静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年09月29日 | 天のマナ

「熱心に求める」

 アメリカ最初の大統領であるジョージ・ワシントンが従者と一緒に、田舎の食堂で昼食をとり休んでいました。すると少年が接客をしているお母さんに、聖書を買ってちょうだいと、うるさくせがみました。お母さんは、「明日、大統領がこの町に来られるから、おとなしくしていないとつれていってあげない」と言いました。すると少年は「大統領を見なくてもよいから、聖書を買って!」というのです。それを聞いていた大統領は、少年の名前や年などをたずねて、出て行きました。

 数日後、その食堂のその少年宛に郵便小包が届けられました。何かと思って少年は開けると、中には立派な聖書でした。少年のお母さんも驚き、送り主の名前を見るとさらにびっくりしました。確かにワシントン大統領の名前が書いてあったのです。ワシントンは、「大統領を見るよりも聖書がほしい」と言った少年の熱心な願いを喜んだのでした。

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」(マタイ7:7)

2013/9/29

 

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主日礼拝説教要約

2013年09月29日 | 説教要約

「あなたを救う神」 ローマ人への手紙10章9~13節

 本日は、伝道礼拝です。伝道説教をいたします。先日の教会の愛修会で、登呂遺跡に歩いて行きました。エマオの途上を歩んでいた弟子達にイエス様が寄り添ったように、登呂遺跡の往復で、イエス様と語り合いながら霊の交わりをしました。「あの空はどうして青いのでしょう?この雲はどうして白いのでしょう?この花はどうして黄色なのでしょう?」「それは私(神の子なるイエス)が造ったからだよ」。一緒に歩いていた教会学校のお友達に、「○○ちゃんは、どうして生きているのだろうね」「う~ん」「それは私(神の子イエス)が○○ちゃんのお父さんとお母さんの間に神の宝物として命を与え造り生かしているからだよ」と。「○○ちゃんは、イエス様を救い主として信じている?」「信じている。「洗礼を受けたい?」「受けたいけど、まだ小さいし」「洗礼の資格は年齢ではないよ。イエス様を救い主と信じているかだよ。信じてるっていったから大丈夫だね。」「わたし(イエス様)が○○ちゃんをすでに救ったよ。洗礼を受けてほしいな。」

 信じたことを告白する。「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10章10節) あなたが信じ告白するときに神はあなたを救うのです。

2013.9.29 説教者 杉本守

 

 

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講壇の花

2013年09月29日 | 生花
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天のマナ

2013年09月22日 | 天のマナ

「クリスチャンを輝かせるきよめの恵み」

 本日の午後より御殿場で始まる東海ブロック青年研修会のテーマは、「きよめ」であります。主イエスの十字架と復活によって与えられた救いは、豊かな内容があり、私達は生涯を通して経験していくものであります。まずは、「義認」であります。これは、「主イエスを救い主」と信じ告白し悔い改めた者に与えられる恵みであります。罪赦され義とせられ、神の子とされ、新しい命をいただくことです。その後、クリスチャンとなった私達は信仰の歩みをしていきますが、壁にぶつかります。それは自分の内に神に従いきれない自我、肉の思い(罪への傾向性)であります。クリスチャンは葛藤し、ついにそれを認め、悔い改め、神に砕かれ、「きよめ」の経験をするのです。ヤコブがぺニエルで、モーセが燃える芝の前で、ダビデが預言者ナタンの前で、イザヤが神殿で、「きよめ」られたようにです。そして、きよめの恵みはクリスチャンを輝かせます。

2013/9/22

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主日礼拝説教要約

2013年09月22日 | 説教要約

「神の光で照らされる」 詩篇80篇8~19節

 この詩篇は、北イスラエル王国がアッスリヤに滅ぼされた直後に、北イスラエル王国を思って綴られた詩であります。1~7節では、来た北イスラエル王国は羊、神を羊飼いとしてたとえ、8~19節では、北イスラエル王国をぶどうの木、神を農夫としてたとえています。

Ⅰ 神から離れた者

 ぶどうの木としてたとえられている神の民を、神はエジプトから携え出し(8)、約束の地カナンに植えられ、丹精込めて育ててくださったのであります。ですから神の民は、神の祝福を受け、深く根ざした国は繁栄いたしました。しかし、神の民は神の栄光をあらわさず、長年神への不信の罪を犯し続け、神のみ顔を背けさせてしまい、アッシスリヤに滅ぼされてしまったのです。羊飼いを失った羊が迷い滅び、農夫を失ったぶどうの木が枯れるように。

Ⅱ 神に引き寄せられ光照らされる者

 神へのとりなしの叫びが記されています。耳を傾けて下さい。光を放って下さい。お救い下さい。もとに返してください。み顔の光を照らしてください。顧みてください。われを生かしてください。決して自分達では立ち上がる力がないことを認め、み顔を背けずにもう一度振り返って照らしてくださいと。神の前に悔い改め立ち返る時に、神は照らし神の民は救いを得るのです。

 救いを受け神の民とされながら、神から離れてしまっている者達はいないでしょうか?今日、新たに主の前に信仰をもって歩み出す者でありましょう。主はみ顔で照らして下さいます。

2013/9/22 説教者 杉本守

 

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講壇の花

2013年09月22日 | 生花
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主日説教要約

2013年09月15日 | 説教要約

「神のことばの広まり」 使徒行伝6章1~7節

Ⅰ 問題の中で

 弟子の数が増えていくにつれ、日々の配給がおろそがになるという問題が起こってきました。使徒たちだけでは手が回らない状態で、物理的組織的な問題です。また、ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブル語を話すユダヤ人がいてコミュニケーション的な問題もありました。これらの問題は表面的な問題であり、根底にある問題は、使徒たちが祈りとみ言葉を十分にできなくなるという本質の問題でありました。

Ⅱ 問題を逆手にとる神のわざ

 その問題の中で、共に祈る時に神から知恵を頂き、彼らは7人の奉仕に携わる人を選び、配給などの奉仕を任せたのであります。選ばれた7人は次のような人達でした。「御霊と知恵に満ちた人」とは、神との交わりを豊かにしている者であり、「評判のよさ」とは、人々と健全な交わりをしている者でありました。このことにより問題は解決し、より宣教が進んだのでありました。

 問題が怒ろうとも、それを逆手に取り神のわざをなされる方に信頼して、神の栄光を体験させていただきましょう。

2013/9/15 説教者 杉本守

 

 

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天のマナ

2013年09月15日 | 天のマナ

「信仰の財産」

 「聖霊によるみ言葉体験」「信仰によるみ言葉体験」が、クリスチャンの信仰の財産であります。まずは、聖霊によってイエス・キリストを救い主と信じ、罪を悔い改めた時、私達はみ言葉によって救い(義認)の経験を与えられ救われました。それは聖霊のわざであり、信仰によるみ言葉体験でした。その後のクリスチャンの歩みも、聖霊により信仰によるみ言葉体験の連続でありました。「きよめの経験」「献身の経験」「癒しの経験」「解放の経験」だけではなく、危機からの守り、悩みからの脱出、課題や問題を乗り越えるなど、クリスチャンの歩みは、このような信仰の財産を積み上げているものであります。会堂返済のことにおいても、私達はみ言葉の上に立ち、聖霊により信仰によるみ言葉体験をしています。次世代の伝道・育成についてもそうであります。あなたは、どれくらい体験しておりますか?これからも、み言葉を聖霊なる神によって、信仰によって体験させていただきましょう。「主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ」(詩篇19篇7節)

2013/9/15

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講壇の花

2013年09月15日 | 生花
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主日説教要約

2013年09月08日 | 説教要約

「神の栄光のために」 詩篇79篇1~13節

この詩篇は、エルサレムの荒廃を嘆く民の祈りであります。

Ⅰ 神の怒りと裁き

 BC586年のバビロン軍によるエルサレムの破壊(Ⅱ列王25章8~21節)が、この詩の歴史的背景です。神の都なるエルサレムは滅ぼされ、廃墟となり、神の民は多数殺害され、神の民は屈辱にあうのです。この原因は、神の民の罪に対しての神の裁きであります。神の民であろうと神に反し続け悔い改めないならば、神はその罪を罰するのであります。

Ⅱ 悔い改めと助けを求める祈り

 詩人は、悔い改めをします。先祖達の罪をも自分のこととして告白するのです。「神の民がこのままでは、神の御名が汚されたままになってしまう。神の御名の栄光のために神の民を顧み赦し回復してください」と願うのです。

 私達はいかがでしょうか。悔い改める罪人に、回復と感謝の機会を得させて下さる神を覚え、積極的に神に立ち返り、神を求めて歩ませていただこうではありませんか。

2013/9/8 説教者 杉本守

 

 

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