静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2008年10月31日 | 天のマナ
「忍耐と尊敬」 「忍耐は練達を生み出し」(ロマ5章3節)

 あるミッションスクールの名誉教授が、次のように語られていました。

「日本のキリスト教は、統計的にも載りがたく、いくら働いても成果のあがりようがない場で、忍耐強く働き続けている無数のイエス・キリストの小さな弟子達の働きに、またその家族の方々の労苦に負うている。日本の教会の本当の力は、隅々にある名も知れぬこれらの教会の存在、その働きに隠されているとわたしは思っている。」

 静岡ホーリネス教会にも、長年、忍耐強く忠実に主イエスに、主イエスの体なる教会に仕えてくださっているイエス・キリストの小さな弟子達が多くおられる。これは本当に嬉しいことであり、この教会にとっては、まさしく宝であり、誇りであり、その小さな弟子達に敬意をあらわしたい。
 そして、この会堂返済の課題を、信仰と献身をもって、共に全うしようとしている。「彼らの忍耐」とは、嵐の中でビクビクし恐れ、嵐の中を通り過ぎるまでじっとしていることではなく、嵐の中でも信仰と献身をもってしっかり立ち、与えられた働きを精一杯なし、その課題を全している姿である。

2008/11/2 
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主日礼拝説教要約

2008年10月26日 | 説教要約
「命にいたる門と道」  使徒行伝14章19~28節

 パウロとバルナバの第一伝道旅行の終わりにルステラであった出来事より、主なる神からの御言をいただく。

Ⅰ 神の国に入る
 パウロは、ルステラの宣教の中で、ユダヤ人から石で打たれるという迫害を受けます。不思議な神の助けにより彼の命は守られ、彼は各地域に建てられた教会を廻り、弟子達に「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語り励ましました。
 神の国とは、神の支配する所です。私達は神を信じた時に、私達の内に神を迎え入れ、神の支配にあずかっています。神の国は、神を信じ神に従う私達の内にあります。また、この世の終わりに、新天新地である神の国をも待ち望む者であり、聖霊によって神の国に入ることを保証され、私達も確信しています。

Ⅱ 多くの苦難を経る
 しかし、信仰生活はエレベーターのように、自動でのぼるのではありません。自らの足で歩いて行くのです。その歩みには、多くの苦難が起こります。迫害、病い、予期せぬ出来事、自らのうちか出る欲望、悪魔の誘惑などです。まさしく、命に至る門は狭く、その道は細いのです。
 私達は神の国を保証されている者であります。ですから、多くの苦難の中でも神から主のからだなる教会から離れることなく、最後まで信仰をもって主イエスと共に、教会生活に励みたいのです。

2008.10.26 説教者 杉本守
 
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講壇の花

2008年10月26日 | 生花

 掲載者:岩崎

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天のマナ

2008年10月25日 | 天のマナ
 「真実さをもって神の前での誓約を守る」 
今までの私の人生で、私は神の前に三つのことを「誓約」しました。

 誓約の第一番目は、12歳(中1)の洗礼式の時、「主イエスを救い主として信じ、これからの人生を主イエスに従い、主イエスの体なる教会に仕えます」と。来年で30年になります。クリスチャン生涯は幸いです。

 誓約の第二番目は、22歳の結婚式の時、「妻を生涯愛していきます」と。来年で20年になります。結婚、夫婦は本当に素晴らしいです。

 誓約の第三番目は、27歳の按手礼の時、「日本ホーリネス教団の聖教師として、主イエスの召命に応え生涯牧師の務めを果たします」と。牧師としても、来年で20年になります。牧師生涯は喜びです。
 
 主なる神の前に誓ったこと、何か他に大きなことはできませんが、この三つの誓約にこれからの生涯も忠実に真実に誠実にありたいのです。忠実に真実に誠実にそれだけでいいです。
 
 「誓約」、「忠実、真実、誠実」という言動が重んじられず軽く扱われるこの時代、私達キリスト者は、自分が誓約したことを神の助けの中でしっかりと守らせていただきたいのです。

2008/10/27
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主日礼拝説教要約

2008年10月19日 | 説教要約
「創造者と被造物」  使徒行伝14章8~18節                          
 第一伝道旅行をしていたパウロらは、ルステラに着きました。神はパウロを通して、生まれた時から足が不自由で歩いたことのない者を、癒したのでありました。
それを見ていた群集は、パウロとバルナバを神として祭り上げ、ささげ物をし礼拝しようとしました。

Ⅰ 被造物なる人間
 パウロとバルナバは、必死でそのことをやめさせ、「私達は神に造られた人間で、あなたがと同じである」と言いました。造られた人間や造られた自然を神にし、それを拝むなどというのは愚かなことであり、無意味で無駄なことであります。それらは神ではなく被造物に過ぎません。

Ⅱ 創造者なる神
 真の神は、創造者であります。この宇宙、世界、そして人間を造られた唯一の方であります。人間を神としたり、人間が考え出した神は真の神ではありません。
 この創造者なる真の神は、自らを私達にわかるように啓示してくださっています。自然や歴史をよく見るならば、神の存在を人間は知るのです。さらに、聖書や主イエスを通して、神がどういう方であり、人間を愛し救いを与えてくださってるかがわかるのです。

 私達は、被造物を拝むのではなく、唯一で真の創造の神をこれからも拝していきましょう。

2008/10/19 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年10月19日 | 天のマナ
「キリストの証人としての力」 ~ソウル第一聖潔教会訪問①~

「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。」(使徒行伝1:8)
 
 お祈りを感謝します。静岡教区の姉妹教会であるソウル第一聖潔教会を訪問してきました。火~金曜日の朝5時と6時の早天祈祷会~金曜半徹夜祈祷会まで、さまざまな集会が熱く持たれていました。日本の教会には、日本の教会ならではの素晴らしいところがありますが、韓国の熱心さには学ぶべき点は多くあります。

「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受ける」とあります。ここで約束された力とは、どんな力でしょうか。それは、私達をキリストの証人にする力です。

 聖霊はすでに、この世界に、そして神を信じる私達の内にくだられています。すでに聖霊によって、私達はキリストの証人とされています。日常においてキリスト者の麗しい品性を通してキリストをあらわし、機器的時には祈りの中で癒しや奇跡を体験することによってキリストをあらわす、キリストの証人でありたいのです。

2008/10/19
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講壇の花

2008年10月19日 | 生花


掲載者:岩崎

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天のマナ

2008年10月12日 | 天のマナ
 「謙遜かつ大胆な信仰」
      
「主よ、お言葉通りです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます。」(マルコによる福音書7章28節)

 一度は主イエスに求めを断られたギリシャ人のこの女性、しかし、彼女はあきらめてしまうのではなく、さらなる求めをします。その中に、謙遜と大胆な彼女の信仰を見るのです。求めの質が問われた時、彼女の求めの質は、必死、真剣、本気だったのです。

 私なら、状況を見て、シュンとなり凹むか、愚痴ってしまっただろうと思います。時に主イエスは、私達の求めの質を確かめるために、追い込まれるのです。

 「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません。」(創世記32:26)、「ヤコブ(押しのける者)です。」(同27)と神の使いと格闘したヤコブは、ペニエルで謙遜かつ大胆な信仰をあらわしました。

 私達もこの女性やヤコブのように、謙遜かつ大胆な信仰を持たせていただきたいのです。

2008/10/12
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主日説教要約

2008年10月12日 | 説教要約
「神さまの大逆転(神さまのタイミング)」 創世記41章1~52節

 聖書には映画化したら良いと思われる物語が数多く記されているが、中でも創世記(37章~50章)のヨセフ物語は、ドラマチックで壮大な素晴らしいストーリーであります。

Ⅰ 神さまの与えられる試練
 ①試練を耐え忍んだヨセフ: 父ヤコブは四人の妻の中で最も愛したラケルの産んだ最初の子ヨセフを溺愛し、ヨセフは兄達の憎しみにより、17歳の時奴隷として売られてしまった。
 エジプトで自衛長ポテパルの元で奴隷として仕え、真面目で誠実な働きぶりを主人に認められ家の全てを任されるまでになったが、若く姿の美しいヨセフを気に入った主人の妻の誘いを断ると、無実の罪をきせられ投獄されてしまった。投獄中、王の給仕役の長の夢を解き明かし、給仕役の長は元の職に戻れたが、ヨセフに「私は無実なので、それを伝えてください」という言葉は忘れられ、それから更に2年の間ヨセフは獄中で過ごさなければならなかった。※しかし辛く苦しい日々の中「主がヨセフと共におられた」というKey Wordの通り、彼はくさることなく、人間的な手段を使って逃れようとしたり誰かのせいにするのでなく、あらゆる場面で神さまの恵みを体験し続けている

 ②試練を耐え忍ぶ私たち:私たちも様々な試練を経験するが、ヨセフのように神さまに委ねつつ一歩ずつ歩み、神さまの恵みを体験し続けていきたい

Ⅱ 神さまの大逆転
 ①神さまのみごとな大逆転を体験したヨセフ:ヨセフが17歳でエジプトに売られて13年後(給仕役の長の夢解きから2年)、パロ王が不思議な夢を見、その解き明かしのためヨセフは牢から出され、夢の内容を聞いたヨセフは直ちに解き明かしと、具体的な方策を告げた。7年の豊作の後7年のひどい飢饉がくるので、賢い人をたてて豊作の間に全国に穀物を蓄えるよう語ると、王も家来達もヨセフの優れた能力に感嘆し、神の霊を持つ人として絶賛し、王に次ぐ宰相として立てられることになった!※彼の歩んだ道は、予期せぬ出来事、辛く苦しい事の連続だったが、その背後に神さまの摂理の御手があり、絶妙なタイミングで導かれた

 ②神さまのみごとな大逆転を体験する私たち:私たちの人生の背後にも神さまの摂理の御手があり、見事な大逆転が用意されている。神さまのタイミングは人間的願いや考えとは比べ物にならない位絶妙で最善であることを信じて歩むものでありたい

2008/10/12 説教者 杉本敬子
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講壇の花

2008年10月12日 | 生花

掲載者:岩崎 

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