静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2009年01月25日 | 天のマナ
「オバマアメリカ新大統領就任式に思う」

 世界経済や石油に頼るエネルギーの行き詰まり、環境破壊など、世界は新しい枠組み、新しい視点、新しい切り口、新しい時代を要求しています。その中、オバマアメリカ新大統領が誕生しました。ご存知のように、選挙前の彼の投げかけは、「対立」から「一つへ(WE)」、「行き詰まり」から「希望へ(CAN)」でした。

 大統領就任式でのスピーチでは、この「一つ」と「希望」の上に載せられた、「謙虚」と「責任」が印象的でした。大統領という職の権力、権限をもった彼は、その職を執行する上で、心に重んじたのがこの二つであったと思います。
 まずは、スピーチの冒頭でこの謙虚という言葉が語られたのでした。「できるという希望は神の前に謙虚する所から生まれる」のです。それは、就任式直前に彼が教会へ行き、その職を全うできるよう神の前にへりくだり、神の助けを祈ったことをおぼえます。そして、聖書に手を置き宣誓しました。
 次には、何度も「責任」という言葉が繰り返されました。「一つとされていく者達は責任を果たす」のです。彼は、大統領という大きな権限をもったことと共に、それに伴う責任を熟知していました。また、国民にも国民としての責任を果たすこと、さらにアメリカは、世界のリーダーとしての責任を果たす必要を語ったのであります。    

 私達も、クリスチャンとして圧倒的な神の恵みを受けている中で、主の助けにより、私達の責任を果たしていきましょう。
「神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。」(聖書)

2009/1/25
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講壇の花

2009年01月25日 | 生花

 

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主日礼拝説教要約

2009年01月19日 | 説教要約
「苦難の中で輝く信仰」 使徒行伝17章1~9節

 第二伝道旅行のパウロ一行は、ピリピを後にし、テサロニケの町へ行きました。
テサロニケでなされた神の御業を見て行きましょう。

Ⅰ 主イエスこそキリスト
 三週間に渡り、パウロが会堂で語った説教の内容は、「あなた方が待ち望んでいる救い主は、すでに来られた。それはイエスである」というものでした。このイエスは、人間の罪を負い、人間を救うために十字架という受難を受けられましたが、復活され、信じる者を罪と死から救うことができる方と紹介したのでした。

Ⅱ 主イエスを信じる信徒の輝き
 多くの者がイエスを救い主と信じ救われましたが、他のユダヤ人達は彼らをねたみ迫害しました。救われたヤソンとその兄弟たちは、彼らからパウロらを守りましたが、自ら達が捕まえられひきづられ迫害を受け、保証金をも払わせられやっと解放されたのでした。
 信仰者となって間もない彼らでしたが、迫害の中にあって、信仰をやめてしまうどころか、パウロら一行がテサロニケを離れてからも、彼らの信仰は輝き、テサロニケ第一の手紙にあるように、テサロニケの教会はその地域の模範となり、テサロニケの教会を通して、主の言葉が響き渡っていったのでした。

 各教会の土台には、主に献身した信徒の輝く姿があります。教職も信徒も共に、
献身を持って教会を形成し、宣教に励みたいのです。

2009/1/18 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年01月18日 | 天のマナ
  「自分を責めることからの解放」

 人間には、神から与えられている良心があります。してはいけない事をしますと良心が痛みます。それは聖霊なる神が、人間の心、魂、霊に語りかけるからであります。聖霊なる神の語りかけは、罪を示すだけではなく、悔い改めと信仰によって神の赦しと解放へ向けさせる語りかけです。神は、救い主イエスの十字架によってどんな罪をも赦し解放してくだる方です。

 異なる意味で悪魔も人に語りかけます。それは、人の欲に働きかけ罪を犯させ、罪を犯した者へ、「お前は罪人だ、お前の罪はゆるされるはずがない、その罪はお前を縛り、お前はずっと良心の呵責にあい、自分を責めていき、自分の身を滅ぼすしかないのだ」と語るのです。

 すべての人間は罪人であります。私達は聖霊なる神の言葉に聴き従い、神の赦しと解放をいただくか、悪魔の言葉に聴き従い、一生涯、自分を責め続け、永遠の滅びに向かうか、どちらかを選択していくしかないのです。

「今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則(支配)は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」(ローマ8章1.2節)
 
 聖霊なる神の言葉に聴き信じ、神の救いに体験したクリスチャンはなんて幸いでしょう。すでに赦され解放されているのですから。

2009/1/18
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講壇の花

2009年01月18日 | 生花


掲載者:岩崎 

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主日礼拝説教要約

2009年01月11日 | 説教要約
「主イエスを信じなさい」使徒行伝16章16~34節

 ピリピで宣教をしていたパウロらは、迫害によって牢獄に入れられてしまったのです。この記事から、御言をいただきます。

Ⅰ 状況を支配する信仰
 聖霊の導きによってピリピの街に来たパウロ達は、福音宣教によるリバイバルを願っていたことでしょう。しかし、ルデアの家族は救われましたが、占いの霊に疲れた女奴隷から、悪霊を追い出したことにより、迫害を受けて、鞭打たれ、足かせをはめられ、牢獄の奥に入れられてしまいました。
 激痛と落胆で意気消沈し、不平不満や愚痴が出ても仕方がない状況ですが、彼らの口から出たのは、祈りと賛美でした。状況に支配されてしまう信仰ではなしに、状況を支配していく信仰を彼らはもっていました。神をほめたたえ、すべての人が救われるようにとの祈りでありました。多くの囚人達は、彼らの賛美と祈りに聞き入り、牢獄が神の恵みの御業の場となったのであります。

Ⅱ 主イエスを信じる信仰
 なぜ、彼らはそのような信仰を持っていたのでしょうか。それは、主イエスを救い主、どんな状況からも救い出す方と信じていたからであります。
 神は、彼らの信仰に応え、地震を起こします。獄の戸が開き囚人が逃げてしまったと考えた獄吏は自害しようとします。しかし、神の御業の前に囚人は恐れを持ち、誰一人逃げず残っていました。パウロは、獄吏の自害を留め、あなたが救われるのは、「救い主を信じなさい」と獄吏に伝えました。獄吏と獄吏の家族は、主イエスを救い主と信じ、喜びで満たされました。

 私達は、どんな時でも主イエスを信じ、状況を支配する信仰を持たせていただきましょう。そして、「主イエスを信じる者の家族も救われる」という御言の真実を体験させていただきましょう。

2009/1/11 説教者 杉本守

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天のマナ

2009年01月11日 | 天のマナ
「自らを顧みる」

 先日、我が町の少年院に情操教育の講話に行きました。彼らは、食い入るように講話を、聖書のメッセージを聴いて受け止めていました。彼らは、かつては自分を見失い、誤りをしてしまって、今は少年院にいますが、指導員の保護と愛の許、自らを顧み、省みる時を持っています。そして、新たな人生をもう一度歩もうと生きることに真剣です。そういう者に、神はセカンドチャンス&セカンドライフを与えてくださいます

 人生の中で、自分を静かに顧み、省みる時を持つことは、本当に必要な時です。そうしないと時代や風潮に流されて、自らを見失うからです。

 私達クリスチャンは、自らを顧みさせていただいている者として、本当に幸せです。毎週、礼拝にて神の前に静まり、聖書の言葉によって自らが照らされ、悔い改め、信仰告白をし、神からの新しい命の注入をいただけている者だからです。礼拝は、クリスチャンに限らず、すべての人に与えられている自分を顧み、神と出会う機会です。一人でも多くの人と、教会の礼拝で共に心を静めたいのです。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46篇10節)

2009/1/11
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受付の花

2009年01月11日 | 生花


掲載者:岩崎

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主日説教要約

2009年01月04日 | 説教要約
「神の導きに従う祝福」 使徒行伝16章6~15節

 パウロの第二伝道旅行が始まります。パウロは、シラスとテモテを連れて、さらにルカも加わり、迫害の中でありますが宣教の情熱に燃え、小アジア(現在のトルコ)の西(コロサイやエペソ)へ行こうと計画しておりました。しかし、聖霊に止められます。それでは北東の黒海地域へと願いいますが、そちらも聖霊によって止められるのです。
 宣教命令を受けて従ったのにとパウロは困惑したでありましょう。パウロが祈る中、神からの幻によって、聖霊の深い導きが示されます。それは、北西のルート、マケドニア(現在ギリシャ)への道でした。

 彼らはその導きに従い、最初の町ピリピに着き宣教を始めます。神の深い導きに従った結果、紫布の商人であるルデアとその家族が救われ、占いの霊についた女性が救われ、獄吏とその家族が救われ、ピリピの教会の土台が築き上げられました。 このピリピの教会は、喜びの教会と呼ばれ、献身的にパウロの宣教の経済を始め、さまざまな面で支えたのでした。第二伝道旅行にあたり、ピリピの教会の設立は大変重要で神は最初に導かれたのでありました。
 時には、神の深い導きが理解できない私達でありますが、信仰をもって進む時に、神の祝福を豊かに得られるのです。

2009/1/4 説教者 杉本守
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講壇の花

2009年01月04日 | 生花


掲載者:岩崎

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