他者を評価する場合に、職業、地位、資産、学歴、性別、政治傾向、宗教、国籍、人種、障害、出自、容姿・・などを無意識のうちに自分の指標にしてしまっている。理性の次元では、それではいけない、その人物そのものが重要なのだとわかってはいるが、わが内なる先入観、差別は克服できていないと感じる。今回の森会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言を批判することに賛成したいが、自分の内部にも同様の意識が存在してないかを検証することの方が、僕がこれから社会で生きていくうえで重要だと思う。
『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)⑧ 「国家を考える」ノオト その10
最終章である『第7章 野蛮人の黄金時代』(P199~P232) から学ぶ。
ここでは野蛮人を、国家を持たない人びとと呼び、野蛮人にとっていい時代すなわち黄金時代とは、最初の国家群が登場してから野蛮人に対する覇権を確立するまでの期間をいう。
(通説)野蛮人は初期国家に敵対的であり、軍事的脅威をもたらしたが一定の条件下では国家に取り込むこともできた。野蛮人は初期国家に入ることはできたが、「文明人」が国家から出ることはなかった。歴史的、進化論的な最高の発達段階は、野蛮人を辞めて国家で納税者として暮らすことであった。
(著者)野蛮人は、穀物を主食にしなかった。彼らの移動性、分散性、多様性に富んだ暮らしにとって、収奪と国家建設の原材料としての穀物は不要だった。人類は数千年にわたって定住的な生業様式と非定住的な生業様式を往来していた。国家に集まった人びともいたが、国家から逃げ出す人びとも多かった。野蛮人の大多数は、国家による貧困、課税、束縛、戦争を逃れて周縁部へ逃げた。そのため初期国家の時代には、野蛮人が地球の居住可能な地域の大半を占有していた。
(著者)相対的に弱い初期国家と馬を操る多数派の野蛮人による長い共生の時期は、野蛮人にとっての黄金時代だった。野蛮人にとって近隣の初期国家は、交易パートナーだった。彼らは、初期国家との交易で利益をあげ、貢納品と略奪で利益を増やしながら、税と農作業の煩わしさは回避しつつ、栄養価が高くて多様性のある食事と大きな物理的移動性を謳歌した。
(著者)穀物と人口と家畜が1ヶ所に集中することは、国家にとって権力の源であると同時に、野蛮人(略奪民)に対しては致命的に脆弱だった。初期国家は、野蛮人の襲撃を防ぐために防備に大きな投資が必要だった。また、野蛮人に貢納金(みかじめ料)を払って略奪を免れるなど大きな財政負担を負っていた。
(著者)野蛮人が国家の騎馬隊ないし傭兵となって、他の野蛮人を見張るというような関係があったが、この関係には不吉な側面があった。初期国家と取引された最大の商品は奴隷で、野蛮人が別の野蛮人を連れてきていた。また、初期国家は野蛮人を傭兵に雇って国防に当たらせた。初期国家に仲間の野蛮人を売ることと軍事的に奉仕することによって、野蛮人は自分たちの黄金時代を自ら終焉させた。
(*僕)(まとめ)本書には多くの驚きがあった。定住は狩猟採集生活に適した資源の豊富な場所から始まった。定住→農業ではなかった。農業は、つらい生業だった。家畜との集住は伝染病のリスクがあった。穀物=国家だった。穀物は国家が徴税するのに最適な作物だった。文字も臣民管理のために誕生した。歴史は、狩猟採集→定住→国家に向かう一方通行ではなく、狩猟採集⇆定住⇆国家という行きつ戻りつだった。
未来社会を展望する上で、権力が発生する前の平等な人間関係、モノを経済的価値尺度で交換しない贈与という行為など、狩猟採集生活の形態から学ぶことができた。
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