静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2024年06月30日 | 教会案内
「ただ主を誇る」           
 「家の家宝は何ですか?」と聞かれたら、ある方は、先祖代々より引き継がれてきた「絵画」や「格言」と答えるでしょう。また、「あなたの誇るものは何ですか?」と聞かれたら、ある方は、「家族です」と答えるでしょう。別の方は、「家」、「友人」、「学歴」、「技能」、「才能」、「功績」、「権力」と答えるかもしれません。では信仰者ダビデは何と言っているでしょうか。「ある者は戦車を、ある者は馬を誇る。しかし私たちは我らの神、主の名を誇る。」(詩編20篇8節)です。彼は、スリヤやアンモンの軍と戦う時に、自分の戦車や馬の数を誇らず、主の名を誇ったのです。それは、彼が「勝利は、戦車や馬の数ではなく、主なる神こそが与える」と確信していたからです。
実際に私たちが物事に直面した時、何をあてにして戦うでしょうか。目の前にある人や物、知識や技能を頼りにしているのではないだろうか。信仰者はそうではなく、主イエスをあてにし、主イエスの偉大な力によって強くされ、ダビデに勝利を与えられた主なる神を信じて進んで行くのであります。

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天のマナ

2024年06月23日 | 天のマナ
 「荒れ地においても咲く花のように」
「私の羊を飼いなさい。よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」(ヨハネ21:17~18)。
 このみ言葉は、復活の主イエスがペトロを再召命した時に語った言葉です。この世においてペトロを始め、主に従う私たちの行く手には予期せぬ悲しみや苦しみが起こります。しかし、私達キリスト者はそこで気落ちするのではなく、不毛の砂漠のただ中で生きる小さな花の美しさに驚くように、予期せぬ喜びに気づくことです。そして、尽きることのない泉の新鮮な水のように、苦痛の深みから湧き出る測り知れない癒しの力に気づくことです。この力とは、聖霊なる神の力です。神の力は私たちの内に働き、私たちのものとなり、どこに行こうと、どんな人に出会おうと、わたしたちの内から流れ出るのです。「『私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる』。イエスは、ご自分を信じた人々が受けようとしている霊について言われたのである。」(ヨハネ7章38節)。苦難の時こそ、「イエスを主」と告白させてくださった我が内におられる聖霊なる神に目を留め、この方に落ち込みましょう。 
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天のマナ

2024年06月09日 | 天のマナ
「人間の視点ではなく神の視点で見ることが信仰」
 この地上の世界を歩んでいますと、「突然に」「予想外に」ということが起こります。ある人達は、受け止められず「ありえない」と拒否します。他の人たちは「仕方がない」とあきらめます。また別の人たちは、「関係ない」と思考を停止します。しかし、私達クリスチャンは違います。人間の視点だけではなく神の視点を授かり、神の視点に立つ信仰をもっています。「このことが起こった背後には、どんな神の意図(ご計画)があるのだろうか」「神はこのことを通して何を私に示している(教え訓練する)のか」「神はこのことをどのように解決し、神の栄光を現されるのか」というものです。この視点は、神が聖書(み言葉)によって、その只中にある者に明らかにされるのです。だからみ言葉に聴かなければ、突き抜けずに悶々とし、堂々巡りに陥ります。神の視点で見るということは、「神の言葉である聖書の語っていることを信じる」ことであります。信仰の目で見る時に、拒否したり、あきらめたり、思考を停止したりせず、すべては益と受け止め勝利することができるのです。
「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるといことを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。
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天のマナ

2024年06月02日 | 天のマナ
「出て行く者に与えられる主の恵み」  
 三週間前から、月~金曜日(雨の日以外)の朝5時半から一時間ウォーキングに出かけ、行きには「きぼう」や「クリスチャン新聞福音版」をポスティングします。6時半には、通称「グリーンベルト」と呼ばれている公園で、お年寄りの方々(6名)とラジオ体操を一緒にします。最初の一週間はお互いに面識がないので、私は30メートルほど離れ一人でしておりましたが、6回目くらいでしたか、「一緒にやりましょう」と声をかけられて、今ではイツメン(いつものメンバー)の一人です。ラジオ体操後、「あなたどこの人?」とこれまた嬉しい声かけを受け、「あっちのゴルフネットの近くにあるキリスト教会の牧師をしております」と答え、「教会?あったけ?あーあーあったあった」と。私は、自作の名刺を渡しながら、「またガンカフェやこども食堂の案内、教会案内、コンサートのチラシなどをお渡ししますね」と。一組の夫妻は、「以前ゴスペルコンサートに行きましたよ」と。「主の民は」「平和の子は」「収穫は多い」「すでに色づいて刈り入れを待っている」とは、「この方のことかな?こちらの方かな?はたまたあちらの方かな?」と主に期待しワクワクしております。自分のことで終わらずに、主に仕える恵み、主にささげる恵み、隣人を執り成し祈る恵み、地域の方々に伝える恵みを体験したいのです。
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