静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2008年09月28日 | 説教要約
「神の前にへりくだる」 使徒行伝12章20~25節

 ヤコブを殉教させ、ペテロをも牢獄に入れ、獄屋番をも切り捨てた非情なヘロデ王が、カイザリヤで演説をした記事を通して、神のメッセージを受けましょう。

Ⅰ 高ぶる者への神の裁き
 ヘロデの怒りにふれ、食料の危機にあったツロとシドンの人々が特に、ヘロデの演説に対して、へつらいの叫びをいたしました。「これは神の声だ、人間の声ではない」(22)。ヘロデは、その続けられる叫びを受け、自らに栄光を帰しました。まさしく自らを神とする高ぶりです。
 それに対して、神は神の使いを遣わし、すみかに高ぶるヘロデを裁かれ、ヘロデは息絶えたのでした。

Ⅱ へりくだる者への神の恵み
 ペテロは、使徒行伝10章25、26節にてコルネリオから拝されましたが、ペテロは「自分は神ではなく人間です」と言い表し、拝されることを拒否しました。 
 パウロも14章8~のルステラでの癒しをした時、神として呼ばれ拝されましたが、パウロは「なぜこんなことをするのか、わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である」と言い表しました。自らは弱い人間であり、神に頼る者であると言い表したのです。

 ヘロデは高ぶり退けられ、ペテロとパウロはへりくだり神の恵みを受けたのです。「へりくだる」とは、苦しみの中で自分の弱さを知り、神のみにたよることです。

 今週もへりくだり、神の恵みを受けたいのです。

2008/9/28 説教者 杉本守
 
 
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天のマナ

2008年09月28日 | 天のマナ
 「Life 天国で君に逢えたら」      
 
 本日の夜9時~SBSテレビで、クリスチャンプロサーファーの生涯を描いた映画が放送されます。昨年、ライフセンターで買った本「ガンに生かされて」(飯島夏樹著)を、やっと手にして読みました。子供達の二人は、すでに読んでいました。

 ガンという病の中で、家族に支えられ、神を見上げて歩む信仰者の姿に、また天国への希望と病の中でしか得られない恵みを見せられ、心打たれ感動をしました。彼には死への恐れはなく、激痛の中にも力むこともなく、ありのままの姿がありました。そして、自分の使命をしっかりと握り、コツコツと果たし、天に召される時を待っている姿がありました。

「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」(ヨハネによる福音書9章3節)

 彼が病の中にあった時も、神のみわざが彼の上にあり、彼が天に召された時も、彼の上に神のみわざがありました。クリスチャンが天に召されることは、完全な癒しの時です。栄光の永遠の体が与えられるからです。

2008/9/28
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講壇の花

2008年09月28日 | 生花

 掲載者:岩崎

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主日礼拝説教要約

2008年09月21日 | 説教要約
「主の御心」 使徒行伝12章1~17節

 ヘロデ王のエルサレムにある教会の迫害によって、ヤコブは殉教し、ペテロも捕らえられました。この箇所から、主イエスの御心を知りたいのです。

Ⅰ 祈りにおける勝利を得なさい
 ユダヤ人の支持を得たくて、ヤコブを剣で切り殺し殉教させたヘロデ王は、ペテロをも捕らえ牢獄に入れました。国家権力による迫害によって教会が潰されようとしていました。
 教会はそれに対してどうしたでしょうか。デモ行進をしたり、有力な弁護士や権力者によって、あるいは力によって対抗したでしょうか。いいえしませんでした。教会は、最大の武器である「忍耐強く熱心に神に祈る」ことをしたのです。教会の武器は、信仰と希望と愛における祈りです。
 その祈りに応え、主なる神は神の使いを遣わし、ペテロを牢獄から救い出したのでした。不思議な神のわざです。

Ⅱ 信仰による勝利を得なさい
 なぜヤコブは殉教し、なぜペテロは救い出されたのでしょうか。ペテロには信仰があり、ヤコブには信仰がなかったのでしょうか。教会はヤコブのためには祈らなかったのでしょうか。いいえ、ヤコブにもペテロと同じような信仰があり、教会はヤコブのためにも祈ってました。ヘブル11章34と37節には、ある者は信仰よって剣を逃れ、ある者は信仰によって剣で切り殺されたとあるのです。剣から救われた者は力ある信仰があり、殺された者はもっと忍耐強い信仰の勇者でありました。
 命は神の御手にあり、神の深い御摂理の内にあります。ヤコブはこの世での使命を終えたからであり、ペテロはまだ使命が残されていたからであります。「わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である」ピリピ1:21
それぞれに神の栄光を帰しつつ生き、死んだのであります。

 祈りと信仰により勝利を得なさいという主の御心を知るのです。

2008/9/21 説教者 杉本守
 
 
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天のマナ

2008年09月21日 | 天のマナ
「理解と協力による実り」 
     
 ユースジャム08の一つの実が結ばれる。浜松教会の一人の青年が、ユースジャム08に参加し、他の生き生きしている教区の青年達とそれらの青年達の豊かな交わりを見て、主のWILL(意思)を受けました。

 それは、静岡教区の連合青年会(仮称)を立ち上げ、お互いに信仰を励ましあいながら、教会を支え教区を支える器になっていくことであります。一人の青年に語られた神の意思が、その青年の信仰の応答によって、実を結んでいこうとしています。

 それに対して、私達は何をしていけばいいのでしょうか。まずは、良き理解を示すことです。そして、祈り、私達のできることで協力(彼らの思いを聞き良きアドバイスをするなど)をしていくことであります。

 一つの実が結びかけようとしているのに、理解しなかったり、協力しなかったりして、「わたしたちが笛を吹いたのに、あなたがたは踊ってくれなかった」(マタイ11:17)というような、その実と青年の気持ちをしぼませることがないようにしたいのです。

2008/9/21
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講壇の花

2008年09月21日 | 教会案内

掲載者:岩崎 

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主日説教要約

2008年09月14日 | 説教要約
「クリスチャンとは」 使徒行伝11章19~26節

 異邦人(ローマ人)の百卒長の救いを機に、神の奥義である全世界の人の救いが開示され、展開されていきました。新約の時代が来たのです。

Ⅰ 異邦人の救い
 ステパノの殉教を機に散らされた信徒伝道者達が、フェニキア、キプロス島、そしてエルサレムから北に500キロにあるアンテオケまで、福音を伝えたのでした。
 このアンテオケにおいて、全く旧約のことをしらない接点がなかった異邦人(ギリシャ人)に福音が語られ、聴いた者は主イエスを救い主と信じて救われたのでした。

Ⅱ キリスト者と呼ばれる
 エルサレム教会のユダヤ人信者は、割礼を受けない改宗していない異邦人が救われたことに戸惑い、バルナバをアンテオケに遣わします。バルナバは、ユダヤ人が受けた救いと同じであることを認め、アンテオケの教会の人々を励ましました。
 こうして世界最初の異邦人教会が建て上げられたのでした。このアンテオケの教会の人達は、クリスチャン(キリストに属する者)と呼ばれました。

 私達、主イエスを信じている者は、クリスチャン(キリストに属する者)です。
属するとは、キリストの御心を知り、それにしたがって生きる者であります。決して自分の欲に生きる者ではありません。

 これからもクリスチャンでありましょう。

2008/9/14 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年09月14日 | 天のマナ
「栄養失調ではありませんか?」(マタイによる福音書4章4節) 

「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」。

「お元気ですか?」 
 これは両方の意味での問いかけです。肉体の健康と霊の健康です。食物は、肉体の栄養となり体を強くします。霊の栄養は、神の言(聖書)です。聖書を読み、黙想することによって、御言葉の命があなたを満たします。

 聖書によらないでは、霊の栄養失調状態、強い言葉ですが霊が枯渇し死にかけます。聖書を読まないで、どうして霊が健全に豊かになれますでしょうか。「不安、恐れ、不満、愚痴、つぶやき、にくしみ、ねたみ、怒り、欲望など」に支配されてしまうのではないでしょうか。

 聖書を毎日読み、御言葉を蓄えて行く時に、霊は神の恵みで満たされ、「不安、恐れ・・・など」は追い出され、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、忠実、柔和、自制」が神によって注がれ、私達の霊は健康になっていくのです。少しでも、とにかく毎日読むことです。

 デボーションブログを作りました。お役立てください。         http://blog.goo.ne.jp/holybible_wakuwaku

クリスチャン日本語インターネット24時間放送番組 http://japan.cgntv.net/sub.asp?gubun=0302

2008/9/14
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講壇の花

2008年09月14日 | 生花

 掲載者:岩崎

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主日説教要約

2008年09月07日 | 説教要約
「全世界の人の福音」使徒行伝10章34~44節

Ⅰ 隠されていた神の奥義 
 父なる神は、最初の人であり人類の代表であったアダムとエバが、神に背き罪を犯した時から、全人類の救いを計画しておりましたが、それは神の奥義として隠されていました。
 まず、神はアブラハムの信仰を通して、イスラエル人、ユダヤ人を、神の民の模型として選ばれたのでした。

Ⅱ 隠されていた神の奥義の開示
 主イエスによって救いがなされた今、父なる神はこの隠されていた奥義を開示いたします。全人類を救うことを明らかにされたのです。
 それは、使徒ペテロに、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」と言われ、異邦人に対する救いをコルネリオの救いを通して、公に始められたのでありました。
 コルネリオは、主イエスを救い主と信じ、神によって救われ聖霊が彼に臨みました。

今は、主なる神の救いが、日本の私達まで及んでいることを感謝するのです。

2008/9/7 説教者 杉本守
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