静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2023年07月30日 | 天のマナ
 「サマーバイブルキャンプの恵み」
  先週の金~土曜日に浜名湖でサマーバイブルキャンプが持たれました。テーマは、「君はそのままで愛されている」で、講師の神学生が小学生~中学生の子供たちに三回のメッセージを語って下さいました。
 心に一番響いた言葉は、「主なる神にとってあなたの命の価値は、神のひとり子イエス様の命と同じです」でした。なぜなら父なる神は、あなたを救って神のものとするために、御子イエス・キリストを身代わりとして十字架にかけられたからです。人の命は尊いものであることは知っておりましたが、何か功績があるわけでもない私の命がそんなに価値があることに、改めて主なる神に感謝し、主なる神の愛を受け止めました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(新改訳イザヤ書43章4節)。
お祈りとご奉仕を感謝いたします。
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天のマナ

2023年07月23日 | 天のマナ
 「きよめの恵みの喜び」
 先週に夏季聖会が千葉で開かれ、会場には150名ほどが集まりました。また全国からユーチューブのライブ配信で多くの兄姉が聖会の恵みに与りました。今年の聖会のメッセージは、まさしく「きよめ」の恵みがダイレクトに語られたものでありました。私達は、イエスを救い主と信じた時に義認(罪赦され、義とせられ、神の子とせられ、永遠の命)をいただきました。そして「きよめ」もスタートしました。主なる神はさらに転機的なきよめの経験を与えてくださいました。これを経験する時、クリスチャンは成熟していきます。転機的なきよめの経験とは、「私の古き人(自我、原罪)が十字架につけられて死に、キリストと共に復活したことを信仰により認めることによって体験すること」であります。まさしく「私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私のうちに生きておられます」(ガラテヤ2章19~20節)の経験であります。この夏季聖会の特に第一回目~第三回目のメッセージを聴くことを強くお勧めいたします。
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天のマナ

2023年07月16日 | 天のマナ
 「み言葉を蓄えるとみ言葉が出て来る」
 2歳3か月を過ぎた上の孫が、しゃべり始めました。生まれてからこの間、日本語のシャワーを浴び続けた孫の口から、まず単語が、続いて二つの言葉がつながり、今は三つの言葉がつながっています。「ママ、ブブー(車)、運転」「パパ、おいしいよ、おいで」「ゆうひ(弟の名)、あっち、ねんね」などです。よく話す言葉は、「みんな 見て」で、みんなと目が合うまで言い続けます。2歳ながらに「見てもらう」「目が合う」という人格的な交流を持つことを要求してきます。テレビなどから英語も聞きますが、やはり圧倒的に日本語です。日本語が蓄えられ満タンになり、出てきています。2歳まではあまり話しませんでしたが、ここ3か月の言葉の上達は目覚ましいものがあり、これからもそうでありましょう。
神は多くの場合、み言葉をもって語られます。ですから、日常においてみ言葉を蓄えておりますと、内にあるみ言葉を思い起こさせて下さり、そのみ言葉によって勝利と平安を与えて下さるのです。み言葉を蓄えましょう。「キリストの言葉が、あなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい。」(コロサイ3章16節)。
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天のマナ

2023年07月09日 | 天のマナ
「神が私達を造られた目的」
 「わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」(イザヤ43章7節:口語訳)。
 「人間はなぜ存在した」のでしょうか?それは「神が創造された」からであります。では「人間は何のために創造された」のでしょうか。それは、「創造してくださった神の栄光をあらわすため」です。では、「神の栄光をあらわす」とはどういうことでしょうか。それは、「どんな時も神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」ことです。「このことに生涯忠実である」ことです。「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」(コリント第一10章31節)。日常のひとつひとつの中で、順調な時も逆境の時も、健やかな時も病める時も、食べている時も寝ている時も、神の愛に満たされながら、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること、そこに主の栄光があらわれるのです。

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講壇の生花

2023年07月09日 | 生花
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天のマナ

2023年07月02日 | 天のマナ
 「ちょっとお休み」
 年に2回くらい、「今日の天のマナを読み、主の恵みをいただき教えられました」という言葉をいただきます。「それは良かったです」と答えます。「あー読んで下さっているんだなあ」と感謝いたします。私が時々、「今週の天のマナに何を記そうか」とぼそっと言っていますと、妻が「毎週よく書いているねー」と声をかけ毎回励ましてくれます。パソコンに前に座り、聖書を開き、主の前に出て、「主よ、何を記しましょうか」と祈ります。そうしますと何かしら聖霊による閃きや促しが必ずあります。今回は特にこのテーマで記すようにというわけではなく、今の思いを記すように導かれたので、このように記しております。「振り返って立ち止まって、ちょっとお休み」とうことです。
「主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」(口語訳:詩編127篇2節)。主は寝ている時も、休んでいる時も、必要な糧(霊肉共に)を与えて下さっているのです。このような天のマナからも主の恵みがありますように。
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