静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

受難週の講壇の花

2021年03月28日 | 生花
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天のマナ

2021年03月21日 | 天のマナ
「み言葉の豊かさを知り体験する」              
 先週のデボーション・セルも主の恵みが豊かにあり、み言葉の豊かさを共に知り体験いたしました。ズームということもあり、千葉に転勤した兄弟も参加することができました。
 先週の礼拝式のメッセージ(最後の晩餐、十字架を前にして主イエスと弟子たちが過ぎ越しの食事をされた時、主イエスが新しい契約を結んでくださった箇所)を再び熟読し、そのみ言葉の恵みを分かち合いました。多くの箇所から改めて教えられましたが、その一つ、新しく気づかせられたことを分かち合わせていただきます。「言っておくが、私の父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどう実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」(マタイ26:29)を私も今までは、悲観的に捉えていましたが、その時は、主の約束として受け取ることができました。主の再臨の時、主イエスを信じ救われた者たちは、一瞬にして栄光の体にされ(栄化)、天に携え上げられ(携挙)、「小羊(生ける神の小羊:キリスト)の婚宴」の席に着くのです。歴史上最高最大の祝宴です。教会はキリストの花嫁となり、花婿であるキリストに迎え入れられます。ですからこの29節の言葉は、決して悲観的なイエスの言葉ではなく、「天の御国で、あなたがたは私とぶどう酒を飲むであろう」との祝宴の約束なのです。なんと素晴らしい、ハレルヤ!
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天のマナ

2021年03月14日 | 天のマナ
 「結局は主と私の関係が問われている」              
 私は、若い頃に学歴コンプレックスがありました。大学に行かず高校から聖書学院に行きました。「どちらの大学を出ましたか?」と聞かれると、答えられません。「大学の話題」ができると避け、面白くありませんでした。人は誰にでも、触れてほしくない話題があります。その背後には、心の傷やトラウマ、コンプレックスがあるからです。その話題が悪いわけでもなく、その話題を出した人が悪いわけでもありません。その人が出さなくても、そのうちに他の人が出すでしょう。問題は、私たちの内にあるものが反応するからです。それに捕らわれ縛られていて、癒され解放されていないからです。私は今は、「大学の話題」がでても、「平安」でいられますし、興味深くその話を聞きます。それは、主イエスによって、学歴コンプレックスから解放され癒されたからです。ある時、主が私に、ペトロみたいに横を見ないで(ヨハネ21:20~23)、「あなたは、私に従いなさい」と言って下さっていることを、しっかり受け止めたからです。問題は、人や環境ではありません。人や環境のせいにしていては成長はありません。自分の内に自分を縛っているものからの解決されるには、あなたと主との関係がどういうものかが問われています。
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講壇の花2

2021年03月07日 | 生花
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