静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2015年09月27日 | 天のマナ
「個人伝道の今と先」

 イエス様は個人伝道のプロであります。罪びと呼ばわりされていたザアカイと共に食事をし寄り添い、彼をアブラハムの子(神が選ばれた民の子)と呼びました。姦淫の場で捕らえられ引きずり出された女性には、人々からの裁きの視線を身代わりに受け、彼女に向き合いました。孤独で本当の愛を求めていたサマリヤの女性には、わざわざサマリヤを通り井戸で待っておられました。三人とも救いを受けて新しい人生、神と共に歩む人生をスタートしたのです。ルカ18章18~30節には、ある律法を守っている役員(議員)がイエス様に、永遠の命(救い)を求めてきました。イエス様は、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人に分けてやりなさい」と彼に言います。しかし、大金持ちであった彼は、主の招きに応えず悲しい顔をして去ってしまいました。彼は、自己の利益から離れられず、隣人を愛し分かち合うことができなかったのです。イエス様は個人伝道に失敗したのでしょうか。いいえ、イエス様は語るべき説教を語り切ったのです。人が救いに導かれるためには、認罪と悔い改めが必要です。迂回はできません。彼の心に福音の招きは続いてなされ、後に救われたニコデモのように導かれたでしょう。

2015・9・27
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講壇の花

2015年09月27日 | 生花
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天のマナ

2015年09月20日 | 天のマナ
 「結婚の祝福と夫婦の喜び」           
 
 結婚カウンセリングの時に、次のみ言葉から語らせていただきます。「あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。」(エペソ5:33)。聖書は、夫に対して「妻を愛しなさい」と何度も語ります。その愛は、キリストが教会を愛してそのために自分をささげられたようにです。聖書は、妻に対して「夫に仕えなさい、夫を敬いなさい」と何度も語ります。その仕え方は、教会がキリストに仕えるようにです。

 ある時、なんでこんなに繰り返して語られているのだろうと思い巡らしていた時に、聖霊によって気づかせていただきました。それは、夫は、妻を愛し続けることができない弱さをもっています。そして、妻は夫を敬い仕え続けることができない弱さをもっています。だから、それぞれが自分のその弱さを認め、この主の言葉をおぼえ、常にへりくだり、「どこまでも愛された主の愛を下さい」と日々祈り、「どこまでも仕えられた主の心を与えて下さい」と日々祈りなさいということなのです。

「夫が先に愛してくれたら、妻が先に仕えてくれたら」との声をよく聴きます。片方がクリスチャンなら、主イエスの愛を知っている者が先にでしょう。両方がクリスチャンなら、主イエスが先に教会を愛されたのですから、夫からでしょう。「いつもありがとう」から始めて行きましょう。

2015・9・20
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講壇の花

2015年09月20日 | 生花
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天のマナ

2015年09月13日 | 天のマナ
「神からの使命を日々なしていく」

 昨日の早天祈祷会において、次のみ言葉が開かれ、続けて「明日の知恵、今日の知恵」(羽鳥明牧師著)を読まれました。「あなたはそのわざに巧みな人を見るか、そのような人は王の前に立つが、卑しい人々の前には立たない。」(箴言23章29節)。他の訳では、「じょうずな仕事をする人」とあります。それならば不器用な私には当てはまらないと考えてしまいます。しかし、どの注解書を読んでも、これを「手先の器用な人」と解釈しておらず、その意味は、「良心的にこつこつと、自分の職分をやりとげる人」なのです。

 第一に、良心的に自分の職分をとらえている人です。金や名誉や利得のためではない。使命感のある人です。第二に、こつこつとやる人です。忍耐強く、手を抜かずに、一つ一つのプロセスを大切にします。第三に、やりとげる責任感のある人です。
 このような者は、この世の終わりの日に、神の前に立ち、「よくやった、忠実な僕よ」と永遠の王なる神よりいってもらえるのです。

2015・9・13
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講壇の花

2015年09月13日 | 生花
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天のマナ

2015年09月06日 | 天のマナ
 「聖書の言葉の意味Ⅱ」

 前回は、「アーメン(本当に、確かに、その通り)、ハレルヤ(神を賛美せよ)、ホサナ(今、救って下さい)」などを記させていただきました。今回は、以下の言葉の意味を記させていただきます。

「恵み」・・・ヘブル語で「ヘーン、ヘセド」、ギリシャ語で「カリス」。意味は、「創造者(神)から被造物(人)への過分な愛顧、受ける価値のない者(人)への全能者(神)からの賜物」

「イスラエル」・・・アブラハムの孫であり、後の12部族の族長達の父であるヤコブが神に与えられた名前(創世記32章28節)。意味は「神は戦われる」「神の王子」であり、神によって選ばれ祝福された、契約の民、ヤコブの子孫への呼び名として用いられていく

「エルサレム」・・・「平和の町」を意味すると伝統的に解釈される。この町はまた、モリヤ(創22:2)、シオン(Ⅱ列19:21)、ダビデの町(Ⅱサム5:7)、聖なる都(マタイ4:5)とも呼ばれる

 共に聖書の言葉の意味を確認して、主の恵みを深く知り信仰によって体験させていただきましょう。
2015・9・6
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講壇の花

2015年09月06日 | 生花
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