静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教

2008年12月28日 | 説教要約
「起きて歩め」 マルコによる福音書2章9~12節

年末感謝礼拝、一年の感謝を神にささげましょう。今年の御言をもう一度振り返ります。

Ⅰ 何もできない人間
 この中風の者は、自分で体を動かすこともできませんでした。そして、床の上に寝かされ続けていたのです。
 この姿は、私達にも当てはまります。何をしても、どうすることもできなった床、しがみついた床が今年あったのではないでしょうか。それはまた、砕かれ自分の罪深さと弱さ、高慢さを知らされた床でした。

Ⅱ 主イエスによる立ち上がり
 しかし、主イエスはこの中風の者に向かって、「起きて、床を取り上げ歩きなさい」と命じ、男を立ち上がらせたのでした。
 この姿も、私達に当てはまるのです。今年、主イエスのこの命じる言葉を、私達はそれぞれの床で聴きました。そして、私達は立ち上がらせていただきました。なんと感謝なことでしょうか。

 これからも、この主イエスの権威ある圧倒的な力の命の言葉を聴き、立ち上がり歩み続けようではありませんか。

2008/12/28 説教者 杉本 守
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天のマナ

2008年12月28日 | 天のマナ
「今日まで守られ」
  
 シメオン会のテーマソングは、新聖歌171番「今日まで守られ」です。月一回持たれるシメオン・セルで、毎回賛美されます。この賛美の歌詞を味いながら賛美をささげる時、主イエスによって一日一日、一ヶ月一ヶ月、一年一年守られていること、守られてきたことを改めて実感するのです。「生きてきた」のではなく、「神によって生かされてきた、守られてきた」のです。

 グレースジャム(高校大学生セル)のクリスマス会で、クリスマスメッセージの終わりに恵みの分かち合いをしました。一人のこれからクリスチャンになる青年が次のように言われました。「今までは神なんていないと思っていたが、教会に来て聖書の話を聴いてきたし、旅先で危ない所を不思議に守られた、神様はいるように思える」と。そう、神によって私達は、生かされ守られているのです。

 今年も今日を含めてあと4日で終わります。今年を振り返り感謝しながら、来年への神の御言をいただき、神の守りが豊かにある新年を迎えましょう。

2008/12/28
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講壇の花

2008年12月28日 | 生花



掲載者:岩崎

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主日礼拝説教要約

2008年12月21日 | 説教要約
「救い主に出会う」マタイによる福音書2章1~12節

 第四アドベントの礼拝です。世界で最初のクリスマス、救い主の降誕を見い出し、救い主に出会えた人はわずか、羊飼い達と博士達でした。どうして、博士達は世界で最初のクリスマスに、救い主に見えたのでしょうか。

Ⅰ 救い主を求める
 この博士達は、大国ペルシャで星の運行を観察しながら、季節の移り変わりや物事の吉兆を国の指導者に伝える役割をしていた、地位も名誉も財もある博学な博士たちでありました。
 彼らは、宇宙に広がる星々を観察しながら、その広大さ、力強さ、命にあふれることを感じ、それと共に自らの小ささや自らの存在の貧しさを知らされていたのでしょう。私達も大自然や大宇宙に心身を寄せますと同じことを感じるものです。
 そこへ、大きな特別な星が輝きます。彼らはその星に驚き、特別な特別なメッセージを受け取ります。それは、特別なユダヤの王の誕生です。ユダヤはペルシャから比べれば小さな国です。それなのに彼らは何ヶ月もかけて、労力、財、時をかけて拝みに行くというのです。彼らは、エルサレムに着き、ヘロデ王から、それは救い主(キリスト)の誕生であることを知り、特別な星、特別な誕生の意味がわかったのでした。

Ⅱ 救い主に出会う喜び
 彼らは星に導かれ旅を続け、星が一軒の家の上に留まった時、救い主に出会える喜びに溢れました。そして、まだ幼い救い主の前に、ひざまずき礼拝をささげ、黄金、乳香、役薬を贈り物をいたしました。この贈り物は、王の王であり、神と人の間でとりなす真の祭司、あがない主である救い主をあらわしているのです。博士達は、救い主に出会い拝し、喜びに溢れ帰途に着いたのでした。

 私達もこのクリスマス、博士達のように救い主を求め、救い主に出会い喜びで満たされましょう。

2008/12/21 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年12月21日 | 天のマナ
 「こころの貧しい人はさいわい」  
 クリスマスおめでとうございます。
 クリスマスとは、神に愛されている私達人間が幸いを得る時であります。

「こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。」
(マタイによる福音書5章3節)と御言にあります。

 ギリシャ語の「貧しい」と訳せる語は二つあり、一つは「ペネース」で、「余裕のないその日暮らし」という程度の貧しさを意味しています。しかし、ここで使われているのは、「プトーコス」であり、「貧困に打ちひしがれた状態」という強く深い貧しさをあらわしています。もちろんここでは、経済的な貧しさを意味しているのではなく、心の貧しさが語られています。

 つまり、自分の心には、自分をも人をも潤し平安を与えるものがない。私の心は、内側は、渇いていて不安があると認める者のことであります。どうして、このような者が幸いなのでしょうか。それは、真に自分を知って認めている者は、救いを真剣に求めるからであります。神を見い出そうとします。
 
 その結果、神を求める者を神はほっておかず、私達が神を見い出す先に、神が私達を見い出し救いの手を伸べ、神を信じる者を救い、心を神の平安の支配で満たすからであります。これこそ真のクリスマスであり、神の国の到来なのです。

2008/12/21
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講壇の花

2008年12月21日 | 生花

Merry Christmas


掲載者:岩崎

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主日礼拝説教要約

2008年12月14日 | 説教要約
「神われらと共にいます」マタイによる福音書1:18~25

第三アドベントの礼拝を共にささげらる恵みを感謝します。
ヨセフにあらわれた天使の記事から、主の恵みをいただきましょう。

Ⅰ 夫婦の絆を強める神
 サタンの働きは明白であります。それは、神と人との関係を壊し、人と人との関係を壊すことであります。神から離れた人は、自分を中心とし、人格が崩壊し、関係が混乱していきます。
 しかし、神は救い主を送ることによって、人を神の許へと導き、関係を回復しようとされました。神との関係が回復された者は、自分との関係、人との関係も回復していくのです。
 ここでの救い主イエスを地上に送ることにおいても、ヨセフとマリヤの関係を大切にし、ヨセフにもマリヤにも天の使いを遣わし、二人の絆を強くしたのでした。

Ⅱ 共にいます神
 神の独り子が救い主として、この世界に来られました。それは、神は遠い所にいるお方ではなく、共にいる方であることを全く示しています。嫌な者とは一緒にいたくありません。神は私達人間を愛しているから、共にいてくださるのです。
 「あなたと共にいたい」との神の気持ちが溢れています。しかし、私達は共にいてもらえるほどのものを持ち合わせていません。けれども、神はあなたを愛し、救い、あなたと共にいてくれるのです。なんと幸いでしょうか

 この神と共に歩んでいきましょう。マタイ書の終わりには、世の終わりまで一緒にいてくださると記されています。

2008/12/14 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年12月14日 | 天のマナ
 「光は闇の中に輝いている」
  
 昨日、刑務所にクリスマス慰問に行きました。グレースチャペルからは3名で、他の教会も合わせると15名でした。受刑者の方々は80名おられ、共にクリスマスの賛美を歌い、クリスマスのメッセージに耳を傾けました。本当に福音が届けられ幸いな時でした。

 私達人間は神に造られた尊い存在であるのに、神から離れた事によって罪深い存在となってしまったのです。多少にかかわらず大小にかかわらず私達人間は、失敗をしますし、時には罪を犯します。神から離れた人間は自己中心になっているからです。
 
 しかし、神は私達を愛しておられるがゆえに、私達を救うために神の独り子なる救い主イエスをお遣わしになられました。「すべての人を照らすまことの光があって、世に来た。」(ヨハネ1:9)。「そして言は肉体とり、わたしたちのうちに宿った。」(1:14)とあります。この救い主イエスによって、すべてが照らされ、信じる全ての人が神に立ち返り救われるのです。「光はやみの中に輝いている。そしてやみはこれに勝たなかった。」(1:5)

2008/12/14
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講壇の花

2008年12月14日 | 教会案内

 

 

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主日礼拝説教要約

2008年12月07日 | 説教要約
「私達を導く神」 マタイによる福音書1章1~17節

 第二アドベントの礼拝を共に守れて感謝いたします。主イエスの系図より、主の恵みを受けましょう。

Ⅰ 救いを必要としている人間
 この長い系図は、救い主の降誕の預言の成就を意味しています。まさしくイエスは、救い主としてこの世界に御降誕されたのでした。この系図に出てきます一人一人を見ていきますと、決して誇れるような人ばかりではなく、むしろ、不道徳な者や偶像の神を拝む者、大きな失敗をした者が多いのであります。まさしく、この系図は「人間の罪深さ」と「救い主を必要としている人間の求め」をあらわしているのです。

Ⅱ 救い主として来られた主イエス
 救い主イエスは、そのような人間、人間の歴史に救い主として入って来られ、身を置かれ、十字架と復活において救いを成されたのでした。神の救いの計画は、歴史の中に確実に展開していて、再臨の完成の日まで進められているのです。

 この救い主を信じ、今も共にいてくださる主を仰いで歩んでいきましょう。

2008/12/7 説教者 杉本守
コメント (1)
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