静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教

2008年11月30日 | 説教要約
「救い主を迎える」  ヨハネ黙示録3章20節 

 本日からアドベント(降誕節)が始まります。救い主のご降誕を待ち望むのです。救い主イエスは、この世界に来てくださいました。本日は伝道礼拝です。救い主を迎えたいのです。
 
Ⅰ 心の扉を叩く救い主
 復活され昇天された救い主イエスは、今何をしているのでしょうか?それは、父なる神の右の座にて、あなたのために祈っているのです。そのことをこの節はよくあらわしています。
 主イエスは、あなたの心の扉の外に立っています。そして、あなたの心の扉をノックしているのです。また、声をかけているとあります。どんな言葉でしょうか?
「すみません」「ごめんください」「おられますか?」「開けてください」でしょうか。「あなたの名を呼んだ」とイザヤ書43:1にはあります。ザアカイに対しても名を呼びました。主イエスは、あなたの名を呼び続けているのです。
 しかし、このノックもあなたの名を呼び続ける声も止む時が来ます。その前に心の扉を開ける必要があるのです。

Ⅱ 心の扉を開けて救い主を迎える
 主イエスの声を聴いたなら、心の扉を開けて、主イエスをお迎えする必要があります。多少ちらかっていても構いません。主イエスは、あなたの全ての罪を赦し、すでにあなたを贖ってくださったからです。
 お迎えするあなたの心に主イエスは入って来て下さり、共に食事をしてくださるのです。「食事を共にする」とは、喜びと安らぎであります。あなたの心に喜びと安らぎが溢れるのです。

 主イエスをお迎えしませんか? 
 主イエスをすでにお迎えしている方は、もっと奥の部屋にお迎えいたしましょう。あなたの心は喜びと平安に満ちるのです。

2008/11/30 説教者 杉本守
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講壇の花

2008年11月30日 | 生花


 

掲載者:岩崎

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天のマナ

2008年11月23日 | 天のマナ
 「人を生かす言葉」

 「言葉」というものは、人を励まし希望を与え生かしもするが、その反対のこともする。「言葉」をどのように使うかは、その人の思いと選択にかかっている。
 
 世界的な有名なゴルファーが不調になった。その時に、その方の奥さんは、ご主人に次のようにアドバイスをしたのである。「あなた、左肩がもう少し上がっていると素敵だわ」。このアドバイスの言葉は、夫を復調させたのである。もし、彼女が「あなた、左肩が下がっているわよ。だから不調なのじゃないの」と言ったらどうだったであろうか。夫は、「素人のお前に何が分かるか」と怒ったかもしれない。

 同じ内容でも、言葉を発する前に、言葉の表現を相手の聞く立場になって、考えてみるのは愛の配慮だと思う。

 「また『受けるよりは与える方が、さいわいである』」を始めとする主イエスの言葉を一つ一つ振り返る。
 主イエスの言葉に生かされた者として、隣人を生かす言葉を語りたい。

2008/11/23
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主日礼拝説教要約

2008年11月23日 | 説教要約
「与える幸い」  使徒行伝20章18~35節 

 第三伝道旅行を終えたパウロは、エルサレムに向かいました。エルサレムでは迫害が待っていましたが、パウロは福音宣教の使命を果たします。
 エルサレムへ向かう途中のアジアのミレトで、エペソの教会の長老に決別説教をパウロはいたしました。

 パウロは、主イエスの言葉「受けるよりは与える方が幸い」を語り、この言葉を
実践してきた喜びを表したのでした。受ける人より与える人の方が輝いていて、受けるだけの人は、いつも不満そうな顔をしているようにしています。パウロは、与えることによって、主イエスから受けている恵みにますます感謝することができたのです。

 主イエスからいただいた福音は、与えればなくなるものではなく、与えれば与えるほど与える者の内に溢れ出て豊かにされていくものなのです。

2008/11/23 説教者 酒井有希子                                              
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講壇の花

2008年11月23日 | 生花

 

掲載者:岩崎

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天のマナ

2008年11月19日 | 天のマナ
 「愛するとは共にいること」

 上には上がいるものだ。
 今週は、泉の家で持たれたクリスチャンキャンプセミナーに二泊三日で行ってきました。泉の家はもちろん、松原湖、浜名湖、奥多摩、軽井沢恵みシャレー、錦秋湖、HIーBーAなど全国のキャンプ関係者が来られ幸いな時を持ちました。

 私はアバウトな性格ですが、私が霞むほどの性格も容姿も個性的な面々でした。アバウトさ、面白さ、情熱さ、変人さ!?大胆さ、青少年への愛・・・上には上がいるものです。

 多く教えられましたが、一つだけ記させていただきます。
40年近くキャンプに携わっている講師の先生に「長年継続できたキャンプへの情熱の秘訣は何ですか?」と質問をしました。「関わり続ける事です。愛とは一緒にいること」との応えが返ってきました。
 つまり、「先生はキャンプを愛し、青少年を愛している」ということです。愛とは一緒にいること、身を置くこと置き続けること、多くの有り余る成果がでなくても、離れずに一緒にいることです。これは、キャンプだけではなく、すべてに通じることではないでしょうか。嫌だったら離れていくし傍にはいない。

「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」
(マタイ28:20) 
「世の終わりまで」と主イエスの愛がほとばしりでています。

2008/11/16
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主日礼拝説教

2008年11月16日 | 説教要約
「人間の弱さにのぞむ神」 使徒行伝15章36~40節

 エルサレム会議も終わり、パウロとバルナバは第二伝道旅行へ行こうとしました。そこで一つの問題が起こります。この箇所より御言をいただきましょう。

Ⅰ 人間の弱さによる問題
 旅のメンバーを決める時、バルナバはいとこであるマルコと呼ばれいるヨハネも連れて行くことを提案しました。しかし、パウロはマルコを連れて行かないと言い、二人の間に激論が起こりました。パウロは迫害の中に行く今回の伝道旅行も厳しいものになるので、第一伝道旅行の途中で帰ってしまったマルコを連れていきたくなかったのでした。バルナバは、マルコにもう一度チャンスを与えることを主張したのです。
 マルコの人間的な弱さの失敗からもたらされた問題です。最高のパートナーであった二人を激論に追い込んだ自分の弱さとパウロはパウロなりに、バルナバはバルナバなりに自分のためを思って激論している二人の思いに、主の愛を感じマルコは砕かれたのでした。

Ⅱ 人間の弱さを神の御業の機会とする主なる神
 神は、この事(マルコの弱さによる失敗)とこの時(激論)を主の御業が現れると機会にしたのでした。マルコは、器が整えられ、バルナバと伝道旅行をし、後に第二テモテへの手紙でパウロは、「マルコはパウロの務めのために役に立ちます」と述べているのです。
 また、この機会を通して、伝道チームが二つになり、パウロとバルナバの関係もさらに深まり、無二の同労者として二人は歩んだのでした。

 神は人間の弱さのゆえの失敗さえも、プラスに変えて、宣教の前進の時とされるのです。万事を益にしてくださる神をほめたたえます。

2008/11/16 説教者 杉本守
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講壇の花

2008年11月16日 | 生花

掲載者:岩崎

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主日礼拝説教

2008年11月09日 | 説教要約
「信仰による救い」 使徒行伝15章1~21節

 主なる神の深い摂理の中で、教会の歴史上、重要なエルサレム会議がなされました。その内容と意義を観て行きましょう。

Ⅰ エルサレム会議の議題
 第一伝道旅行を終えたパウロとバルナバは、異邦人が信仰によって、ユダヤ人と同じ救いにあずかったことを報告いたしました。しかし、ユダヤから来た者達やパリサイ派から信仰に入ってきた者達が、クレームを付け論争となったのでした。そこで、使徒達を始め長老達が集まりエルサレムで会議が開かれました。その議題は、異邦人も信仰だけで救われるのか、それとも信仰だけではなく、割礼を受け、律法を守る必要があるのかでありました。

Ⅱ エルサレム会議での確認
 争論の後、使徒ペテロがコルネリオの救いを土台に、異邦人が救われるためには信仰だけで良いと語り、長老ヤコブもそれを支持し、信仰による救いを神はご計画し、それは神の深い摂理であると言い表しました。
 さらに、ヤコブはユダヤ人の古くからの習慣として4つのことをあげ、ユダヤ人キリスト者への配慮として、それらを重んじることを勧めました。

 行いによる救いではなく、信仰による救いとしての神の御心と御業がこのエルサレム会議で聖霊の導きにより確認されたのであります。
 「聖霊と私達は・・決めました」のです。

2008/11/9 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年11月09日 | 天のマナ
「神様からの『感謝』というプレゼント」
 
 私は牧師の書斎でよくメッセージテープを聴きます。主に小林師、村上師、大川師、加藤師、田中師の説教であります。一番多く持っているテープは当教会出身の大川師の説教です。また、田中師の講演「心のおしゃれの三か条」のテープは、18歳の時から今までトータルでこの同じテープを、200回以上は聴いて毎回教えられています。
 
 「心のおしゃれの三か条」とは、「シンプルに生きる、ユニークに生きる、ハーモニーに生きる」ことです。
 「シンプルに生きる」とは、あれこれ欲しいと思わないで今を感謝して生きることであり、「ユニークに生きる」とは、周りと自分を比べないで自分に感謝して生きることであり、「ハーモニーに生きる」とは、ぶつかり合わずに隣人を尊重し、接する一人一人を感謝して生きることであると受け止めています。

「すべての事について、感謝しなさい」(第一テサロニケ5章18節)の御言が響きます。主への感謝から幸いな人生は始まるのです。そして、感謝はすべてを幸いに変えていくのです。感謝ですね。

2008/11/9
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