「生きた信仰を持つ」 マタイ25:31~46
主イエスのこの章での三つのたとえは、行為を問うているのではなく、信仰を問うています。主の再臨の時にはどういう信仰をもって歩んだか、信仰の質が問われています。十人のおとめの譬えは継続する信仰、タラントの譬えは主に忠実である信仰、羊とヤギの譬えは隣り人への愛としてあらわれる信仰であります。
Ⅰ 生きた信仰の質
主イエスへの生きた信仰は、隣り人への愛としてあらわれていきます。そして愛は、「いつしたのでしょう」と意識されていないほど湧いてくるものであり、自然であります。「してあげた」と意識されるものではないのです。
Ⅱ 生きた信仰に歩んだ結果
主イエスの救いにあずかり、主イエスとの生きた交わりにあるならば、主イエスの愛がその人の内に流れ溢れ、隣人へと広がっていくのです。そして、主の前に立った時、主イエスから、「父なる神に祝福された者達よ、御国を受け継ぎなさい」との祝福にあずかるのです。しかし、そうでなかった形式だけの信仰者や信じなかったものは、神の永遠の刑罰を受けるのです。
私達は、主が来られる日まで、信仰のともし火を灯し続け、その信仰が主への忠実として、隣り人への愛としてあらわれるものでありたいのです。
2013/1/20 説教者 杉本守