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いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

通勤は古本を持って

2008年01月22日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 今になって読み始めたハリー・ポッター。ブックオフで"the Chamber of Secrets"を500円で手に入れて電車で読んでいたのですが、たまたま近所の「ダンシングベア」を覗いてみたら200円の"the Philosopher's Stone"がありましたので有り難く頂戴しました。

 ダンシングベア極楽店はフランテのすぐ北です。極楽息子(大)のゲームソフトを見に行ったのですが、こんな掘り出し物があるとは思いませんでした。全く読んだ形跡のない新本なので、卸の段階で売れ残ったのでしょうね。世の中には飽きっぽい人が多いので、話題のベストセラーも少し待てば安く買えることが多いです。実用書と違って、小説は古くなっても値打ちが落ちませんから、こんな獲物を見付けた時は嬉しいです。

 こちらは私が学生の頃、愛読していた「アウトライダー」に野宿ツーリングの記事を連載して人気のあった太田潤さんによるアウトドア料理の本。これはたった105円。当時は東京で学業に追われていましたので、自分で野宿旅行をする余裕もなかったのですが、寺崎さんと太田さんの自由奔放な旅行記を毎回食い入るように読んで、冒険とか放浪への羨望を抱いたように覚えています。「ナチュラルツーリング」の表紙を見ると、お二人ともかなりお年を召したようですが、ご健在で何よりです。

 400ccまでの免許は持っていますし、今でもバイクのツーリングを羨ましいと気まぐれに思うこともありますが、阿部典史選手(ノリック)みたいな世界最高レベルのライダーでも街中で事故死するんですからね。「上手ければ事故は防げる」という前提が完全に崩れたわけで、女房子供のある身としては偶然の事故で迷惑を掛けるわけにもいかず、今の状況ではバイクに乗る気になりません。

 こちらは通勤用じゃなくて息子用に買った本。学者の冒険とはこういうもの、という輝かしい古典です。ゲームじゃなくて悪いけど、ゲームより息子の血肉になってくれると思います。

 これも上下で210円。本当に安いです。極楽息子(大)もそろそろ絵本から字の多い本を読んで欲しいので。
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「ゆきとトナカイのうた」

2008年01月11日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)
 古本で入手した絵本です。絵本としてはかなりの長編で、テキストも多いので少し大きい子用でしょう。もちろん、読み聞かせなら1年生の極楽息子(大)でも大丈夫。

 明るい色調の絵に惹かれて読んでみると、極北に住む遊牧民族、サーメ人の本当に厳しい生活がありのままに描かれています。都会に住む人が安直に抱くような「自然との調和」なんて相手にもされない、ぎりぎりの環境での人と人、そして人とトナカイが身を寄せ合って生きる伝統的な暮らしぶりは、ひ弱になってしまった我々から見ると輝いて見えます。それにこの女の子、とても楽しそう。人間としての能力を精一杯に発揮して生きるのは気持ちがいいものなのでしょう。

 もちろん誰だって生活が豊かな方がいいので、時代に合わせてスノーモービルを取り入れるなど、遊牧の生活も近代化してはいます。この本はオランダで1988年に受賞、とあるので20年ほど前のことです。今ならきっとノキアの携帯を持って遊牧しているでしょう。

 昔は日本にも動物を狩ってそれだけで暮らすマタギや、北海道あるいは北方諸島の狩猟生活者がいましたね。サーメ人も人種的にはヨーロッパの白人と言うよりは、アジアの狩猟民族に近い部分があるようです。どこか心情的に共通するようなものも感じます。

 雪と氷の土地は本当に貧しくて、トナカイの餌と言っても夏に生える苔類しか頼れるものがありません。苔が不作の年はトナカイが飢え、人間も窮乏しなければいけないのです。こんな状況ですから、トナカイを殺しても決して無駄にすることはありませんし、神への心からの感謝を忘れません。我々だって、食事の前には手を合わせて「いただきます」と言いますね。食物は生き物。命を「いただいて」我々は生きられるのです。

 こんな説明をしながら読み聞かせると子供が静かに、熱心に聴いてくれます。お薦めですよ。
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「巨悪vs言論」

2007年10月18日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 最近の「通勤の友」になっている立花隆「巨悪vs言論」です。800ページ近い厚さで、しかもハードカバーなので携帯には向きませんから、ブックオフで見つけて以来、しばらく積んであったのですが、やっぱり読み始めると面白い!

 前代未聞の「首相の犯罪」であるロッキード事件が知られるようになってから、より一層の権力掌握を目指し、なりふり構わず司法干渉と言論操作に打って出た田中角栄が、民主主義の最後の牙城だけは崩すことができず、最後は時間切れで健康を害して政治力を失う。この一連の貴重な記録を、ドキュメンタリーとしてもサスペンスドラマとしても非常に興味深く読んでいます。あの時点で司法の独立性や言論の自由が侵されていれば、民主主義日本は実質的に瓦解し、すべてが闇の中で決まるマフィア国家に堕ちていたのでしょう。立花さんの田中角栄に関する一連の著作は、今なお価値を失わない立派な古典です。
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図書館処分品から「てのひらの闇」

2007年10月11日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 長久手図書館の本は少しずつ入れ替えているらしく、頻繁に通っていると不要になった本の処分に行き当たることがあります。公有財産の処分ですから特定の業者に払い下げることが不適当だと思われているのでしょうか、無料で利用者に譲渡してくれます。つまり早い者勝ちですね。

 古くなったと言っても内容が悪いわけではなく、十分に読む価値のある本でほとんど読んだ形跡のないものが手に入ることもあります。極楽妻がもらって来た本の中から文庫本を通勤時間などに読んでいるのですが、藤原伊織「てのひらの闇」は大いに楽しめました。

 作者が電通の社員と小説家の二足のわらじを履いた人で、その幅広い実務経験を生かした企業小説というジャンルになるのでしょうが、まるでよくできた剣豪小説や股旅物を読んでいるような達成感を得ました。主人公の堀江が剣の達人であることもその理由でしょうが、登場人物がしっかり描かれていて読むのが楽しい小説です。

 広告会社のサラリーマンである堀江は左手の甲にある火傷跡で闇の世界と繋がっている男だが、それと縁を切ったはずのコマーシャル撮影の現場で、一見闇と何の関係もない女優の加賀美からちょっとした親切として糸クズを取ってもらい、それを火傷と反対側の「てのひら」で受け取った。まさかこのことが巡り巡って再び闇の世界への扉を開こうとは思いもせずに。

 恩人であった会長は謎の自殺を遂げ、それが加賀美を守ろうとした高潔な行為であったと知った時、堀江はサムライとなって闇の世界に切り込んで行く。いいですねえ。義理と人情、というのはやはり日本人の琴線に触れるものがあります。

 ただ、敵陣に乗り込む堀江が、塩田組の名前を出せば立ち回りなどしなくても解決しただろうな、という見方は醒めすぎでしょうかね。ともかく娯楽小説としては完成度が高く、通勤の暇つぶし以上の収穫でした。こうした読んだことのない作家に当たるのは処分本の楽しみです。

 この巧みな筋立てと人物描写、特に現代のサムライと言うべき堀江の描き方に優れていることから見て、きっと藤原さんは時代小説を書いても成功したことと想像しますが、残念ながら小説家として脂の乗り切った今年、59歳という若さで亡くなられたことは惜しまれます。堀江と同じく酒豪として知られたそうで、多い時は一晩にウィスキー3本という無茶が食道癌を引き起こした原因でしょう。

 こちらも長久手図書館から頂いた「仮面の火祭り」。勝目梓さんは元々純文学をやりたかった人らしいですが、その方面で評価されないことで見切りを付けて娯楽小説に転じたそうです。

 話が凄く複雑で、どうまとめるつもりかと思ったら最終回で無理やり一件落着、というテレビドラマみたいなストーリーの小説で、設定にかなり無理をしています。スポーツ店の奥さんが不倫を隠蔽するために、生んだばかりの我が子のみならず不倫相手の彼女まで冷徹に殺害してほとんど証拠を掴ませない、という筋立てはあんまりじゃないでしょうか。それを冷静に観察してぼろを出すまで待つ主人も相当に不自然な人物です。

 リアリティのある人物は主人公と同僚ぐらいで、他の登場人物はエキストラみたいに存在感がありません。勝目さんは極めて多作の人ですが、この程度のものを量産しているだけならたいして魅力はありませんね。サラリーマンの娯楽小説って、こんなものだと思っているんでしょうか。

 これは小説じゃなくて題の通り放浪記。モザンビーク共和国がポルトガルから独立した年(1975年)に旅で意気投合したアメリカ人男性と共にアフリカ東部を放浪した竹谷マリさんの本です。モザンビークの首都、ロレンソ・マルケス(現在の名称はマプト)に滞在し、現地の白人と交流し、南アフリカの人種差別政策にはね返され、と何とも行き当たりばったりで無謀な旅の記録。類似の本がなく貴重な旅行記ですが、この調子ではどこで死んでいても不思議じゃないです。

 最後はあっけなくて、世間でよく言われる「金の切れ目が縁の切れ目」という結末みたいです。30年以上も前にこれだけ無茶な日本人女性がいたことが驚異ですが、今でも政情不安定な中東を「自分探し」などと放浪する若い人がいるのを聞くと、どうも止めようがないもののようです。その後の竹谷さんは著作を出していないので何をされているのか不明ですが、少なくともアフリカとの持続的な交流事業などには関わっておられないようです。検索してみたら、今年の二科展写真の部に同姓同名の入賞者がありましたが、同一人物かどうかはわかりません。
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大佛次郎集

2007年09月28日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 ゆるゆると続いているリサイクル文学集の読書。今度は大佛次郎(おさらぎじろう)集です。年輩の方には「鞍馬天狗」の作者として知られる人ですが、「詩人」「地霊」はロシア革命期のテロリストの活動を事実に即して描いた作品。

 尊王の志士である鞍馬天狗とロシアの暴力革命家が、大佛さんの頭の中でどのように解釈されているかは興味のあるところですが、いずれにしても官憲のスパイにしてテロリストの首領であったアーゼフや、戦局の悪化に日本の敗北を嗅ぎ取って蠢きまわる「帰郷」の登場人物など、二面性のある人格を描く大佛さんの筆は冴えています。今となっては叶わぬことですが、こうした筆致で、例えばCIAのエージェントでありながら日本の最高権力者として戦後日本の舵取りをした奇怪な人物、岸信介を描いてくれればさぞ面白い小説や映画になったと思います。

 諜報活動、つまりスパイ活動の究極は政治を操ることであり、非合法な情報収集や実力行使などよりも、資金提供による政権操作の方が本道です。戦後のアメリカ政府はCIAを通じて日本の政権中枢に資金を提供し、アメリカに都合のいい政策を実行させていたというのですからまさに「事実は小説より奇なり」です。経済界でも読売グループの正力松太郎がCIAの資金提供を受けていたとされ、アメリカ政府の意向に忠実な人物が日本の政治、経済の大物として活動していたことになります。

 こっちは読み聞かせ用の「くまの子ウーフ」。"woof"は低い唸り声で、"woofer"と言えば低音用スピーカーのことですから、低い声で読むのがいいのでしょう。古い本なので内容は素朴ですが、ウーフの一家はきちんと食器で食事をするし、料理も洗濯もするし、井戸のポンプが壊れて困ったとか、ずいぶん近代的な生活をしています。「ミッフィー」の熊版と思えばいいと思いますが、ミッフィーに比べるとキャラクターが地味ですね。

 と思ったら現代的にアニメ化されていて、今の子供が取っ付きやすいように工夫されているみたいです。
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「ペレのあたらしいふく」

2007年08月01日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 100年ほど前のスウェーデンの絵本です。今の子供にとってはまるで別世界の話で、昔は服1着を作るのもこんなに大変だったのか、と驚かれるでしょう。

 主人公のペレ君は子供ながらに羊飼いをして働いています。成長につれて一張羅の服が小さくなり、新調しないといけません。既製の服など売っていませんから、まず大事にしている自分の羊の毛を刈って、糸から作ります。貨幣経済が行き渡っていない時代ですから、糸を紡いでもらう代わりに労働を提供します。牛の番をしたり、子守をしたり、薪を拾ったり、小舟を漕いで町まで買い物に出たり、とペレ君大活躍。

 糸を染めるのは鍋に湯を沸かして自分でやります。この時代の子は生活力があるなあ。最後に仕立て屋で縫ってもらい完成。仕立て屋も農家の副業みたいで、お金の取れないペレ君の仕事を、「しょうがねえなあ。まあ、村の仕事はお互い様だから。」という感じで、例によってペレ君の労働と引き換えに受けている親父さんの表情がなかなか傑作です。

 この仕立て屋も、ご領主様や教会からの注文、数少ない結婚式の仕立てなどでは現金が拝めるのでしょうか。のどかな家内制手工業時代の生活ぶりが目に見えるようです。中学生に社会科の教材として読ませてもいいですね。

 「まほうのもりのプチブル・ベンベ」は本当に多作なかこさとしさんの魔法使い物。プチブルがBMWに乗る話じゃなくて、間抜けな魔法使いが子供に懲らしめられるストーリーです。「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」にも、壺から開放された魔人に食われそうになった知恵者が、魔人をおだて上げてまた壺に封じ込めるという段があったはずです。また、「彦一とんち話」でも彦一が天狗を騙して隠れ蓑(かくれみの)を取り上げる話があります。

 これらの古典に比べると、ちょっとこの絵本が生き残るのは難しいかなと感じました。かこさんの代表作である「からすのパン屋さん」などに比べると求心力がないもの。ストーリーが薄味なのはこの人の持ち味として、特徴のある絵があまり生きていません。動物にされちゃった子供たちにもっと重きを置けば、かこさんの身上である素朴な絵が楽しめたと思います。
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「おすもうさん」の悲劇

2007年07月12日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 元力士という経歴を生かして絵本や漫画を描く琴剣さんの代表作「おすもうさん」。将来を夢見て稽古に励む若い力士たちの日常が生き生きと描かれています。楽しい作品なのですが、ちょっと現状肯定が過ぎるかな、とも思います。大相撲のみならず日本の相撲はいくつも問題を抱えているからです。

 その問題の1つが顕在化してしまったのが、6月26日に時津風部屋の宿舎(犬山市)で起きた死亡事故です。稽古のダメージによる外傷性ショック、と言うと偶発的な事故のように聞こえますが、どうもその後の捜査では、昔から相撲部屋の陋習として知られる「しごき」によるものだったようです。

 「無理偏にゲンコツと書いて兄弟子と読む」と言われるように、兄弟子が寄ってたかって新弟子をしごく、いびるのは相撲部屋では当然のこととされてきたらしく、今でも残る「付け人」などの制度を見れば、相撲協会がこのような絶対的な上下関係を追認しているのがわかります。17歳の少年力士はこのような前時代的な慣習に押し潰されたとも言えるのです。

 相撲部屋はプロの力士を養成する機関ではありますが、昔から懐の深いところがあって、「あまり相撲向きじゃないけど」という少年を少なからず受け入れて来ました。関取になれるのはほんの一部、という厳しい世界である反面、行き先のない少年に寝食を与えて一人前に育て上げ、社会に送り出すという側面もあったのです。死亡した時太山(ときたいざん)はこの春に入門したばかりで、力士あるいはスポーツ選手としての実績はほとんどありませんでした。生活面で両親が不安を持っており、相撲部屋での躾を期待して入門させたようです。

 続報によれば、時津風部屋としては入門の事情を十分に汲んでおり、行き過ぎた稽古はしていない、としていますが、一方では遺族が遺体のあまりの惨状に目を覆ったとも言われています。時太山は何回か部屋から脱走しており、喫煙が止められないなど素行の悪さもあって、厳しくしてやろうと思われたのかも知れませんが、素人に毛の生えたような少年には過酷でした。

 この事件の影響もあったのか、名古屋場所の新弟子はついに1人もいませんでした。志望者が極端に少なく、単に体が大きいだけの少年を入門させなければならない現状を見ると、今回のような悲劇が繰り返される危惧は多分にあります。相撲部屋による力士の養成や社会との関わりについて、見直すべき時期が来ているのかも知れません。

 例えば、入門から一定期間は所属部屋によらず相撲協会がまとめて養成するとか、一部に学校方式を導入してフルタイムの拘束を止めるとか、時代に合わせた方法は考えられるのではないでしょうか。「親方と言えば実の親も同然」と過剰な責任感を背負っていては、今回のような「やり過ぎ」と縁を切れないように思います。
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「どうぶつえんのおいしゃさん」

2007年07月11日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 読み聞かせ日記の続きです。「動物のお医者さん」はベストセラーでテレビドラマにもなったコミックですが、こちらはもっと地味な「どうぶつえんのおいしゃさん」。獣医さんの苦労がひしひしと伝わってきます。こんな本ももちろん必要なのですが、苦労話ばかり羅列されても滅入ってしまうので、「動物のお医者さん」や「ドリトル先生」みたいなお気楽獣医さん本と併せて読むといいでしょう。

 これは極楽息子(小)がげらげら笑って喜んだ「トイレとっきゅう」。中身がわかっているはずはないのですが、語感が面白いのでしょうか。トイレが遠足でいなくなる、という発想はユニークでいいと思いますが、話に「落ち」がないのでちょっとインパクトのないストーリーになってしまった気がします。

 「トイレとっきゅう」の好きな極楽息子(小)です。遊び場を作ってもらったのですが、飽きると元のようにぐずってばかり。なかなか楽をさせてくれません。
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関西お笑い系絵本

2007年07月10日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 極楽息子(大)が抱腹絶倒して喜んだ「いかりのギョーザ」。吉本新喜劇の乗りでストーリーが進むので、主役である関西系フライパンのキャラクターをどう演じるかが聞かせどころになります。

 「ねぎぼうずのあさたろう」は広沢虎造風に、と読み方まで注文が付けてあります。こりゃ難しい。そんなこと言われても浪曲なんかほとんど聞いたことないです。お祖父ちゃん、お祖母ちゃんのいる家でも浪曲はほとんど聞かないでしょうから、相当に読者を選ぶ絵本です。ストーリーも古典的な時代劇の展開をよく知っていないと楽しめないでしょう。
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「おやすみなおちゃん」他

2007年06月27日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 今日はネタのない時に便利なインスタント書評です。すべて図書館から借りて極楽息子(大)に読み聞かせしたものです。

 「くまごろうのしりもち」はしりもちを繰り返して自分とネズミのために木の実を落とすツキノワグマの話。本物の熊は雑食性なのでそんなにお人よしではありません。

 「おたねさん」は意味不明です。おたねさんの畑には動物や虫がいっぱい。動物に食べさせるために畑を作っているのでしょうかね。表紙にあるような立派なトマトなんて、よほど手入れしないとできないものです。放置した畑にいっぱい作物ができて、動物と虫の楽園に、なんて現実味がなさすぎますよ。

 絵本も小説も、実話である必要はさらさらありませんが、「こういう世界もあるんだ」と思わせるリアリティがないと読んでも面白くありません。この2冊のストーリーはリアリティのなさゆえに周りの世界との接点がほとんどないので、読むことによって世界が広がるとか、豊かな想像が紡ぎ出されるといった効果があまり期待できないと思います。

 「100まんびきのねこ」は話が陰惨ですね。どの猫が一番きれいかな、と尋ねたら猫同士が殺し合いの喧嘩を始めてお互いに食べ合い、小さな1匹しか残りませんでした、という筋立てはもう少し何とかなりそうなものです。その間、猫を連れて来たお爺さんは「わしゃ知らん」と家の中に籠(こも)っていたのです。こんな人には猫を飼って欲しくないな。

 「おやすみなおちゃん」は今回の推薦です。屈託のない子供の寝顔だけでも見ていて飽きないものですから、これは大人が楽しく読める絵本だと思います。
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まがったかわとフェラーリ

2007年06月13日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 また図書館で借りた本です。「まがったかわ」は吉田遠志さんが70歳を過ぎてから精力的に制作した、17冊にのぼるアフリカのどうぶつたちシリーズの1冊です。子供向きの絵本で多用される動物の擬人化やイベントの誇張、感傷的な記載がほとんどなく、大自然の営みが淡々と描かれており、解釈は読み手に委ねられています。

 このような絵本を描く人もいるんだ、という新鮮な驚きを覚えました。マンガ流のストーリー絵本に慣れてしまった子供には物足りないのかも知れませんが、私に絵本を描く能力があれば、きっとこんな絵本が描きたかったでしょう。吉田さんは長年アフリカに取材し、自然をよく観察して、その奥深さを知っていたからこそ、このようなシンプルな表現に行き着いたのだと思います。

 絵柄も乾いたアフリカの草原を思わせるものでリアリティがあり、どの動物も草原という広大な劇場の一役者として控え目に、しかも生き生きと描かれています。この絵は写真集やテレビとはまた違った意味で、アフリカの草原に向けられた小さいけれど精密な覗き窓です。日本から遠く離れた大地で、日々繰り返される動物たちの物語は、吉田さんの絵本によって余分な色付けなしに子供たちの目に入ります。子供に読ませる価値のある絵本と言えるでしょう。

 これはフェラーリ好きの極楽息子(大)が借りた本ですが、まだ難しくて読めなかったようです。フェラーリの記念モデルである「エンツォ・フェラーリ」のデザイナーであり、ピニンファリーナのチーフディレクターを務めた奥山清行さんの本。

 イタリア人気質を象徴するようなフェラーリですが、意外にも開放的な組織で、外国人を含む外部のデザイナーを抵抗なく受け入れることで魅力を保ち続けてきたという経緯には少し驚きました。日本で言うところの老舗ではなくて、アメリカの一流企業や大学のような新陳代謝の活発な企業が、旧態依然たるイタリアの身分社会や職人制度の上に花を開かせたのがフェラーリの実態であるようです。

 奥山さんによると、一般の人がデザイナーの仕事だと思っている造形についての作業は仕事全体の3分の1に過ぎず、その前段階の商品企画と、商品ができてからのデザインのアピールを入れて全部の仕事になるのだそうです。つまり、商品企画の段階から、顧客にどのようなメッセージを伝えるか、マーケティングだけではなくデザイナーの主張も取り入れなければ魅力的な商品にならず、また完成した商品の魅力をどのようにアピールするかもデザイナーの仕事であり、従ってコミュニケーション能力の低いデザイナーは仕事ができないということです。

 すると、イタリアに比べてデザイナーの仕事が評価されにくい日本には優秀なデザイナーがいないのではなく、デザイナーを活用するシステムが完備していない、またデザイナーもコミュニケーションに慣れていないと考えられます。近年まで日本車のデザインがやぼったいとか、保守的でつまらないと感じたのは、単にデザイナーの造形能力がないのではなく、どうも構造的な問題があったようです。

 あと、奥山さんはイタリアのデザイナーの水平、あるいは上下の競争が活力の元であり、日本のような階層的な命令系統はクリエイティブな仕事にそぐわない、とされているようですが、日本でも研究者や医師の世界では奥山さんが書かれているような下克上は珍しくありませんので、特に欧米と比べて効率が悪いとは言えません。自分の能力だけが頼りの世界では、例え上司であっても「できないヤツ」の言うことなんか聞いてたら仕事になりませんからね。
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船乗りになる

2007年06月01日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 また極楽息子(大)のために図書館で借りた絵本です。話は単純で、船乗りに憧れる男の子、チム(本当の発音はティムに近いでしょう)が貨物船に隠れて乗り込み、洋上で見つかって「しょうがねえな」とそのまま下働きになったのはいいが、運悪く嵐で船が沈み、老船長と共に救出されて九死に一生を得るという冒険譚。

 古い本ですから、まだ少年とも言えないような子供がそのまま船で受け入れられるなど、さすがに今読むと無理な設定だと思いますが、それだけに命からがらの冒険にもかかわらずどこか親しみやすい雰囲気があります。こんな物語も悪くありません。

 さて景気が回復して海運業が見直されていますが、日本では船員になる人が深刻なほど不足しているのだそうで、つまり船乗りになろうという子供が少ないのです。仕方がないので、もう随分前から船員の多くがフィリピンなど東南アジアの人に取って代わられ、日本人が残っていた船長や航海士と言った高級船員にも外国人が進出しているのだそうです。

 私の子供の頃には、外国航路の船長さんは、国際線のパイロットなどと並んで尊敬の対象、羨ましい職業としてテレビドラマやアニメに出てきたような気がします。「ひみつのアッコちゃん」のパパが船長という設定じゃなかったかな。それに比べると、今は確かに登場回数が減っています。

 一般の人が大きな船に接する機会と言えば、外国航路ではありませんがフェリーボートだったと思います。ところが北海道連絡船も本四連絡線も、かなりの便が国策であるトンネルや橋に取って代わられました。旅行をする時に大きな船に乗る、という体験が遠のいてしまったのです。これでは子供にとって憧れの対象にはなりません。

 長い海運不況でテレビへの広告が減ったこともあるでしょう。でも「シーレーンを確保する必要がある」などと政府が論議しても、商船の運航そのものに日本人が責任を負えなくなってしまったら、かなり危ない状況になるような気がします。何ヶ月も海の上で滞在するなど特殊な世界なので、誰でも勤まるわけではないでしょうが、もう少し認知されてもいいと思います。フェリーの大半を表舞台から引き下ろしてしまった政府は、埋め合わせに子供が船と親しめるような企画を考えるべきじゃないでしょうか。
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長久手図書館から

2007年05月17日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 長久手中央図書館で借りた本です。書評に頼って本を選ぶのも悪くはないですが、実物を手に取って見るのは何よりわかりやすいので、こうして子供の本を自分で選べるのは便利です。

 航空史はテレビで見ても、本で読んでも本当に面白い。なぜかと言われれば、やはり失敗した人たちが大真面目で、途方もないエネルギーを飛ぶことに向けていたからだと思います。

 世界の子供の永遠の友、リチャード・スカリーさんの絵本。日常の生活が何て素晴らしいのか、猫のハックルと仲間たちが教えてくれます。

 ベルギー生まれの世界的ヒーロー、タンタンの記念すべき第1作、と思ったら本国と日本では出版順序が違いました。こういう意味のない変更は止めて欲しいです。フランス人は「探検はイギリス人向きだ。どんなまずい食べ物でも平気だから。」などとイギリス人の探検、冒険好きを揶揄しますが、タンタンの人気はベルギー人やフランス人も冒険が好きなことでは劣らない、と教えてくれます。

 これは息子じゃなくて私のために借りた本。要するに包丁の選び方、研ぎ方、使い方の本です。目が利かず、手が動かない素人は、せめてまず理屈でもわかった気になろうと思いまして。
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今日も絵本を読む

2007年05月11日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 書評で紹介されることも多い「ふきまんぶく」ですが、誰が見てもこの絵は不気味です。「麗子像」の首だけ外してきたような異様な迫力は、特に子供には受け入れにくいものでしょう。

 ストーリーも相当に独りよがりなもので、共感を得にくいと思います。少女がふきまんぶく(「蕗のとう」の方言)になって土の中で眠った夢の体験を忘れられず、山の上の蕗(ふき)の群落に惹かれて山を目指す、ということなのですが、そもそも大多数の文学的コンテンツでは「土の中で眠る」とは死を意味します。これがまず不祥です。そして、この異常な経験は、楽しいとも嬉しいとも書かれていません。楽しくも嬉しくもないのに、その不祥な思い出に抗いがたく惹かれていく。これは年端も行かぬ少女が、自ら死に近付いて行くという意味です。坪田譲治さんなら、間違いなくこの少女を死なせているでしょう。

 この暗さを払拭するためには、明るくて未来への希望を感じさせるような絵が必要なのですが、田島さんの絵はまさに逆で、ストーリーと相まって不吉な未来を強く暗示します。絵とストーリーが合っていると言えば合っているのですが、これではほとんど怪奇絵本です。

 最後の少女の生首がずらりと並んだような「ふきまんぶく」の絵は決定的で、もしこの話の続きを書けと言われれば、少女の悲惨な死をもって締めくくる以外に整合性はありません。これだけ読後感の悪い絵本が高い評価をされているというのは理解に苦しむ話であり、一体この絵本で読書への興味を引き出された子供がどれだけいるのか聞いてみたい気がします。

 田島さんの経歴を見ても直接の関連はないと思いますが、死への強い執着を力強い筆致で表した絵を見ていると、メキシコ・ルネサンスと言われる絵画活動を連想してしまいました。ご興味のある向きは名古屋市美術館においで下さい。同館がテーマとして収集しているメキシコ・ルネサンスの画家であるオロスコ、リベラ、シケイロスの力強い作品がお迎えすると思います。そうそう、「ふきまんぶく」をまだ子供に読ませていない方は、どうかご安心下さい。こんな本で子供は本好きになりません。これは大人のための読み物だと思います。

 こちらは多作のベテラン、かこさとしさんがさらりと描いた印象の絵本。読みやすいし、子供の反応に応じた演出もできるでしょう。いい本だと思います。
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中国古典から

2007年04月17日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 極楽息子(大)の読書日記が続きます。「三国志演義」で有名な諸葛亮(孔明)が、西暦208年の有名な「赤壁の戦い」を前にして計略を用い、10万本の矢を味方にもたらした、という逸話ですが、これは実際には(「演義」で敵役となっている)呉の将軍、周瑜の策であったらしいです。

 魏、呉、蜀の三国時代ということになっていますが、実際には曹操の率いる魏が中華の主要部を統一しており、水軍を擁する呉と四川盆地に逃れた蜀が地方政権として生き永らえたのが真相のようです。「三国志演義」は蜀の立場から書かれた物語なので、劉備は血筋の正しい義人、諸葛亮は人知を超えた万能の政治家兼将軍となっています。

 魏、呉に比べて明らかに劣勢であった蜀が独立国として生き残るためには、尾ひれの付いた「諸葛孔明の伝説」をも最大限に利用したはずであり、何倍もの魏軍を策略で撃退した、という風評が必要だったのでしょう。実際には魏軍が手こずったのは、この水郷地帯を根拠地とする呉の水軍と、この時流行した伝染病であったと言われています。それでも力任せに攻めれば魏が優位だったはずですが、無理をしないでも中華の統一は時間の問題、と判断した曹操の判断で退却となりました。

 この辺は情に流されない曹操の合理主義者の顔が垣間見える感があり、後に関羽の弔い合戦と称して無謀な戦いを仕掛け、有能な将兵を失って蜀の自滅を早めた劉備など及びもつかないところです。魏の立場から見た三国志もさぞ面白かろうと思うのですが、曹操は詩人として名を留めるほどの文人だったにも関わらず、脚色や作られたヒロイズムを嫌う人だったようで、自分の葬式についても徹底して簡素であることを命令しています。英雄譚の主人公としてはそぐわない人なのか、「三国志演義」に対抗する作品は残りませんでした。

 こちらは中国版シンデレラなどと評される「銀のうでわ」。
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