オリンピック選手も甲子園球児も口をそろえて言うのは、「これまで支えてくださった皆さん、お世話になった方々に感謝したい」という言葉。少し前までは、「応援してくれる皆さんに夢と希望を与えたい」だった。これを流行らせたのはマラソンの高橋尚子で、「私の走りを見てくれる人に元気を与えたい」からだ。90年代の有森裕子は、「自分で自分を褒めてやりたい」だった。時代の気分の移り変わりっていうのは重要だと思う。
『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』(吉田裕著 中公新書 2017年刊)
本書は、昨年12月末に刊行され、2か月で5版を重ねている。(5版と5刷の違いがわからない。)書店には地味に置かれているが良く売れている。そして良書だ。
僕らは、自分の意志に基づくことなく、軍隊に入ることも、戦場に行くことも、経験しなくて済んでいる幸運な世代だと思う。(現状の自衛隊入隊者はボランタリー)
軍隊とはどういうところなのか。戦場で戦うとはどういうことなのか。戦争で死ぬとは。本書を読むと想像力が喚起される。
僕の想像する戦死とは、ジャングルや山林のなかで敵との撃ち合いで銃弾に当たり、戦闘機で空を飛びながら、艦船の砲台で敵の砲弾で命を落とすというイメージだ。名誉ある戦死だ。
しかし、そのような死に方をする兵士は限られた者で、アジア・太平洋戦争における現実は、多数の無残な死だった。連日連夜の行軍による極度の疲労から来る自殺、マラリアなどによる病死、食糧欠乏による餓死、船舶の沈没による水没死、撤収に際し足手まといとみなされた傷病兵に対する処置死、隊内における古参兵によるリンチ死、狂死・・家族にとってはかけがえのない命が戦場で簡単に使い捨てられた。そしてその現実は家族に知らされない。
そうであれば、あの戦争とは一体どういう戦争だったのだろうか。僕は、一部の指導者に国民が騙されて巻き込まれた戦争だったとは思えない。「国民=被害者」という図式ではないと思う。国を挙げて、国民全体が全身全霊を賭けて遂行した戦争だった。歓喜とともに若者を兵士として戦場に送り出したのが現実ではないか。
本書は過去の出来事なのかと考えてしまう。僕らが生きている現在。日報の改ざんがあったといわれている南スーダンでの自衛隊員はどのような情況下におかれていたのか。今の自衛隊の組織倫理や隊内生活はどうなのか。
本書で著者は、「反戦」という言葉を一度も使っていないが、真実を描くことがどれほどのスローガンにも勝るということがわかる。
そうですよね。僕もそう理解していましたが、
僕の手元にある、この本の奥付には、
2017年12月25日初版
2018年2月25日5版
とあります。
2か月で5回も内容を書き換えているのでしょうか。