静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年12月29日 | 天のマナ

 「主はわたしの助け主である」  (ヘブル人への手紙13章6節)

 今年もあと三日で終わります。この一年を振り返って、喜びも、悲しみも、充実したことも、苦悩したことも、お互いあったのではないでしょうか。また、自分との関係、隣人との関係で葛藤したこともあったでしょう。

 今年は何度か、マザーテレサの言葉を引用させていただきました。次の言葉もそうであります。「最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。あなたと他の人の間のことであったことは 一度もなかったのです。」

 嵐ともいうべき苦難や困難な出来事が起こっても、神との関係がまっすぐで豊かである時には、私達の内に平安が溢れていましたが、神と自分との間に、何かが入っていると不安で揺れていたのではないでしょうか。あの事この事、あの人この人と思うわけですが、鍵はそこではなく、自分と主なる神との関係はどうであるかが常に問われていたのであります。

 揺れ動く私たちをも支え助けて下さった主なる神に、この一年を感謝すると共に、新年、主なる神との自らの関係をさらにまっすぐに豊かにさせていただきましょう。

2013/12/29

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天のマナ

2013年12月22日 | 天のマナ

 「神を見上げるときに得られる平安」  

 米沢の田中信生牧師が、「こころのオシャレの三ヶ条」という講演で、次の言葉を語られていました。「人と比べる時間があったら、感謝することです」と。日本人は「安心」を人と比べて得ようとします。しかし、人と比べることからは安心は生まれてきません。自分より下の人を見てると優越感を得、自分より上の人を見ると劣等感を得るからです。それによってはヨーヨーみたいに自分の気持ちが上下するだけです。安心を得たいならば上を見ることです。「神様は自分を世界に一人しかいないユニークな存在として私を造って下さった。一度は神から離れていて壊れていたけれど、神は神の独り子をこの世界に送り十字架で犠牲にしてまで、私を愛してくださり直し救って下さった。それほどにわたしの存在を尊いと思ってくださっている。あれもできないこれもできない弱い私だけど、神様に造られ神様に愛されている私はなんて素晴らしいのでしょう」。神様からくる安心、平安をいただく時、そこから感謝と生きる力が湧いて来るのです。いつも上を見上げましょう。

2013/12/22

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天のマナ

2013年12月15日 | 天のマナ

「あなたの家の豊かなのによって飽き足りる」(詩篇36篇8節)

 今年一年も毎週木曜日の午前と夜に、教会の原動力である祈りがささげられ、祈りの灯火が燃え続けられてきました。また、土曜日の寒い朝、早天祈祷会に一人の姉妹が来られ、共にとりなしの祈りをしてきました。信仰の祈りは、神と教会を、神と教会に属する一人一人を繋げるパイプラインであります。神の愛、神の力、神のいのちが、この祈りというパイプラインを通して私たちに流れ込むのです。神のみ業が体験できず、神は私を顧みてくださっているのだろうかと言う前に、神と私を繋ぐ祈りというパイプラインは細いままなのではないだろうか、太くなっているのだろうか、十分に神の愛が、神の力が、神のいのちが流れるに間に合う太さになっているのだろうかと、自分を顧みる必要があるのではないでしょうか。祈りのパイプラインを太くし、神の家の豊かさを体験しましょう。

2013/12/15

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クリスマス集会のご案内

2013年12月15日 | イベント案内

クリスマス礼拝 12月22日(日)10:30~11:45

クリスマス祝会 12月22日(日)12:30~14:30

キャンドルサービス 12月23日(月・祝)19:00~20:30

キャンドルサービス 12月24日(火)19:00~20:00

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天のマナ

2013年12月08日 | 教会案内

「主の聖徒の死はそのみ前において尊い」 詩篇116篇15節

 マザー・テレサの言葉に、「大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。」とあります。また、「神は私に成功をおさめることではなく、真心をつくすように命じています。」「私たちは、成功するためにここにいるのではありません。誠実であるためにここにいるのです。」とあります。

 競争社会にある私たちは、「どれだけのことをしたか。どれくらいの成功をおさめたか」ということに目が向けられます。しかし、大切なのは、「どれだけの愛を、真心を、誠実を込め尽くしたか」であると本当に思います。利益、成功のみを追求していくならば自分も世界も枯れていくでしょう。

 静岡教会と清水教会においても、恩牧師は尊い働きをして下さいました。先生を通して私たちは、主の愛と真心と誠実をいただけたことを感謝いたします。

2013/12/8

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講壇の花

2013年12月08日 | 生花
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天のマナ

2013年12月01日 | 天のマナ

「平和をもたらす方」

 世界の誰もが、世界の民族の社会のそして家庭の「平和」を願っています。世界の誰もが、世界の民族の社会のそして家庭に「愛」が溢れるようにと願っています。しかし、「平和」や「愛」だけを見ていては、それらは成されません。

マザー・テレサは、次のように言いました。

 「沈黙は祈りを生み出し 祈りは信仰を生み出し 信仰は愛を生み出し

  愛は奉仕を生み出し 奉仕は平和を生み出します」

 「平和」や「愛」が、一足飛びに成されるのではないというのです。神の前に沈黙し神の御声を聞くことにより祈りが起こされ、祈りの中で信仰が与えられ、信仰の実が愛としてあらわれ、愛が奉仕というかたちになり、仕えるお互いにの間に平和が訪れるのです。まずは平和の源であり平和をもたらす神に沈黙をもって繋がることから始めましょう。

2013/12/1

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講壇の花

2013年12月01日 | 生花
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