静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

クリスマスコンサートのご案内

2007年11月26日 | イベント案内

 

 グレースチャペル・クリスマスコンサート
  ~あなたと祝う感動のクリスマス~

日   時:12月22日(土)
開   場:午後5時30分
開   演:午後6時
会   場:静岡キリスト教会・グレースチャペル
入場料:1000円(中学生以上)

【出演者】
与那城 敬(バリトン)
第18回奏楽堂日本歌曲コンクール第1位及び中田喜直賞受賞

山口陽子(ピアノ)
第18回奏楽堂日本歌曲コンクール優秀共演者賞受賞

【演奏曲目】
日本歌曲:出船/浜辺の歌/他
オラトリオ:マタイ受難曲より「我が心よ、己を清めよ」/メサイアより「トランペットが鳴ると」/他
クリスマスソング:み使いのたたえ歌う/オー・ホーリー・ナイト/他

【問い合わせ先】
日本ホーリネス教団静岡キリスト教会・グレースチャペル
静岡市駿河区中田本町13-30
Tel : 054-286-8323
Fax : 054-286-8347


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主日礼拝説教要約

2007年11月25日 | 説教要約
「生きている神を拝する」マルコによる福音書12章13~27節

 宮で教える主イエスのもとに、反ローマのパリサイ人と親ローマのヘロデ党の者達が、主イエスを陥れるために、結託し質問をしてきたのでありました。その中から、「税金」と「復活」についての記事から、御言に聴き入りましょう。

Ⅰ 神のものは神に
 「ローマに税金を納めて良いか」という問う者に、主イエスは、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」と応えました。それは、「人はこの社会に生き、生活をしている者として、この社会の恩恵にあずかっているのだから、社会に対する義務がある。それと同じように、神によって生かされ恵みをいただいている者は、神に対しても応えることが必要である」というものでした。この世での税金は、納入書が送られてきますが、神からはそういうものはありません。ですので、このことに関しては、私達の信仰が問われるのです。信仰によって、生きて今も恵みを下さる神に応答していきたいのです。

Ⅱ 神の力による復活
 二つ目の質問は、復活を信じない合理主義的な世俗的なサドカイ人からの「復活」についての問いでした。彼らは、天国をこの世の延長として考えていました。しかし主イエスは、天国はこの世とは全く異なること、天国に入る者は、天使のようにされることを語り、モーセの五書しか信じていない彼らに、その中より、「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」という言葉を引用し、神が今も生きていて、神を信じたこれらの族長達もこの世での歩みは終わったが、今は神のもとにあって、生きていると「神であった」ではなく「神である」といわれ、「復活」があることを示したのでした。

 税金のような経済生活にも、結婚という家庭生活にも、復活という信仰生活にも
生きている神を認め、キリスト者として歩んでいきましょう。

2007/11/25  説教者 杉本守
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天のマナ

2007年11月25日 | 天のマナ
「時にかなって美しい」
 
 先週の礼拝で、主は次の聖句から一人一人に語って下さいました。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3章11節)。

 主は、わざをなす時、絶妙な時を捉えます。それはまさしく芸術であります。私達は、その時にそうであると知ることもあり、時が過ぎて振り返って見て、そうであると知ることもあります。けれども、それでも私達の知る所は一部であり、主のなさるわざを見極めることができないほど、主のわざは美しいのであります。
 
 永遠の思いを主は私達に与えてくださっていますが、それをもっても主のわざは計り知れません。私達が天の御国に行った時に、さらに主のわざの美しさに圧倒され、驚きと共に知らされるに違いありません。
 
 先週、私は口に口内炎ができておりまして、話すのも飲食するのも、舌を動かすのも痛みを感じ嫌な思いでした。けれども、主はそのことが起こることを先に見ていて、この日に佐藤師を遣わしてくださる手はずを整えていて下さったのです。聖徒の皆様にとっても私にとっても恵みを受ける幸いな神の美しいわざでした。

2007/11/25
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講壇の花

2007年11月25日 | 生花

 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。
マルコによる福音書12章27節


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教会年刊誌「枝」45号発行

2007年11月18日 | お知らせ

 教会年刊誌である「枝」の45号が、2007年11月18に発行されました。これは教会員に配布されました。

 目次

  牧師の職務を考える    …………………………  1
  返事の来ない手紙    ……………………………  2
  私の信仰の歩み    ………………………………  4
  私は何のために生かされているのか?  ………  7
  救いの証し~私の信仰告白~ …………………  8
  「日々の光」より ………………………………… 14
  神様のご計画を信じて  ………………………… 15
  神様は真実なお方であるから  ………………… 16
  神様の愛   ……………………………………… 17
  たじろがない信仰をめざして  …………………… 19
  痛ければ痛みの中を・・・  ……………………… 20
  遥かなる大在家 ………………………………… 22
  救いの証し~トマスのようだった私~  ………… 24
  編集後記   ……………………………………… 26

※著作者名は省いてあります。
※教会員は、このすべての内容を閲覧できます。左側にあるカテゴリ「教会員専用(要パスワード)」をクリックしてパスワードを入力します。また、グレースチャペル掲示板(要パスワード)にも掲載されています。

掲載者:齊藤

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主日礼拝説教要約

2007年11月18日 | 説教要約

 今日の主日礼拝の説教は、青梅教会牧師の佐藤義則師が御言葉を取り次いで下さいました。その為、説教要約の掲載はありません。旧約聖書「伝道の書」3章11節から「その時にかなって美しい」と題してメッセージがなされました。午後2時からは、同牧師によって聖会が行われました。

■主日礼拝・式次第
招詞 : 詩篇100篇1~5節(司会者朗読)
前奏 : (奏楽者)
賛美 : 新聖歌263「罪咎を赦され 神の子とせられ」
使徒信条 : 新聖歌826p(会衆一同)
主の祈り : (会衆一同)
交読文 : 新聖歌41「詩篇127篇」(会衆一同)
祈祷 : (信徒代表)
賛美 : 新聖歌218「汚れと辱との」
聖書朗読 : 伝道の書 3章1~11節(司会者)
賛美の捧げもの : 新聖歌206「飼い主わが主よ」(ハンナ・セル)
メッセージ : 「その時にかなって美しい」(牧師)
賛美 : 新聖歌315「主の御手に頼る日は」(会衆一同)
献金
献金唱 : (会衆一同)
感謝祈祷 : (信徒代表)
頌栄 : 新聖歌63「父 御子 御霊の」(会衆一同)
祝祷 : (牧師)
後奏 : (奏楽者)
報告 : (司会者・他)

掲載者:齊藤

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講壇の花

2007年11月18日 | 生花

神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお、
人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。
伝道の書3章11節

                                         投稿 S・I

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天のマナ

2007年11月18日 | 天のマナ
 「枝」45号を読んで 

「枝」45号に引き込まれ、「あっ」という間に読んでしまいました。文章を読みながら、書いてくださった聖徒の方々の顔を浮かべ、悲しい思いを持たれた時には悲しみを、救われた喜びを持たれた時は「よかった。よかった」と喜びを、悩んだ箇所には悩みを、同じような思いを抱きました。

 そして確認したことは、まさしく一つ一つの証しは生きた証しであり、「神様は今も生きておられて働き、一人一人に触れ、造り変え、満たしておられるという」ことでした。神から受けた恵みの分かち合いは、なんと素晴らしいでしょうか。恵みは分かち合うと倍々と膨らんでいきます。重荷は分かち合うと半分半分に減っていきます。これからも恵みも重荷も自分一人の内にしまい込まないで、分かち合いたいと願うのです。

 そして、ある時には一人で、ある時にはセル・グループで、またある時には教会という共同体で主の恵みを受けたいのです。
 「わたしの恵みは、あなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(Ⅱコリント12:9)
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天のマナ

2007年11月11日 | 天のマナ
 「神と人の前に真実に歩むキリスト者」 

 賞味期限や消費期限の偽り、表示と中身が違う偽り、食品に限らずビルやマンション建築時の偽りに至るまでの「偽装」が、社会問題となっている今日であります。利益のみを追求し信頼を失っている人、会社、店が多くあります。そして、その誤ったことが表面に出ても、簡単には認めず隠します。隠し切れなくなるとやっと謝罪するのですが時すでに遅く、信頼を失っています。

 どうしてこういう事が次から次へと起こるのでしょうか。それは、真の神から離れた人間の罪深さが原因であります。「悪いことでも、人が見ていなければ表面に出なければよい」という思いが根底にあるのです。つまり「恥をかかなければよい」ということです。神から離れた者の姿は、神を畏れることをいたしませんので、こういう事が起きてくるのです。

 しかし、キリスト者は、誰が見ていても見ていなくても、神の前に常にあることを知っています。神の目の前にあるキリスト者こそ、この社会にあっても「世の光、地の塩として真実なる者、誠実なる者」となり続け、神にも人にも喜ばれ、神の祝福をこの世でも来る世でも受けるのです。

2007/11/11 
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主日礼拝説教要約

2007年11月11日 | 説教要約
「救い主を受け入れる」 マルコによる福音書12章1~12節

 神の国のメッセージを主イエスは、多くの譬えをもって語られました。その一つである「悪いぶどう園の農夫達」の譬えから、「救い主イエスを受け入れる」と題して御言をとりつぎます。

Ⅰ 救い主を受け入れない者達
 ここに出てくるブドウ園の主人は父なる神様を、農夫達は神の民であるユダヤ人、特にその指導者達を、ブドウ園は神が神の民に与えられた祝福(カナンの地など)を、ブドウ園の主人の僕達は旧約の預言者を、ブドウ園の主人の愛する息子は神のひとり子である主イエスを示しています。ブドウ園の農夫達がしたように、神の民らは、神の恵みに応えず、神から遣わされた預言者や救い主イエスに聞き従わずに、迫害し追い返し、死にいたらしめたのです。 
 神は、神の民から神の祝福を、救い主を信じる新しい神の真の民である教会に移します。そして古い神の民は裁かれるのです。現にAD70年にエルサレムは滅ぼされていきます。

Ⅱ 救い主を受け入れる者の幸い
 主イエスは、この譬え話を終えた後、詩篇118:22を引用し、「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった」と言われました。それは、古き神の民は主イエスを救い主と認めずに、拒否し捨てましたが、主イエスこそ救いの要の石であったのです。ペテロは次のようにいっています。
 「この方(イエス)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」(使徒行伝4:12)

 神の国の祝福は、現在、私達教会に注がれているのであります。しっかりとこの祝福を受け入れて、実を結ぶことによって応えていきましょう。
 
2007/11/11 説教者 杉本 守

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