静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年10月28日 | 説教要約
 「神を信じて祈る」 マルコによる福音書11章12~14、19~26節

 エルサレムに入城された主イエスは、十字架前の一週間を歩みます。その一つの出来事を見ていきましょう。エルサレム郊外のベタニアから、主イエスはこの日もエルサレムに向かいました。その途中で一本のいちじくの木を見て、その木に実がついてないので、その木を枯らしてしまいます。この出来事はどういう意味があるのでしょうか。

Ⅰ 実を結ばない者への裁き
 枯らされた実のないいちじくの木とは、当時の神の民イスラエル、特にエルサレムにいるユダヤ人達を指しているのです。それは、神の民であり、神から豊かな恵みと救いを受けながら、神の御心にかなわない歩みを続けていた彼らでありました。信仰も祈りも、葉だけ(形式)だけは豊かでありましたが、神から遠く離れていて実を結んでいなかったのでした。枯れるとは、神にそむき続けると神の裁きがあるという警告を示しています。
 現に歴史的に、父なる神が神の民の救いのために送られた救い主イエスまで、十字架に付け、その後、ローマ帝国によって滅ぼされてしまったのです。

Ⅱ 実を結ぶために
 このメッセージは、現在、本当の神の民である全世界の教会もしっかりと受け止める必要があります。それでは、どうしたら実を豊かに結ぶことができるのでしょうか。主イエスは、「信仰による祈りによって実が結ばれていくのである」と以下の三つのことで語られました。心に疑わないで信じる祈り、すでにかなえられたと信じる祈り、最後に、神にゆるされ人をゆるす中での祈りです。

 形式的な信仰や祈りではなく、生き生きとした信仰と祈りによって、実を豊かに結ばせていただきたいのです。

2007/10/28 説教者 杉本守


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天のマナ

2007年10月28日 | 天のマナ
 「本当の平安を得る」   
 
 「わたしの平安をあなたがたに与える」(ヨハネ14:27)

 先週は、辻堂教会の特別伝道集会に行ってまいりました。初日の土曜日の夜に、「本当の平安を与える救い主イエス」と題して、メッセージを語らせていただきました。

 その集会で、一人の若い婦人が、自分の救いの証詞をなさいました。彼女は、「不自由のない生活をしていましたが、心の奥に本当の平安がなかった」と語っていました。弱い自分、不安な自分をおぼえ、電話カウンセリングに何度も電話をかけたのでした。ある人は、「大丈夫だから」と励ましてくれました。またある人は、「贅沢病だ。あなたは親になったのだからしっかりしなさい」と叱咤されたというのです。しかし、平安はありません。最後に牧師によるカウンセリングに電話した所、その牧師は「私も弱いですよ。けれども、私が弱くても神様は強いので大丈夫なのです」と語ってくださり、近くの教会を教えてくれたのでした。その教会で彼女は、神様の許に帰り、人間としての本当の平安を受けたのでした。

 まさしく神は、神の許にあり、神に従う時に本当の平安を得るように人間を造られたのであります。ですから、神から離れた人間にはこの世のどんな満足をもってきても本当の平安はないのです。これは決して贅沢病ではなく、人間としての根本的な求めなのです。

2007/10/28
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講壇の花

2007年10月28日 | 生花

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教会バザー

2007年10月28日 | フォトギャラリー

 2007年10月28日、礼拝後の1:30から、毎年恒例の「教会バザー」が開かれました。

▲ご覧のように、バザー当日は快晴で汗ばむ陽気でした。

 【会堂の外】

▲屋外雑貨コーナーの係の方は、あまりの暑さに悲鳴を上げていました。

▲おいしい弁当や寿司は、毎回好評です。お持ち帰りの方、会堂内で食事をされる方、いろいろです。

▲飛ぶような売れ行き? 安くておいしいです。

【会堂内】

▲会堂1階での雑貨コーナー。何でも安い。値札付けに深夜まで奮闘した係の方もいました。

▲ケーキと飲み物コーナーは、その味に定評があり、毎年これを目当てに来る方もいらっしゃるとか。

▲会堂2階では、ご夫婦で作った絶妙な味のおでんが好評です。

▲おでんとともに、ラーメンは素材厳選の手作り。皆さん、おいしそうに食事をとられていました。

 教会バザーは、どなたでも歓迎します。ご近所の方はもちろん、和やかな雰囲気を楽しみに、毎年訪れて下さる方もいます。教会の敷居が高いと思われていた方は唖然とするかもしれません。行けば良かったと思われた方、来年は是非どうぞ!

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天のマナ

2007年10月23日 | 天のマナ
 「キリスト者の生き方」   

 「私に従って来る者は、命の光をもつであろう」(ヨハネ8:12)

 今ボクシング界を騒がせている出来事があります。それは、ルールを守らないで反則業をし続けた選手とその周辺の人達のことであります。スポーツにはルールがあります。そのルールは、選手を縛るものではなく、選手を守り、生き生きと自由に競技をさせるためのものであります。スポーツだけではありません。社会の中で生きている私達にも、生き生きと生きるためには、社会のルールを守る必要があります。例えば、交通ルールです。自分は急いでいるからといって、赤信号を無視して渡ったら、事故に逢い怪我をしたり、ある時には命を失うかもしれません。ルールを破ってはペナルティを受けるのです。ルールを破るのは、「自由」ではなく「自分勝手」ということです。
 
 クリスチャンになったら、「なんか縛られてしまって、自由でなくなってしまうのではないでしょうか?」という質問をされる方がいますが、まったく反対です。

 「神に従うこと」は、神に造られた人間のルールであり、これを守る時に人間としての本当の自由が与えられ、生き生きとした歩みができるのです。「神に従わない歩み」は、人間としてのルールを破りペナルティを受けるのです。

2007/10/21
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講壇の花

2007年10月21日 | 生花

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講壇の花

2007年10月14日 | 生花

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主日礼拝説教要約

2007年10月13日 | 説教要約
「主がお入用なのです」 マルコによる福音書11:1~11

 主イエスは、神の国の到来(神の国の支配)を言葉と行動をもってなさていました。そして、いよいよ十字架による贖いをなすためにエルサレムへ入城します。その入城はロバの子に乗ってというものでした。

Ⅰ 主に用いられる者
 主イエスは、軍馬ではなくロバを用いたのでありました。ロバは、運馬のように見栄えもなく、力もなく、俊敏さもありません。しかし、ロバは、忍耐強く主人に従順であります。けれども、これはしつけられた大人のロバであります。主イエスが用いられたのは、子供のロバでありました。まだ十分にしつけられていない子ロバに目を留められたのであります。
 主は、たとえまだ不十分な者さえも、主の御用に用いることをされる方であります。

Ⅱ 主に用いられること
 では、この子ロバは主の為に何をしたのでしょうか。大きな功績を残したのではありません。人の目をひきつける様なパフォーマンスでもありません。子ロバがしたことは、まず、「主イエスを小お乗せした」ということです。そして、「主イエスを運んだ」ということです。地味な働きかもしれませんが、これがクリスチャンのなすべき務めではないでしょうか。

 私達は、家庭に職場に学校に地域に、誰を乗せて運んでいるでしょうか。自分自身ではなく、主イエスをお載せして運ぶものになりたいのです。
 
2007/10/13 説教者 杉本 守
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天のマナ

2007年10月13日 | 天のマナ
 「真剣に求める時に」  
 「求めよ。そうすれば、与えられるであろう」(マタイ7:7)。
 
 11日(木)シメオン・セルの後、牧師は駿府学園に情操教育講話の為に行ってきました。70名位の生徒達が、全員丸刈りの頭、きちんとした姿勢で、聖書の福音に聞き入っていました。親の愛を十分に受けられなかった環境や自分を認められなかった環境などに育ち、心の傷によって、間違った方向に自らを出してしまったのでしょうか。この駿府学園で自分を見つめ直し、職員の先生方の愛に包まれて、新しい歩みを始めようとしているのです。
 
 聖書より、「あなたの存在は神の宝であること、人生の目的は、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること、そして人生のゴールである天国を目指して、真実な誠実な歩みをしてほしいこと」を伝えてきました。
 
 講話の後、質問タイムを持ちました。今回は1時間10分の中で、40分時間をとりましたが、たくさんの真剣な質問で今回も時間が足りませんでした。「カトリックとプロテスタントの違いは?」「罪は本当に赦されるのか」「イエスは神なのか」「十字架の意味は」「聖書はどこで売っているのか」「幽霊・悪霊はいるか」などした。

 物を人の好意を求めるよりも、神様を神の救いを求めるものでありたいのです。

2007/10/13
コメント (2)
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講壇の花

2007年10月07日 | 生花

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