静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2009年06月28日 | 説教要約
「神の前にきよく歩む」 マタイによる福音書3章1~12節

 先駆者バプテスマのヨハネの記事より、主のみ言葉をいただきましょう。

 旧約最後の預言者マラキから、中間時代と言われる約400年が過ぎていました。神の民は救い主を待ち望みます。マラキは、救い主が来る前に神は預言者エリヤを遣わし、神の民の心を神に向かわせる(マラキ4章5,6節)と語りました。

 そして、400年の暗黒時代を破るように、バプテスマのヨハネが荒野で叫ぶのでした。約束されたメシヤ時代の到来です。バプテスマのヨハネは、誕生の時、彼はエリヤの霊と力をもって民を整え主に向かわす(ルカ1:17)とみ使いを通して神に語られていました。彼の姿もエリヤに似ていました(列王紀下1:8)。彼こそがエリアの到来で、神は先駆者として彼を用い、救い主イエスの時代を始められたのでした。

 彼が叫んだ内容は何でしょうか
 一つ目は、「神の国が近づいた」であります。神の国とは、神の恵みと愛の支配です。神の恵みと愛とに満たされることであります。それは来臨によって始まり、再臨によって完成するのです。救い主の到来によってすでに神の国は来ているのです。
 二つ目は、「悔い改めよ、悔い改めの実を結べ」です。
 神の恵みと愛に満たされるためには、神から離れた歩みをやめ、神に従う歩みに方向転換しなければなりません。悔いるだけはなく、改めるのです。そうして、実を結んでいく。主イエスを救い主と信じ受け入れ、神に従う歩みをする時に、あなたのうちの神の国が訪れるのです。

 神の恵みと愛に満たされ、神に喜ばれるきよい歩みをしていきましょう。

2009/6/28 説教者 杉本守

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天のマナ

2009年06月28日 | 天のマナ
「選挙の夏にて」
 
 この夏に二つの選挙が行われます。一つは、本日の静岡県知事選挙です。もう一つは大きく国政を決める衆議院選挙であります。

 私達クリスチャンは、神によってこの世に置かれ生かされています。この社会で生き、学び、働き、歩んでいます。ですので、この社会における務めにおいても、キリストの栄光があらわされるように果たす必要があります。

「あなたがたは、彼ら(上に立つ権威)すべてに対して義務を果たしなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい」(ローマ人への手紙13章7節)
 
 できる限り選挙に行くのも、この社会に生きるクリスチャンとして、神の栄光をあらわすことであります。候補者の主張を聞き、よく考え、何よりも「この選挙に神の栄光があらわれますように、選ばれた者達が神の御心を行えますように」と祈りつつ、自らで決めた人に投票をするのです。

2009/6/28

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講壇の花

2009年06月28日 | 生花
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6/21 主日礼拝説教要約

2009年06月21日 | 説教要約
「私に呼び求めよ」 詩篇3篇1~8節

 この詩篇は表題にあるように、サムエル記下13~17章が背景となっています。この箇所から主のメッセージをいただきましょう。

Ⅰ 危機的な状況な中での嘆き
 ダビデ王には、優秀な議官アヒトペルがいましたが、ダビデの息子アブサロムの反逆時に彼はダビデ王を離れ、アブサロムについてしまいました。このことの故にダビデは王座を追われ、はだしで都落ちしていきます。
 息子の反逆、側近の裏切り、自らの育て方の誤りなど情けない思いと命を狙われる危険という中でダビデは嘆きました。

Ⅱ 神の救いと支え
 1~2節にあるように嘆きで始まっているこの詩篇ですが、3節からは変わります。ダビデは神に目を向け、この中で、「しかし、主よ」と信仰告白をしています。「主は私を囲む盾、私の栄え、わたしの頭をもたげてくださる方」と。
 こんな状況でも、神を見上げ、神に触れられた者は、平安をもって休み、主が救い支えてくださるという確信を持ち、神への賛美に嘆きがかえられているのです。
 神は、アヒトペル、アブサロムの策略をなきものにし、ダビデをもう一度王座に戻すのでした。

 主なる神は、私達が呼ばわる時に、救い支えてくださる方であります。
 この主に呼ばわり主の支えの中で、今週も歩んでいきましょう。

2009/6/21 説教者 杉本 守
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天のマナ

2009年06月21日 | 天のマナ
「神の働きに参加させていただく」
 
 庭いじりの好きな牧師がいた。彼が庭で作業をしていると、小さい息子が、「僕も手伝う」と言って庭に降りてきた。それで親子で庭いじりを始めたのだが、息子は荒っぽく植物を扱うので、その後始末に手が取られ、いつもの二倍の時間がかかってしまった。すべてが終わった時に、息子は家の中にいる母親の所に走っていって、「僕がみなしたよ」と叫んだそうだ。しかし、彼は友人に次のように話している。「僕は息子と庭いじりをすることが何よりの楽しみなんだ」。

 天の父は、子どもである私達の働きを必要とされるだろうか。彼はただ一人、言葉によって世界を創造された方である。私たちは手伝うつもりでも、かえって手間をかけてしまっていることのほうが多いのかもしれない。しかし、父は私たちと働くことが楽しみなので、あわれみによって私たちを招いてくださっている。だから、私たちも父と共に働くことを楽しもう。神を中心とした愛の交わりの中で、人が育てられていくというエキサイテングな働きに参加させていただこう。

           (バルナバのように人を育てる)福田充男師著より抜粋 

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講壇の花

2009年06月21日 | 教会案内
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主日礼拝説教要約

2009年06月14日 | 説教要約
「福音を語り続けた」 使徒行伝28章23~31節

 使徒行伝最後の箇所です。パウロがローマでどのように福音宣教をしたのでしょうか。共にみ言葉に聴き入りましょう。

Ⅰ 朝から晩までのべ伝える
 パウロは迫害のゆえに訴えられ、ローマでは軟禁状態でありましたが、ローマ側は、パウロに対して好意的で、束縛のためではなく保護のために、一人の番兵をつけ、一人で住むことを許されました。自由に出て行くことができないので、多くの人を招き、福音を語りました。
 最初にユダヤ人を。そして異邦人に朝から晩まで、神の国のことを証し、モーセの律法や預言者を通して、イエスがキリストであることを語ったのでした。

Ⅱ 教会の使命なる福音宣教
 以前は迫害の中でしたが、この2年間は、自由に語る機会が与えられていました。その後、パウロは釈放され、世界に福音を伝えていきます。こうして、主イエスの言葉の通りに、福音はエルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、地の果てまでのべ伝えられ、この日本にも伝えられたのです。

 カトリックが伝わって460年、プロテスタントも150年を迎えています。
そして、今も主イエスはこの福音を全世界に伝え、多くの者を救い、神に立ち返らせているのです。私達もこの福音宣教の一端を担わしていただいていることを感謝し、宣教に励みましょう。

2009.6.14 説教者 杉本守
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天のマナ

2009年06月14日 | 天のマナ
 「神に喜ばれる豊かな敬虔さを持つ」 
 
 礼拝10分前になると十数名の方々が、神を礼拝する敬虔な思いを持って、礼拝堂に座っておられます。そして、本日の週報に目を通し、ささげられる賛美のページを開き、語られる聖書の箇所を読み、祈りつつ神の前に出る厳かな姿勢で、礼拝を待ち望んでいます。その信仰の姿勢に、心あつくされます。

 彼らの姿を通して、「礼拝とは神にささげる」という神を神とし畏敬する信仰があらわれています。礼拝10分前に教会堂に座り、礼拝を待ち望むためには、土曜日(備え日)からの準備が欠かせません。主日の午前にしなければならないことは、備え日のうちにしてしまい、土曜日の夜は早く就寝されているに違いありません。もっと言いますならば、主日礼拝がクリスチャンの基本であること、クリスチャンの中心であることを深く自覚し、それに生きています。そういうクリスチャンをどんなに主は喜んでおられ、恵みを豊かに注いでおられるに違いありません。

 礼拝を最も重んじて生きる者が、クリスチャンであるからです。何よりも「礼拝」です。

2009.6.14
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講壇の花

2009年06月14日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2009年06月07日 | 説教要約
「神の言葉を口ずさむ」 詩篇1篇1~6節

 詩篇は、ヘブル語でテヒリーム(たたえの歌)です。しかし、中味は苦しみの祈り、悔い改め、感謝、王の歌、教訓などさまざまです。多くの嘆きの歌があるのに、なぜ、テヒリームなのでしょうか。それは、どんな涙の谷を通過しても、神を信じ、神と交わり、神に従っていくと必ず、神をたたえる歌を口にする日を迎えるからです。
 今日は、詩篇全体を要約したといわれる1篇のみ言葉に耳を傾けていきましょう。

Ⅰ 世界を正しく支配しておられる神
 「正直者はバカを見る」とか、「悪は栄え、善は衰える」という言葉も言われる世界ですが、この世界、歴史は、神が支配し保持し統治していて、一時的にどんなに悪が猛威を振るっても、必ず悪は滅び、神を畏れる者が勝利しています。それは世界、歴史を観ればわかり、証明しています。

Ⅱ 神の幸いをいただいている者の姿
 「幸い」とは、アシュレー(真っ直ぐに歩む)という言葉からでてきていて、本当の幸せは、神に対して真っ直ぐに歩むことであります。悪しきことから離れ、主の言葉を喜び、口ずさみ、思う歩みであります。
 神との交わりは、私達のすべてを満たすからであります。そして、そのなすところは皆、栄えるのであります。

 今週も、神の言葉をたくさん口ずさみ、幸いな者とされましょう。

2009・6・7 説教者 杉本 守

コメント (2)
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