静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年07月31日 | 天のマナ
「エリヤのカラスは神の使命を果たす」
 世界食糧不足が随分前から言われている。神が造られた当時の地球環境は非常に良かったが、人間の代表であるアダムが罪を犯したことから始まり、ノアの時代、そして今日も、戦争や地球温暖化によって、地球の環境は何度も破壊されてきた。飢餓地域では作物は全く育たないが、一方、肥沃な穀倉地域では豊かな収穫を得ている。食べれないで栄養失調な子供たちもいれば、食を大量にロスし廃棄していることも耳にする。世界は本当に食糧不足なのだろうか。
 ある人は次のように言う。「神は、『産めよ、増えよ、地に満ちて』『一羽の雀さえ、父なる神の許しがなければ地に落ちない』と言うが、神は人を本当に養っているのか」と。食糧不足の原因を神に置こうとしている。しかし、よく調べてみると神は人を養うために豊かな収穫を与えておられる。なのになぜ、食糧不足で飢える地域があるのか。それは、豊かな収穫を委ねられている者達が、神からの使命(分かち合うこと)を果たさず、食を大量にロスをしているからである。まさしくそれは神に原因があるのではなく、人に原因があるのである。多く委ねられた者は、多くの責任を負っている。私たちのすべきことは、食に関しても他に関しても無駄をしない。必要以上持つ時には分かち合うことである。ある時、「エリヤのカラス(列王記上17:1~7)はいなかった」という言葉を聞いてショックだった。実際は「いなかったのではなく、いたのに飛ばなかった」に違いない。このようなことがないようにと自らを律し、自分のできることを少しずつ始めている。
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天のマナ

2022年07月24日 | 天のマナ
「夏季聖会の恵み」   
 先週、千葉市川で行われた夏季聖会に6名で参加しました。二日間、5回の聖会で主の恵みをいただきました。どの聖会のメッセージも主の恵みに溢れていました。紙面も限られていますので、5回目の聖会のメッセージからいただいた主の恵みを分かち合わせていただきます。茅ヶ崎教会などを牧会しておられる教団委員の中道善次牧師が、ガラテヤ書5章13~25節から、キリスト者は歩む日々を三つのポイントで取り次いで下さいました。「①思いを聖霊にセットする②み言葉を心に書き込む③愛をもって互いに仕える」です。「霊によって」「霊に導かれている」「霊によって生きている」「霊によってまた進む」とあるように毎朝、時あるごとに、聖霊に思いをセットするのです。そうしなければ人は弱く愚かで肉(自己中心)の思い(19)にセットするからです。次に神のみ言葉をもって、どんなに自分が神に愛され赦されているかを自らの心に上書きするのです。そうしないとサタンの偽りの言葉に惑わされるからです。そして三つ目、主によっての罪から解放された自由を「肉(自己中心)を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい」(13)とあるように、仕え合っていくのです。これがキリスト者の日々の歩みであります。
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天のマナ

2022年07月17日 | 天のマナ
 「異端に注意せよ」
「しかし、民の間には偽預言者も現れました。同じように、あなたがたの間にも偽教師が現れることでしょう。彼らは滅びをもたらす異端を持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を否定して、自らの身に速やかな滅びを招いているのです。」(ペトロの手紙二 2章1節)。
 ペトロがこの手紙を記した当時、キリスト教の歴史も30年以上になり、多くの信徒が教会に加わってきました。そしてさまざまな異端が起こってきていました。異端の特徴は、三位一体の神を否定し、御子イエスの神性と人性:御子イエスは全き神であり全き人であることを否定し、イエスの十字架の贖いを不十分とし、福音の中心である罪からの贖いを否定します。現代も異端(旧統一教会:世界平和統一家庭連合、エホバの証人:ものみの塔、モルモン教など)があり、社会的な問題を起こしております。サタンの巧妙な業により、神との関係、隣人との関係が壊され、家庭が崩壊しています。私たちはこの終末の時代において、しっかりと聖書の真理に立ち、誤った教えに欺かれず、救の恵みを保っていく必要があるのです。
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天のマナ

2022年07月10日 | 天のマナ
 「ゆるされ温かく包まれる」
 男ばっかりの六人兄弟の四番目で生まれた私は、特に幼少から中学生までやんちゃで失礼なことばかりして、皆さんに迷惑をかけて生きてきました。小学校4年生くらいの時でしたか、友達に教会堂に住む副牧師(女性牧師)を誰かと聞かれ、副牧師のこともよくわからない私は、「お手伝いさん」と答えました。それだけではなく、私を始め兄弟たちは、その副牧師先生の注意はまったく聞かず、会堂をスポーツ広場に使っていました。40年前といえども会堂の奥にある日の光も入らない6畳の部屋で、忍耐をもって長年主に仕え教会に仕えてくださった先生は、どんなにご苦労されたことかと思います。様々な重荷の積み重ねでその後、精神的な疲れをおぼえられ、晩年は信徒の方と結婚されて牧師を隠退されていました。私の内には、「子供だったといえ悪いことをしてきた、次回会った時には謝らないと」という気持ちがありました。20年前、母の葬儀の時に、その先生が来てくださっており、私は近くに行き、「先生お元気ですか?私が小さい時、私も兄弟たちも先生に大変お世話になりました。多くの迷惑をかけました。申し訳なかったです」と言いますと、その先生は笑顔でその時を思い出すように「私もあの時は楽しかったですよ」と言って下さいました。そのひとことに、主にあるゆるしと共に温かく包まれる経験をしました。
「何よりもまず、互いに心から愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」(ペトロ一4章8節)。
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天のマナ

2022年07月03日 | 天のマナ
「大いなる神を信じさせていただいている幸い」
 牧師休暇をいただき、もちろんLCC(格安航空会社)で、南の島に夫婦で行きました。日常の歩みから離れ、非日常の島での数日、吸い込まれそうな南国の空、どこまでも続く岬、グラデーションの水辺、透き通った海中に差し込む太陽の光、様々な熱帯魚やサンゴ、満点の星空の中に身を置きました。神が造られた大自然の中で、「神はなんと偉大な方であろう。そしてこの神は、なんとちっぽけなこの私を愛して下さり、この神は、私の神であることを喜んで下さり、この神が私のような者と共に歩むことを願っておられるとは、何と幸いだろう」と深く思いました。父なる神の人間への愛は地球に溢れていますが、父なる神の愛の頂点は被造物にあるのではなく、御子イエス・キリストの十字架による贖いにあります。私たちが贖われるために、父なる神が支払われた代価を思うと、「よろしいかったのでしょうか」と問いたくなるほどです。人知をはるかに超えた父なる神の愛に圧倒されただただ驚くばかりです。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節) 
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講壇生花

2022年07月03日 | 生花
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