「なんと幸いなことでしょう」 詩篇84篇1~12節
人生の目的地、ゴールはどこでしょうか?
この詩篇は、神が臨在されるエルサレム神殿での礼拝を目指し歩む巡礼者の思い、またはそのことへの思い持っている者の願いを記している詩であります。 私たちキリスト者にしてみますと、この地上での信仰の生涯、神の国を目指しながら歩んでいることと重ねることができます。「見るところ今は微かなれども、その日には顔を合わせて相見ん。」(新聖歌515の2節)の賛美が心に響きます。
神が臨在される礼拝の場までの歩みは安易な道ではなく、涙の谷を通るのです。しかし、彼らはそこを喜びの泉の場として乗り越えていきます。なぜ彼らはそれができるのでしょうか。それは、神が臨在される礼拝の場を慕っているからであり、その心がいつもそこに向かっているからであります。さらにどんな所を通っても必ず神がそこを乗り越えさせ、神の臨在の場に導いてくださるとの信頼があるからです。
私たちも、神の国を慕い、神の国をいつも目をとめ、主に信頼しつつ賛美をもって歩みましょう。なんと幸いでしょうか、人生のゴールである神の国に向かって歩んでいる者は。
2013/11/24 説教者 杉本守
「その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。」(5節)