静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年10月30日 | 天のマナ
 「主を見上げる時の豊かな気づき」
 パソコンから少し空中に目を上げ、手をあごに添え、「今週の天のマナ、どんなことを書いたらいいかな~」とボソッと独り言を言いますと、「毎週、良く書いているねー」と後方にいる妻の声がいたします。最近、日々の出来事の中でも孫の話題が多い気がしますし、時には信仰の偉人たちの名言でも記すと良いのかもしれないなどといろいろと試行錯誤?思考を巡らします。けれども毎回、たどり着くところは、目線をさらに空中より上の天に上げ、「主よ、何を書いたら信徒の兄姉の励みになりますでしょうか」という祈りとなります。主はその都度、思いを与え示して下さるのです。今回は、「あなたが『天のマナ』を毎回書くプロセス(過程)の思いを記せば良い」と示されたで、記させていただいております。物事を始める時、また行き詰った時など、思っている思考や行っている働きをほんの少し(30秒でも1分でも)止め(休み)、主に問う時を持つと、主は豊な気づきを与えて下さいます。私も時々探し物をします。「主よ、私の不注意で見当たりません。憐れんで下さい。」と祈ります。すると思い出させ見つけさせて下さいます。日常の小さなことですが、信仰とはこういうことの積み重ね、連続の歩みであります。主と共に歩む素晴らしさをますます経験してまいりましょう。「主と共に歩む~ひとあしひとあし主にすがりて~」。
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天のマナ

2022年10月23日 | 天のマナ
「信仰のタスキを渡すこと」「恵があなたがたと共にあるように」(Ⅱテモテ4:19)
 新年の箱根駅伝を観るのを楽しみにしている方々も多いことでしょう。タスキを受け取りタスキをつなぐ。もちろん、どのチームも優勝を目指して走りますが、それだけが目的ではなく、タスキをつないでゴールすることをも目的としています。スターター(第一走者)、第二走者・・・ラストランナー(最終走者)と、タスキがつながる時に、観ている私たちも心が熱くなります。
 あなたはクリスチャン何代目でしょうか?スターターの兄姉もおられるでしょう。クリスチャンホームで生まれて第二走者、第三走者・・・である兄姉もおられるでしょう。どの走者も尊い走者です。そして次に信仰のタスキを渡していくために、今も激走されていることでしょう。
 私は孫に会う度に抱きしめながら、主の豊かな祝福を祈ります。「主よ、この子にアブラハムの祝福を、ヨセフの祝福を、ダビデの祝福を、何よりもイエスにある祝福を今日も明日も全生涯に注いで下さい」と。「主に愛され主を愛し、人に愛され人を愛し、主の栄光をあらわす器としてください」と。信仰のタスキを渡すこととは、まず私たちの内にある主の愛と祝福を渡すことです。新約聖書の中にある多くの手紙を記したパウロは、最後に祝祷を必ず記しています。
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天のマナ

2022年10月16日 | 天のマナ
「主の言葉に親しみ生きる」
 先日、ひとりの姉妹が日々に使っていたデボーションの本(静まりと黙想の朝に2:ヨシュア記~詩篇)を頂いた。すでにもっていたが、妻と共有していたので自分専用のものがほしかった。開いてみると、蛍光ペンでどのページも心に響いた箇所に線が引いてあった。もちろん難解と言われるヨブ記にもである。この本がそうなら聖書もそうであろう。しっかりと聖書を読み親しみ、主の言葉に生きていた姉妹であった。
 一年半前からグレース・チャペルでは、共同訳2018を使用するようになった。まだ慣れたとは言えないが、私はなるべく読んだ箇所で心に響く言葉や注目する言葉に遠慮なく線を引くようにしている。3年間くらいで、聖書を新しいもの(共同訳2018)に買え変えようと思っている。
聖書をきれいに読むものよいと思うが、み言葉が心に響いたならば、そのみ言葉に線を引くなりして親しみをもつのもよいと思う。「馴染む」という言葉があるが、聖書を手に取り読み、自分なりに馴染んで行くことが幸いなのだ。
「主の諭はまっすぐで、心を喜ばせ 主の戒めは純粋で、 目を光り輝かせる。」(詩編19編9節)
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講壇の生花

2022年10月09日 | 生花
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天のマナ

2022年10月02日 | 天のマナ
「そこにも主の助けがある」
  先々週、23日(金)の愛修会が行われ、またその夜からの台風による大雨がありました。
 愛修会では、三か所に行きました。主にある交わりの楽しい時でした。その中で、ひとりの御老齢の姉妹が目が回り、青ざめ体調が悪くなりました。近くにいた私は、椅子に座っていただき様子をみていましたが、自分にはこれ以上の対応ができないので、一緒に来ていた看護師の姉妹にお任せしました。しばらくしてその姉妹は横になられ、回復されていきました。主の助けに感謝しました。
 その日の夜、台風による停電、断水、浸水(床上、床下)が起こり、翌日には、姉妹方の家が床上浸水にあわれました。水は引きましたが泥水が床上に残り、家具などが被害を受けられました。その片付けや掃除は大変な作業で、ご家族は大変な苦労をしておられました。その日の午後グレース・チャペルから14名と島田の教会からも10数名、翌日の日曜日にもそれぞれの教会から10数名ずつが行き、ヘルプすることができました。そこにもここにも主の助けがあったことを感謝いたします。
 「神は我らの逃れ場、我らの力。苦難の時の傍らの助け」(詩編46編2節)なのです。
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