静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2008年06月29日 | 説教要約
「幸せな家族の秘訣」 創世記2章15~25節

 家族の中心は、夫婦であります。夫婦の愛情のこぼれで、子供は育つからです。結婚、夫婦、家族はいつ、どのように、誰が、何のために定めたのでしょうか?

Ⅰ 幸せな家族・夫婦
 天地創造された神は、創造の初めに、人間を造り、神の祝福としての結婚を制定し、夫婦、家族を人間に与えられました。それは「非常に良いもの」でした。
 最初に作られたアダムは、エバを見て喜び、世界で最初のラブソング、「あなたはわたしのすべて(私の骨の骨、肉の肉)」と歌いました。神はエバをアダムの「助け手」として備えたのです。「助け手」とは、お互いに向き合い、補い合うパートナーです。親から自立した男女が結婚において、夫婦となり、全人格的に結び合い一体となるのです。
 人間の繋がりには、いくつかの段階があります。「感情的な繋がり」「意志的な繋がり」「霊的な繋がり」とその繋がりは深くされていきます。人間の感情や意志は大切でありますが、上がり下がりします。「幸せな結婚」は、感情や意志だけではなく、霊的な繋がり(神がこの人を私の結婚相手としてくださった)が欠かせません。霊的なつながりは変わらないからであります。神を中心としていく結婚と夫婦生活、家族は本当の幸せを得れるのです。

Ⅱ 幸いな家族・夫婦になるために
 神に従い幸いな結婚と夫婦生活をしていたアダムとエバでしたが、サタン(悪魔)は、それを破壊しにきます。「神に従うよりも、自分が神となり、自分の基準で善悪を判断しなさい」とエバをまず誘惑します。エバは誘惑に負け、自己中心の歩みをし、アダムにも誘惑します。アダムもその誘惑に負けます。彼らは、神から離れ自己中心(自らを神とする)になり、そのゆえに、罪が入り、あんなに幸せだった夫婦関係が壊れていくのでした。

 幸せな夫婦、家族になるためには、自己中心を認め悔い改め、神に立ち帰りることであります。神が備えてくださった最高のパートナーと共に、神の愛を常に受けて歩もうではありませんか。

2008・6・29 説教者 杉本守
 



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天のマナ

2008年06月29日 | 天のマナ
「キッチンの壁紙の色は?」

 柿谷師の本の中に一つの話があり、私の考えも加えさせていただいて記したいと思います。
 一組の夫妻がいました。台所の壁紙をどの色にしようかと相談になりました。夫は、「ピンクが良い」と言い、妻は「グリーンが良い」と言います。夫婦は平等ですので、お互いに一票を持っています。「ピンク」に一票、「グリーン」に一票で決まりません。夫には一票の権利と共に、議長権があります。同票の場合は、夫の議長権が行使されます。ここで、夫の妻への愛が確かめられ問われます。賢い夫は、「キッチンでの働きは自分よりも妻がすることが多いので、妻が働きやすいようにしよう」と「グリーン」に決定するのです。しかし、いろいろな夫もいまして、「ピンク」で押し切る夫もいるわけです。そうした時妻は、夫には何か深い考えと目的があるに違いないと、いかにも自分が「ピンク」を選んだように、夫に従うのです。やがて、「ピンク」がしっくりこない夫は、「グリーン」にしようと言うでしょう。

 つまり、夫の議長権は、自分の願望を通すためのものではなく、妻への愛、家族への愛のゆえに行使され、妻や家族を幸せに導く権利なのであります。妻の仕えることは、盲目的に奴隷的に従うことではなく、夫の考えを尊重するという自発的なことであります。どうしたら妻は仕えてくれるのでしょうか?どうしたら夫は愛してくれるのでしょうか? 相手からしてくれたらではなく、神の愛をいただき、自らしていくことです。

2008/6/29
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講壇の花

2008年06月29日 | 生花

 

掲載者:岩崎

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主日礼拝説教

2008年06月22日 | 説教要約
「神を畏れる」 使徒行伝4章32~5章11節

 聖霊に満たされ、爆発的に宣教と教会形成がなされていた教会にひとつの出来事が起こりました。この記事から主の御旨を知らさせていただきましょう。

Ⅰ 主の恵みに応えたささげもの
 多くの人達が、主イエスの救いと恵みに感謝して、ささげものをいたしました。それを教会は、それを貧しい者や必要をおぼえている者に分け与えていました。
 「ささげもの」とは、義務や強制でなされるものではなく、罪深い私達に救いを与えてくださった主イエスへの感謝と喜びから、自発的になされるものであります。本当に彼らは救いを体験し感謝していたのです。ささげものは、この喜びから生まれてくるのです。

Ⅱ 主を畏れないささげもの
 一方、ここにでてきますアナニヤとサッピラという夫婦は、ささげる動機が違っていました。彼らは、感謝と喜びからではなく、競争心と名誉心からでありました。他の人に負けないように自分達もと。また、人からの誉れを得たいというものでした。また彼らは、聖霊を試みるたのであります。一部を全部と偽りささげ、それを「聖霊が知れるか、罪に定めるか」と共謀して試したのです。彼らは悔い改める機会をもないがしろにし、神の厳しい裁きを受けたのでした。
 教会一同は、今一度、神が生きておられることを厳粛に受け止めたのでした。神はあなどられるようなお方ではないのです。

 私達は、どのような姿勢でささげものをしているでしょうか?
主イエスへの感謝と喜びをもってささげ、主イエスの祝福をさらに受けたいのです。

2008/6/22 説教者 杉本守
  
 
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天のマナ

2008年06月22日 | 天のマナ
「フィルターを通して」 

 この現代は、情報過多の時代です。その中には、私達の社会生活に必要な情報があります。その反対に私達のためにならない悪い情報もあります。また、私達の魂を満たし生かす情報があります。私達の日々の生き方や心の満たしは、どういう情報を心に入れるかで、大きく左右されていきます。

 私達にためにならない悪い情報はどこにも溢れています。これらには、フィルターをかけ、こういう悪い情報をはじき、触れず、遠ざけることです。一般のテレビを見ることも必要な情報を受けることかもしれませんが、そのことに必要以上の時間を使わずに、ライフライン放送やインターネットで24時間クリスチャン放送を見ることが、私達の魂を満たし生かすのです。

 先週は、30本以上のメッセージテープを聴き、主の御言葉とメッセージに心養われ、メッセージと共に賛美が私の心を主の霊で満たし燃やしてくれました。愛する兄弟姉妹もメッセージテープや賛美のテープをたくさんお持ちであろうと思います。今週、いつも以上に聴いて見ませんか?私達の魂を満たし生かす御言葉や賛美に触れ、心にどんどん入れていきましょう。 

「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえった主イエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」
                       (テモテ第二の手紙2章8節)

2008/6/22
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講壇の花

2008年06月22日 | 生花

今、あなたがたは主を恐れ、
誠実と真実をもって主に仕えなさい。
ヨシュア記24章14節

掲載者:岩崎

 

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主日礼拝説教要約

2008年06月15日 | 説教要約
「神に聞き従う幸い」使徒行伝4章13~22節

 ユダヤの最高議会において、使徒達は大胆に主イエスが救い主であることを語りました。使徒達の姿を今朝も共に見ていきましょう。

Ⅰ 神に選ばれ召された器
 使徒達の確信に満ちた大胆な証しに、祭司長、律法学者、サドカイ派の者達は驚き、「この人達は、無学なただ人ではないか」と言いました。まさしく、使徒達は、「無学なただ人」でありましたが、彼らは主イエスによって救われ、聖霊を受けた人たちでありました。神は、あえて無きに等しい者を選ばれ、用いられるのです。
 訴える者達は、使徒達から語られたみ言葉とみ言葉に伴うしるし、主イエスの名によって癒された人が立っているにを見て、全く返す言葉がありませんでした。ただ、彼らは使徒達にこれ以上、イエスの御名で語ることをしないようにと脅かしたのです。迫害がここから始まりました。

Ⅱ 神に聞き従う器
 その脅しに対して使徒達は、「神に従うことが正しいのか、人に従うことが正しいのかを判断してもらいたい」と応え、「神に従うこと」、つまり、彼らの脅しに屈服せず、唯一の救いである福音とそれをなしてくださった救い主イエスを伝え続けたのでした。神に聞き従い、そして、さらなる聖霊の注ぎが使徒達にあり、福音は伝えられていったのでした。

いつもどんな状況でも、へりくだり神に聞き従う者を、神は用いられるのです。

2008/6/15 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年06月15日 | 天のマナ
「目を覚ましていなさい」 

 連日、ニュースで放送されている内容は、私達の心を痛めるものが多いことです。人間の罪深さはもちろんでありますが、サタンが、自らの終わり近いことを知って最後の猛威を振るっているのです。
 
 神から離れた自己中心の人間の心は、なんと痛み、荒れ、狂っているのでしょうか。ここ数年の悪サイトによる影響は、人間の心、人格をひそかにそして確実に蝕んでいます。サタンの巧妙な手口であります。また、地球の温暖化を含む異常現象や地震などによる自然界の悲鳴にも、悲しみをおぼえます。神の被造物である自然界も、新天新地をのぞみ、贖われたいと叫んでいるのです。
 
 まさしく、この時代は、確実に終末の時であり、主イエスが再臨される時が、すぐそこまで来ていることを深くクリスチャンは自覚し、世の人々とは異なる歩みをして行く必要があるのです。信仰の歩みという点において、世の人々に「あなたは私達と異なるね」と言われる者になりましょう。世の人々と同じ歩みをしていてはいけません。

2008/6/15
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講壇の花

2008年06月15日 | 生花

人間に従うよりは、神に従うべきである。
使徒行伝5章29節

掲載者:岩崎

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主日礼拝説教

2008年06月08日 | 説教要約
「キリスト以外に救いはない」 使徒行伝4章1~12節

 宮の門に座ってものごいをしていた生まれつき足の不自由な者を主イエスの御名の権威と力によって癒し、彼の心を神に帰させた使徒ペテロとヨハネは、宮を守っている宮守がしらと権力を持っていたサドカイ派の者達に、拘留されてしまいました。この記事から今日も御言葉に聴き入りましょう。

 Ⅰ 迫害の中にあって
 使徒達は、今も生きている主イエスの素晴らしい奇跡と救いをしたのに、捕らえられました。それは、主イエスの十字架と復活による救いを語っていた彼らが、復活を否定するサドカイ派の主張に沿わなかったからでありました。「真実」や「行われた奇跡」が問われるよりも、「その時代の権力に沿うか沿わないか」で迫害を受けるのは、どの時代も同じであります。
 使徒達は、二ヶ月前に不当な裁きを受けた主イエスと同じ、サンヘドリン議会(当時の最高議会)に出されたのでありました。

 Ⅱ 聖霊に満たされて
 復活を信じているパリサイ派もそこにいたので、復活の件に関して言及できないサドカイ派は、「何の権威によってあなたがたはしたのか」と問いました。二ヶ月前まで主イエスを裏切りさえしていた使徒達でしたが、この時は、最高議会で大胆に、「あなたがたが十字架につけた主イエスこそ救い主であり、復活されて今も生きている主イエスがこの人を癒し救った」と語ったのです。
 なぜ、彼らは大胆に命をかけて語れたのでしょうか?それは、事実、復活された主イエスと出会い、その後、聖霊に満たされたからでありました。

 私達クリスチャンも主イエスに会い、救われた者であります。聖霊に満たされて、この迷える社会に福音を伝えていこうではありませんか。

2008/6/8 説教者 杉本守
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