「罪人であるあなたを救う神」 ヨハネ第一の手紙4章7~11節
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」(ローマ人への手紙5章8節)
本日は音楽伝道礼拝です。新来会者、求道者の方々向けに伝道メッセージをとりつぎます。
「神を見せてみろ、見せたら信じる」と言われることが、たまあにあります。皆さんだったら、どうお答えするでしょうか。広島原爆投下の際、一つの出来事がありました。それは、ある妊婦さんがやけどを負いながらも、命がけで子供を出産し、そして亡くなられました。その子供は大きくなり、母親について言いました。それをまとめると、私は母親の顔も見たことも声を聞いたこともない。しかし、自分が存在するということは、自分には母親がいて命をかけて産んでくれたことであり、母親の存在とその愛を知り実感することができるということであります。
この宇宙、この地球、大自然、そして私たち一人一人からミクロに至る世界まで、神のはかりしれない英知が溢れています。神を見なくても、神の手のわざを見るときに、神の偉大さ、神の愛を知るのではないでしょうか。
「救い主が十字架に掛るなんておかしい」と言われることが、たまあにあります。皆さんだったら、どうお答するでしょうか。こんな話を聞いたことがあります。母親が嫌いな女の子がいました。なぜなら母親の顔にはやけどの跡があったからです。その娘は、母親と一緒に街を歩かず、母親のことを恥ずかしいとおもっていました。ある時、忘れ物を学校に届けに来てくれた母親に、ひどい言葉をかけてました。その夜、お父さんに呼ばれ、お母さんのやけどのことが語られました。お母さんのやけどは、隣の家からの延焼で二階に寝ていた娘を、命がけで助けた時のできたのものでした。自分を助けるためにやけどを負ったことを知らされ、彼女は自分が母親にしてきたことに胸が張り裂けそうなり、お母さんに泣きながら謝りました。母の愛を感じたのです。
罪のない主イエスが十字架にかかられたのは、あなたの罪を負い、あなたの身代わりであります。娘さんが気が付いたように、あなたは気が付きますか?母親は娘を愛しゆるしていました。あなたもゆるされています。その愛とゆるしを受け取ってください。
2013・3・30 伝道礼拝 説教者 杉本守