささげ物によってなすことができました。その一人一人の信仰による行為を、主なる神はどんなに喜んでおられ、祝福を持って一人一人に臨んでくださっているでしょうか。来年もみ言葉を信じる者達に、神は御業をなしてくださるに違いありません。

 この一年、主の山で神の家族と共に歩めたことが、何よりも幸いなことでした。

2009/12/27

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講壇の花

2009年12月27日 | 教会案内
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主日礼拝説教要約

2009年12月20日 | 説教要約
「救い主を喜ぶ」 ルカによる福音書2章8~20節

 クリスマスを喜んだ羊飼いから、主の御言葉に聴き入りましょう。

Ⅰ 救い主を求め見出した者達
 主イエスが降誕くださったベツレヘムの街の郊外に、羊飼い達が羊のために野宿をしていました。そこへ天使が現れ、救い主の誕生を知らせたのです。
 羊飼い達は驚き恐れましたが、天使の言葉と天の軍勢の賛美を通して、救い主の降誕を受け留めました。さらに彼らは、単に知識として知っただけではなく、自分に関わるの事として行動をおこし、飼い葉おけに寝かされている救い主イエスを探し当てたのでした。

Ⅱ 救い主を拝し喜んだ者達
 救い主イエスを目の前にして彼らは、自らの救い主として信じ拝しました。天使が告げた神の言葉通りであったことも含め、これらのことにより彼らの内に喜びが湧き上がりました。
 彼らは、帰る途中も喜びは溢れ、賛美が絶えなかったのでした。

 救い主イエスを受け入れる時、拝する時、私達人間の内に、本当の喜びがわきあがるのです。

2009/12/20 説教者 杉本守 

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天のマナ

2009年12月20日 | 天のマナ
   「主イエスが来て下さった喜び」
「マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼い葉おけの中に寝かせた。」 (ルカの福音書2章6、7節)
 
 神が人となられる。イエス様がお生まれになる。なんと不思議で、素晴らしいことでしょう。アドヴェントは、その素晴らしさを、待ち望むときです。
S・デュプリー宣教師の家を訪ねたとき、玄関にネイティヴィティーが飾られていました。ところが、真ん中の飼葉桶に、イエス様がいらっしゃらない。デュプリー先生は「我が家では、ベイビー・ジーザスはクリスマスの日に、あらわれるのです。」と空の飼葉桶を指差しました。

 子どもたちは、クリスマスの朝に目覚めると、ツリーの下のプレゼントを開ける前に、玄関にあるネイティヴィティーに向って走っていきます。「あっ、イエスさまだ!」

 以前は、空しさが覆っていた私たちの心にも、イエスさまが来てくださった。あの喜びを、あざやかに思い起こしたいのです。                                  (鳩山のぞみ教会宮崎誉師 霊想より)

 
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講壇の花

2009年12月20日 | 生花

MERRY CHRISTMAS!

 

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天のマナ

2009年12月13日 | 天のマナ
「神の家族を天に送る」
 
 私達は、11日(金)に神の家族である姉妹を、葬儀において神の国へ送りました。姉妹は88年の生涯、主なる神からの地上での使命を全うされたのであります。そして、主が用意してくださった神の国の家に招かれたのであります。姉妹の葬儀を通して、地上では再び見ることができない悲しみの中にも、罪と死に勝利した主イエスによる福音の豊かさによる神の国での再会という希望と慰めをいただいたのでありました。また、この葬儀によって主の御名がたたえられ、多くの人に福音を伝える伝道の機会ともなりました。

「主の聖徒の死はそのみ前において尊い」(詩篇116篇15節) 

 主を信じる聖徒の死は、悲しみ、空しさ、あきらめを残す死とは違い、その聖徒の全うした生涯を、魂を、主は尊いものとして喜んで受け入れて下さると同時に、多くの主の実を私達に残してくれるのです。聖徒なる姉妹の存在と生涯を通して、神の愛を示してくださった主なる神をほめたえます。

2009/12/13
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主日礼拝説教要約

2009年12月13日 | 説教要約
「救い主を迎える」 ルカによる福音書2章1~7節

 馬小屋に生まれ、飼い葉おけに寝かされた救い主イエスの箇所を通して、クリスマスメッセージに耳を傾けていきましょう。

Ⅰ 救い主を迎えられなかった人々
 多くの人々は長年にわたり、救い主を待望していました。しかし、いざ救い主が降誕された時、救い主を迎えられた人々はわずかでした。ベツレヘムの宿屋にいた人々や旧約聖書の救い主の預言を研究してた者達も迎えられませんでした。なぜでしょうか?それは、自分の日常の忙しさに追われていたり、自分のプライドが邪魔をして、救い主をお迎えするスペースを空けていなかったり、空けられなかったのです。だから一番大切な救い主をお迎えできなかったのです。

Ⅱ 救い主を迎えた人々
 救い主を迎えたのは、羊飼い達や博士達でした。彼らは、救い主の降誕を知って、何よりもそれを優先したのです。日常のことよりも、自らのプライドに固執するよりも、救い主を強く求めていたのです。そして、救い主をお迎えしたのは、馬小屋の飼い葉おけでした。きたない、臭い、暗い馬小屋の飼い葉おけでしたが、救い主をお迎えしたのです。

 あなたは、救い主の入るスペースをお持ちですか?たとえ、飼い葉おけのような心であっても、救い主イエスは喜んで入ってきてくださいます。お迎えしましょう。

2009/12/13 説教者 杉本守
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講壇の花

2009年12月13日 | 生花
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主日説教要約

2009年12月06日 | 説教要約
「神にはできないことはない」 ルカによる福音書1章26~38節

 救い主イエスの母マリヤへの受胎告知を通して、クリスマスのメッセージをいただきましょう。

Ⅰ 恵まれた者
 全能の神が、約束された救い主をこの世に派遣するということを、成し遂げられます。それは、処女マリヤへの神の使いの受胎告知によってであります。神の使いの告知は、処女マリヤがみごもって男の子を産むこと、その子は救い主であるというものでした。神が共にいまし、救い主の母としてマリヤは恵まれたのです。

Ⅱ 戸惑い恐れる者
 しかし、マリヤは非常に驚き戸惑うのです。それは、自らが処女であること、宿す子は救い主であることなどであります。世界中の誰よりも、マリヤ本人が受け入れることができない内容であったからです。

Ⅲ 信じ従う者
 けれども、マリヤはその数十秒後には、このことを信じ受け入れる告白をしています。どうしてでしょうか?それは、この出来事の出所は神であることを知り、マリヤが信じていた神は全能の神であるからでありました。聖霊なる神により、特別な方法をもって、神は救い主を送りなさったことを受け留めたのでありました。
「神にはなんでもできないことがない」との神の言葉がマリヤを変えたのです。マリヤは、救い主を送ってくだった神をほめたたえ、救い主の母とされたことを喜んで賛美をささげました。

 私達も神の恵みを見た時に、その恵みの大きさに驚き恐れる時があります。しかし、マリヤのように信仰をいただき、主の救いをさらに受けていきたいのです。

2009/12/6 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年12月06日 | 天のマナ
「待降節」

 アドベントは待降節とも呼ばれ、11月30日(使徒アンデレの日)に最も近い日曜日から始まり12月24日までの4つの日曜日を含む期間がそれに当たり、2009年は11月29日に始まりました。本日はアドベント第二です。「待降節」という漢字からも、この季節の意味はイエス・キリストの来たりたもう日を「待つ」ということです。

 それは、クリスマスへの備えをすることであります。クリスマスツリーなどの飾り付けを用意したり、クリスマス行事の準備をしたりするだけではなく、救い主イエスを心に受け入れる霊的な備えをすることこそが必要なのであります。

 さらにアドベントにはもう一つの大切な意味があります。それは、イエス・キリストが再びこの世界に来られる再臨に備えると言うことです。復活後、天にお帰りになったイエスが再びこの地上においでになって、救いの完成をなされるその時をおぼえて心の備えをするのです。世の終わりあるいは人生の終わりを思い、それぞれの人生を省みると共に、主イエスを見上げた祈りの生活をと願うのです。 

「主を待ち望め」(詩篇42篇11節)

2009/12/6
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