静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2024年01月28日 | 天のマナ
 「主イエスに見るクリスチャンのリーダーシップ」
 「自分の能力を示したい、人気を得たい、権力を手にしたい」という欲求を人は、いかに深いく持っているかとを思います。これらが効果的な働きを成すと考えますが、これらの欲求は神の召しではなく、誘惑です。自分の能力を示そうとする関心から祈りの生活へ、人気を得ようとする気遣いから相互になされる共同の働きへ、権力を盾にしたリーダーシップから僕として仕えるリーダーシップへ、これらが神の召しであり、主イエスに見るクリスチャンのリーダーシップであります。クリスチャンの指導者がたどる道は、この世が多大な勢力を費やして求める上昇の道ではなく、十字架にたどり着く下降の道です。その道は、喜びと神の平安に至る道、その喜びと平安は、この世のものとは異なります。愛のためにはいつでも、権力を放棄することのできるようなリーダーシップです。(「イエスの御名で」ヘンリ・ナーウェン著参照)。
「主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられていきます。」(Ⅱコリント3章18節)。
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天のマナ

2024年01月21日 | 天のマナ
「主なる神が支配しておられるのでより良くなる」
 2024年の第一回目のゴスペルのレッスンが先週の水曜日に行われ、新しい曲に取り組み、主なる神をほめたたえる歌詞を信仰告白としてささげた。その曲のタイトルは「Beter(より良い、より優れた)」で歌詞の1節を以下に記します。
「人が来て 人は去っていく 人生は思い通りにいかない 時には迷い気がめいる 
でも心配しないで 良くなるから 良くなる 大丈夫だから 良くなるから 良くなる 
神がコントロールしているから」
 なぜ、ベター(より良く)になるのでしょうか?それは神が支配しておられるからです。そう、すべては主なる神の御手の中にあり、世界も、私たち自身も、主なる神が支配しているからです。アーメン!ハレルヤ!
「キリストは天に昇り、天使たち、および、もろもろの権威や力を従えて、神の右におられます。」(ペトロの手紙一3章22節)。
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講壇生花

2024年01月14日 | 生花
新春、春がそこまで来ています
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天のマナ

2024年01月14日 | 天のマナ
「教区新年聖会の恵み」
 8日(月)の成人の日に今年も教区新年聖会が開催された。今年はその枝教会で対面でもたれ、同時にライブ配信もされた。数週間、ユーチューブに録画がアップされているので、ぜひ視聴いただきたい。
 午後は宣教大会で宣教のメッセージが、テモテへの第二2章9節の箇所から、「神の言葉はつながれていない」と題して語られた。そのメッセージの内容は、「宣教の主体は神であること。神が宣教を進めること。私達は平和の子を送ってくださるように熱心に祈ること。神の宣教の業のお手伝いを福音を伝えることすること」でした。(平和の子とは、神に心が備えられて神を信じようとしている人)。青く熟していない実はすぐに収穫することはできません。熟するようにさらに水を栄養を与えます。しかし、すでに熟している実は収穫することができます。エチオピアの高官(使徒8章)やコルネリオ(使徒10章)のような者がすでに熟している実です。フィリポとペトロは遣わされ福音を伝え洗礼を授けたのです。
私達も「主が備えておられる平和の子と出会わせて下さい」とまず熱心に祈りましょう。そして出会わせていただいたらなら、宣教のお手伝いをいたしましょう(福音を伝えましょう)。
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天のマナ

2024年01月07日 | 天のマナ
 「生かされている恵み」
 年末年始に我が家は、風邪やインフルエンザの中にありました。私は年末の5日間、クリスマスを終えた週は大人しくしておりました。その後、主に癒されて、なんとか12月31日の年末感謝礼拝式と1月1日の新年礼拝式の御用をすることができほっとしました。五日間の最初の三日間は、のどの痛み、熱、体の倦怠感があり、食欲はなく、薬、スポーツドリンク、栄養ドリンク、冷えピタのお世話になりました。健康の時とは全く違い、熱がある時は体を動かすのもひと苦労、何かしようとする意欲もなくなり、ただ寝て回復するのを待つという感じでした。病気になると普段意識しないでも、できていることができなくなります。食べること、着替えること、トイレにいくこと、風呂に入ること、料理に、掃除洗濯など。つくづく「健康って感謝だなあ」と感じました。時々、自分で生きていると勘違いする私、生きているのではなく、主なる神に生かされている私であることも再認識ささえていただきました。「苦しみ遭ったのは私に良いことでした。あなたの掟を学ぶためでした」(詩編119篇71節)。
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