静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年08月26日 | 説教要約
「救い主の姿」 マルコによる福音書9章1~13節

 ペテロから信仰告白を受けてから6日後、主イエスは三人の弟子を連れて山に登られました。そこで本来の姿(永遠の栄光の姿)をしばし現されたのでありました。この箇所から本日も主イエスの言葉をいただきましょう。

Ⅰ 輝く主を見る
 主イエスはどんな姿を現されのでしょうか。それは主イエスが人間の姿を取られる前の姿で、その顔は日(太陽)のように輝き、衣も真っ白でした。弟子達は、畏敬の念に打たれ、臨在の主イエスの前に、ここに家を建てるほどあり続けたいと願ったのでありました。


Ⅱ 輝く主の使命
 その主イエスに二人の旧約の人物が現れ、主イエスと語り出します。旧約の律法を代表するモーセと預言者を代表するエリヤでした。その話の内容は、主イエスがエルサレムで遂げようとする最期の出来事(十字架)でした。最期とは「エクソダス」で、出エジプトを意味しています。モーセが、旧約時代にエジプトで奴隷となっていた神の民を解放したように、真の救い主イエスが十字架により、サタンの支配、罪の支配から救い出す真のエクソダス、真の永遠の救いであります。
 彼らが話し終えると天からの声がありました。父なる神から、主イエスこそ救い主(王なる救い主、受難の救い主)であるとの言葉でありました。

 主イエスこそ、救い主であり、私たちに救いを与え、罪の支配から解放してくださる方なのです。この主イエスの臨在の前に信仰をもって歩もうではありませんか。

2007/8/26  説教者 杉本守
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8月26日 天のマナ

2007年08月26日 | 天のマナ
「主に従う姿勢」
 
 夏季伝道チーム(修養生と青年)が、合計二週間に渡り、猛暑の中、宣教活動をしてくださいました。その内容は、教会学校案内やパワーフォーリビングの配布、中学生のお泊まり会、セルへの参加、祈祷会での奉仕、夕涼み会(子供達の集会)などです。これらの奉仕を喜んで積極的に誠実に奉仕して下さいました。疲れた表情や嫌な表情をせず、自らの考えを強く前面に出さずに、教会の要望や牧師の指示に「はい」と従ってくれたのです。

 彼らの姿を見て、20年近く前の自らの修養生時代のことを思い浮かべていました。このところ、「『はい』とだけいって奉仕をなすことがなくなってきたなぁ」と自らを省みさせられました。ついつい今までの経験から、「あれはこうじゃないか」とか「こうした方がいいんじゃないか」とか、考えている間、話している間に時間が過ぎて、時を失ってしまっていないかと。

 主イエスの御言葉をいただいたなら、「はい」とだけ応えて、その業をさせていただきたいと願わされたのです。
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講壇の花

2007年08月26日 | 生花

担当 J・S姉
                                            投稿 S・I

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主日礼拝説教要約

2007年08月19日 | 説教要約
「イエスこそ救い主」 マルコによる福音書8章27~37節

 主イエスは、しばし群集から離れ、弟子達を教育し訓練するための時間を持ちました。その最初に主イエスは、弟子達に「あなたがたは、わたしを誰だと言うか」と聞かれたのでありました。

Ⅰ 救い主なるイエス 
 主イエスと共に歩んできた弟子の一人であるペテロは、主イエスに「あなたこそ神の子キリストです」と応えました。「キリスト」とは、「油注がれた者」であり、旧約時代には、「王、祭司、預言者」の就任の時に油が注がれました。ダビデ以降、「キリスト」は、「救い主」として待望されてきました。まさしく、主イエスは、救い主としてこの世に父なる神から遣わされ、救い主としての公の働きを洗礼における聖霊(油)の注ぎによって始められました。ペテロのイエスを救い主として告白した信仰告白は、父なる神が彼に語らしめたものであります。

Ⅱ 福音によって救いをなす救い主
 主イエスは、この信仰告白を喜んで受け入れました。そして、この時より、十字架にかかり死ぬこと、三日目によみがえること、この福音によって、人間は罪と死から救われることを公に語り始めました。 

Ⅲ 十字架を共に負うて下さる救い主
 そして、弟子達に「自分の十字架を負って従ってくるように」言いました。自分の十字架とはそれぞれ違いますが、それを負うのです。十字架とは、喜ばしいものではなく、ある時には重荷となるでしょう。しかし、一人で負うのではありません。主イエスが、共に負って下さるのです。

 主イエスに役に立つためには、恵みを受けるだけではなく、神の栄光のために十字架を負って歩むことが必要なのです。

2007/8/19 説教者 杉本守
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8月19日 天のマナ

2007年08月19日 | 天のマナ
「とにかく福音を伝える」   
 
 17日にグレース・ジャム(高校大学生セル)が持たれました。前半は、静岡市体育館でスポーツを、後半は教会堂でカレー作りと賛美バイブルタイムと交わりの時を持ちました。牧師家族を含め23名が集いました。
 
 賛美バイブルタイムでは、「神・罪・救い」と自らの救いの証詞を通して、精一杯語らせていただきました。福音を語るときにいつもいろんなことを考え、時には期待と共に不安も抱きます。「わかるように伝えられるだろうか」「どんな反応をするだとうか」「素直に受け入れてくれるだろうか」「本当に届くのだろうか」などです。

 私達は、語る前に不安を抱き福音を語ることに躊躇することも時にはあるのではないでしょうか。そんな時は、自分の救いの証詞を語り、主イエスはあなたも救ってくださると加えればいいのです。私達の使命は、とにかく伝えるということが第一です。なぜならば、私達のつたない言葉でも、そこに聖霊なる神様が働いてくださるからです。       

 「聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか」(ローマ10章14,15節)
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講壇の花

2007年08月19日 | 生花

                                          投稿 S・I

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主日礼拝説教要約

2007年08月12日 | 説教要約
 「心の目を開いて」 マルコによる福音書8章11~26節

 「我が心の目を開いてください。主イエスを見るために」というワーシップ賛美があります。どうしたら私達は心の目が開かれて、主イエスを見ることができるのでしょうか。 

Ⅰ 心の目が閉ざされている人
 多くの奇蹟や癒しを目の前にしても、パリサイ人達は、イエスを救い主と認めず、「もっと多くの奇蹟をなせ」と奇蹟にのみ興味深々でありました。まさしく、自分達にそった救い主しか受け入れないという傲慢さがあります。神の前にへりくだることをしません。つまり、心の目が閉じていたのです。主イエスは、このような状況を見て、「パリサイ人のパン種(形式的な信仰)とヘロデのパン種(世俗主義)に気をつけなさい」といわれました。それは小さくても大きな影響を与えるからです。

Ⅱ 心の目を開いてくださる主イエス  
 続いて主イエスは、盲人を癒すことによって、体の目だけではなく、心の目が開かれる必要があることをお示しになりました。主イエスを信じる時に、自らの心の目が開かれ、神を見、体験し、救いを受け、心の目の開かれた歩みができるのであります。主の前にへりくだり、「心の目を開いてください」とお祈りいたしましょう。

2007/8/12 説教者 杉本守

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8月12日 天のマナ

2007年08月12日 | 天のマナ
 「あなたの若い日に」    

 教区キャンプが、9(木)~11(土)まで焼津青少年の家で持たれました。ゲーム、プール、工作など楽しいプログラムの中で、主イエスの救いを聴く二回の恵みの集会がありました。「病いを癒す救い主イエス」「罪を赦す救い主イエス」というメッセージで、子供達の心億深くに御詞が届けられました。

 メッセージの応答の時に、また、キャンプファイヤーでの恵みの分かち合いの時に、子供達は素直に、自らの内に感じた事、決心した事をそのままで語っていました。それを聴きながら、子供の心とはなんと素直で柔らかいだろうと思いました。聖書は、「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えなさい」とあります。大人になると様々なしがらみ、素直に受け入れない疑いの心、自分で抱え込んでしまう閉鎖的思いがあり、御言葉をそのまま信じることが難しくなるのではないでしょうか。

 あなたにとってのこらからの将来を見たならば、今日という日が一番若い日です。様々な事は横に置いて、心を開いて救い主の言葉を聴きそのまま信じてみませんか?素晴らしい御業があなたの上になされるでしょう。
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講壇の花

2007年08月12日 | 生花

担当 M・T姉
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天のマナ 8月5日

2007年08月05日 | 天のマナ
 「グレース・ジャムの恵み」

 かつてアメリカで暮らしていた時、近くのクリスチャン・カレッジに通う日本人留学生のために、当時留学中だったN師ご夫妻が月1回自宅を開放して日本料理を振舞い、賛美と祈りのと交わりの時を過ごすバイオラ・ミーティング“を開いておられ、私達家族もよく参加させていただきました。そしてそのような集いをぜひ静岡でもやりたいと、着任した10年前から実現を願い祈っていたのですが、祈り続けて約8年経った2006年1月、県立大学に入学したK兄が教会に友人を誘ったことをきっかけに、大学生&高校生の集い“グレースジャム”(通称グレジャム)がスタートしました。

 月1回持たれるグレジャムには、次々に新しい学生や留学生が加わり、毎回十数名で食事を共にし、賛美&御言葉タイムを持ち、楽しい交わりの時を過ごしています。一度参加するとリピーターとなる学生が多いことは大変嬉しく感謝です。

 今月は17日にスペシャルとしてスポーツ大会を計画中です。これからも一人でも多くの若者に福音を伝える機会としてグレジャムが祝され用いられるよう願っています。(K・S) 

 「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」ヘブル11:1
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