静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2019年02月17日 | 天のマナ
 「喜びから始まる教会形成と宣教」

 ピリピ教会は、「喜びの教会」と呼ばれていました。なぜなら、パウロがピリピ人への手紙4章1節に「だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ」と呼ばれていますし、ピリピ書には「喜び」という言葉が何度も出て来るからです。私達が属しているグレースチャペルは、どのような教会と言われているでしょうか?教会に喜びがある、笑いがあるでしょうか?毎週の昼食などの交わりはとても喜びの時です。先週のグレース・キッズの遠足も楽しかったです。

 なぜ、私達クリスチャンは喜びがあるのでしょうか?それは、まず神に愛され、イエス・キリストの救いに与っているからです。罪赦され義とされ、神の子とされ、新しい命(霊の命、永遠の命)を頂き、天に名が記されているからです。神はいつも最善に私達を導かれ、私達はこの真の神に信頼し平安をいただいているからです。さらに、神の家族が与えられ共に祈り合い励まし合ってこの世を歩み、確実に神の国に向かっているからです。喜びのある所に教会は形成され、宣教は進められていくのです。「喜んでいますか?教会に来ても気難しい顔をしていませんでしょうか?」。  
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。」(ピリピ4:4)
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天のマナ

2019年02月10日 | 天のマナ
 「雪深く信仰も深くありたい」 

 牧師休暇をいただき、雪深い地にある二つの教会を訪問してきました。そこに遣わされている牧師先生家族とその教会に通われている方々と交わってきました。冬は家の前の雪かきが日課です。多い時には朝、夕、必要ならばお昼もです。駐車場が広い教会の場合は、なんと小型ブルドーザーで毎日二時間、牧師館の前を一時間と午前中が雪かきにとられます。日曜日の礼拝前や諸集会前にも雪かきからスタートです。信徒の方々も自宅の前の雪かきをし、そして外気がマイナス10~20度の中、車で礼拝をささげに来られます。極寒だからと言って、礼拝出席の人数が減ることはなく、他の季節とそんなに変わらないと言われていました。ほとんどの道は雪が積もりアイスバーン状態、通常広い道幅も半分は雪が高く積まれていました。私たちも少しだけ、雪かきを手伝いましたが、これが毎日となると「大変だな」と思いました。静岡は雪も降らず積もらず、とても良い気候です。1~2時間早く起きて雪かきはしませんが、雪国の教会の方々のために少しでも祈り、深い雪のように信仰も深くありたいです。
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天のマナ

2019年02月03日 | 天のマナ
 「洗礼を受けれる条件」

 洗礼を受けれる条件・資格とは何でしょうか?ある方は「聖書を全部読み聖書がわかったら」、またある方は「3年経ち教会の流れを知ったら」、他の方は「聖書にそくした良い思いを抱き良い行いができるようになったら」、また別の方は「奉仕や献金ができるようになったら」などと答えるかもしれません。しかし、聖書はそのようなことを条件としてあげていません。それらは救われた者が結ぶ喜びの実です。

 使徒行伝の次の二つの記事を見るとその条件がわかります。使徒行伝8章26~40節にはエチオピアの宦官の救いと洗礼の記事があります。ピリポによってイザヤ書からイエスこそが救い主であり、十字架によって救いがなされたことを聞かされました。そこで彼は、真心からイエスを救い主、神の子と信じ、その場で洗礼を受けたのでした。使徒行伝16章25~34節においても、ピリピの獄吏とその家族がパウロらから、「主イエスを信じなさい」と勧められ、神の言葉を聞き、彼らは信じました。そして、その夜、洗礼を受けたのでした。洗礼を受けられる条件・資格は、ただイエスを信じる信仰そのものであります。
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