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いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

梅里先生行状記

2011年04月21日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 「平の将門」の次に電車で読んでいる「梅里先生行状記」です。梅里先生とは「大日本史」の編纂で知られる水戸光圀のこと。1941年という時勢を反映して、単調な皇国史観を奉じる光圀と藩士たちの物語で、同じ勤皇の士でも、戦後の「私本太平記」に描かれる楠木正成のような深みのある人物像ではありません。吉川さんが本心ではどちらを描きたかったのか、一目瞭然です。

 1935年から39年の「宮本武蔵」ではまだ青年期の武蔵が一乗寺の決闘に臨むに当たり、神仏の加護を受けようという弱い心を振り捨てて死地に赴く場面がありましたが、1941年にはそんな記述すら許されなかったのでしょう。ただただ神とその末裔たる皇室を畏れ敬う人物像ばかりで辟易とします。湊川で楠木正成の忠魂碑を建てる件は、ほとんど現代の「自己啓発セミナー」の乗りで、戦時の読者が昂揚した気分で読めば、それこそ涙を流して感動したでしょう。

 また廃仏毀釈の影響か、吉川作品で重要な脇役を演ずることの多い僧侶がほとんど活躍しません。この世を支配する他の原理を排除して、ただただ国の根本は天皇、という無批判な称揚ぶりは戦時の人気作家としては至極当然の姿勢でありますが、いかにも人間臭い「新平家」の後白河法皇や「私本太平記」の後醍醐天皇像を見てから読むと寒気がするほどで、当時の吉川さんは実に気の毒に思います。

 柳沢吉保を狙う水戸藩浪士の無計画ぶりも、国家百年の大事をなす者としてはリアリティがなく、短兵急な行動ばかりで漫画的です。「怪傑黒頭巾」ならこれでもいいのですが、吉川さんの重々しい文章でこんなストーリーを書かれると、笑って済ますこともできず困惑するしかありません。
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平の将門

2011年04月18日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 吉川英治全集を「宮本武蔵」から「新平家物語」「私本太平記」と読み継いで今度は「平の将門」読了です。ここまで大長編ばかりだったので、1冊しかない今回は印象が薄いですね。本の分量のみならず、主人公の将門がどうも物足りない感じです。吉川さんも、書いていてつまらなくなったんじゃないでしょうか。

 「宮本武蔵」なら何より武蔵と小次郎、そして武蔵と又八、あるいは武蔵と本位田のおばば。そして武蔵と石州斎。「新平家物語」なら清盛と後白河法皇、清盛と麻鳥、清盛と文覚、義経と頼朝。「私本太平記」なら尊氏と後醍醐天皇、尊氏と楠木正成、尊氏と佐々木導誉、尊氏と直義。いずれも主役を食いかねない彫りの深い脇役が生き生きと主役に対比して描かれていて、それが主役のキャラクターをより一層印象付けています。「宮本武蔵」以外の吉川さんの主役は清濁併せ呑むような「大どかな人物」であることが多く、単独で描かれてもキャラクターがはっきりしにくいため、余計にライバルが重要になります。「平の将門」ではどうもそこが弱くて、吉川さんも長編にしようがなかったのではないでしょうか。

 強欲なだけの伯父ではさして面白くない相手ですし、策謀家の貞盛も魅力に欠ける人物です。単純な善悪の対決ではなく、いずれにも理があり大きな正義がある者同士が引くことならず泥沼の対立に陥る、というのが吉川文学のパターンであり、読者はそこに時代劇を超えた普遍的な面白さを感じているのだと思います。

 将門の反乱は「俵藤太のムカデ退治」で知られる押領使、藤原秀郷により鎮圧されますが、この興味深い人物の扱いが余りにあっさりしているのは肩透かしを食らった感じです。また死後に怨霊として恐れられたことについても伏線がなく、吉川さんならもう少し何とかしてくれないかなあ、というもどかしさすら覚えます。崇徳上皇の例もあるように、強い怨霊となったのは恨みを抱いて死んだからでしょう。この本のあっさりした場当たり的な野人である将門が死んだところで、怨霊になる気配もありません。

 ここは史実と異なっても、関八州を支配してようやく大義を持ち始めた将門が、朝廷の懐柔と卑劣な策謀により陥れられて、世を呪い人を呪いながら憤死したことにして欲しいものです。これを書かれたころの吉川さんは「新平家」の方に注力していたので、「将門」の方は短くまとめたかったのかな、とも思われる出来でした。
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私本太平記

2011年03月07日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 「新平家物語」を堪能した後は、順当に「私本太平記」が通勤の友になっています。「新平家」から100年以上後の時代になりますが、実質的な続編と言えるもので、吉川さんが人物や時代を見つめる目も「新平家」とほとんど変わっていないと思います。

 主人公は皇国史観では国賊扱いだった足利尊氏。吉川さんが書きたかったのは善も悪も内包する一個の人間が、時代の大きな流れに翻弄されつつ浮き沈みしていく姿であって、それは歴史学とはまた違った立場で、文学的な人間理解をもって歴史の真の姿に近付こうとする試みだという意味の記述がありました。

 その中ではご都合主義の勧善懲悪的な歴史観は排され、超人的な英雄でもなく十悪五逆の悪漢でもなかった一介の人間である足利尊氏と、やはり聖人でも忠臣の鑑でもない一介の楠正成とが、同じく後の美化されたイメージに比べればあまりに哀しい人間でしかなかった朝廷や鎌倉幕府や無数の公家、侍、その他庶民やらの民やらを交えて物語を紡いで行きます。大長編小説ですが、残り少なくなるのが惜しいほど飽きませんね。このような本を日本語で読めることは日本人に生まれた大きな喜びのひとつです。
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ビルマの竪琴

2011年01月14日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 極楽息子(大)に読み聞かせした本です。小学校や中学校の読書案内では定番。子供向け、と言っても今の4年生にはやや難しいかなと思う点はありますが、興味を持って聞いてくれたようです。これで映画も見れば理解が深まるのでしょうね。

 この本はご覧の通り、2回目の映画化の際に販売されたものです。子供向けならまず新しいカラー版の方が見やすいでしょう。ただ、実際に戦争を経験した出演者による白黒版の方に深みがあるのは当然で、ネットの映画評でも旧作を上としていることが多いみたいです。これは仕方のないことですね。21世紀になっても話題の戦争映画や大型時代劇は作られ続けていますけど、立っているだけで軍人に見える俳優、あるいは銃後の妻に見える俳優なんて、今時いませんから。そういう意味では、息子に白黒版の方を見せてやりたいと思います。ただ、カラー版に価値がないとは私は思いません。

 ストーリーは有名なので今更紹介するまでもありません。竹山道雄はビルマに出征したわけではなく、当初は子ども向きの読み物として日本兵と中国人の交流について書くつもりだったようです。そんな中でビルマからの復員兵の話を聞き、イギリス、アイルランド民謡を通じた日本兵と英兵のやり取りを膨らませて、平和を希求する戦後の日本人に向けたメッセージとしたようです。当時の「一億総懺悔」の雰囲気がなくなった今では、ここまで甘口のストーリーでは受けないでしょうけど。

 人間の判断、特に大衆の判断は振り子のように揺れ動き、向きを変える前に大抵は振れ過ぎるもの。「アジアの大義」とやらに鼓舞されて「聖戦」に熱狂し、負けたら今度は「日本人は十二歳」とか言われて自分を責める。次は高度成長の僥倖を得てやたら尊大な経済大国になったと思ったら、またも「第二の敗戦」を受け、自信を失って「草食系」になる。文学や映画における戦争の扱いだって、その度に変わっています。だから戦争の総括なんて戦後の一時期にきちんと終わる方が不自然なんです。いろいろな時代、いろいろな環境の中で、真面目に歴史に向き合うことでしか、あんな特異な事象を解析することなんかできないと思います。

 従って、多くの映画ファンの意見とは違うかも知れませんが、市川崑監督が映画のリメークを企画したことには賛同できます。戦争を知る役者がいないことは承知で、それなら戦争映画への出演経験を受け継いでもらおうじゃないか、という意気も立派なものです。「戦後」という言葉すら一般には聞かれなくなり、戦争の記憶も失われ、しかしそれだけに冷静な目で戦争を見ることができる、という時代の変化もあります。新聞などを見ていると、終戦後は口をつぐんでいた証人が今になって少しずつ貴重な記憶を語り始め、また秘匿されていた内外の資料が公開されるなどして、加害者としての立場を含めた全人的な戦争像とでも言うものが、おぼろげながらも全体として見えるようになるには、やはり戦後数十年を要したのかという感慨を得ることが少なくありません。

 そう考えると、「戦後」「民主化」に酔っていたような時代の白黒版ももちろん貴重ですが、カラー版を見ずに監督の意図を理解したように思ってはいけないのでしょう。本について書くつもりだったのですが、周知の作品なので話が映画のほうにそれてしまいました。近いうちにぜひ息子と見てみたいと思います。
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新平家物語

2010年10月29日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 ここしばらく、通勤の友に持ち歩いている新平家物語です。今更解説など無用な名作、と言うよりも既に古典平家と同じく日本人の貴重な文学資産と言ってもいい作品ですが、遅ればせながら読んでみるとやっぱり面白い。源氏が平家を駆逐したという単純な二元論からは大きく踏み出した解釈で、大きな時代の流れの中で様々な浮き沈みを見せる人間の姿が生き生きと描かれ、爛漫の花を惜しむように、陰りゆく月を惜しむように平家と王朝の衰亡を惜しみ哀れむ筆者の心が伝わってきます。筋書きがわかり切っている平家滅亡の物語を、これだけの大著にして飽きさせない内容の充実には感服するしかありません。もちろん、原典である平家物語が優れているからできることですが。

 この六興出版版は最新の講談社「吉川英治歴史時代文庫」に比べると活字が小さく、巻末の解説がありません。年表や系図のないのはこの手の大河小説を読む上でかなり不便を感じます。ただ、「吉川英治歴史時代文庫」にも地図が添付されていないのは困ったもので、次の企画があればぜひ考慮して欲しいところです。
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読書の時間

2009年11月18日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 通勤時間用のペーパーバックです。"The Kiss"は多作のベストセラー作家、Danielle Steelの作品。要するに不倫物なんですが、大金持ちで政界の大物、しかも謙虚で親しみやすくハンサムな男と、上流階級の出身で献身的で控え目な人妻、というあるはずのない設定をどう引っ張るかが作者の力量です。この人、日本に生まれたら少女漫画家になってたでしょうね。ベストセラーの文句だけ見て適当に買ったので、中年男性がこんなハーレクインもどきを読んでも気にしないで下さい。

 次の"Gone With The Wind"は今更説明の必要もありません。このペーパーバック版はものすごく活字が小さくて、揺れる電車で読むと目がちかちかしてきます。なかなか進まないので、この1,000ページを越える大著を読み終えるには1年かかるかも。何年か前に買って放置しておいたものですが、短い間にここまで自分の老眼が進行するとは思っていませんでした。
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ダレン・シャンを息子に読ませるには

2009年07月06日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 「ハリー・ポッター」を読み終えた極楽息子(大)が次に挑戦しているのが「ダレン・シャン」全12巻です。「ハリー・ポッター」と同じく定評のある本ですが、古本で安く手に入るのも嬉しいところです。なかなか頑張って第4巻まで進んでいますので、夏休み中に読破できるのではないでしょうか。

 この本も最初は取っ付きが悪かったのですが、毎晩寝る前に朗読を続けて、10日ほどで物語の魅力に引きずり込むことに成功しました。「ハリー・ポッター」の時と同じで、親としてはしてやったり、です。

 今までたくさんの本を息子に読んできましたが、私の朗読の目的は「とにかく面白く聞けること」なので、必ずしも本の文章に忠実ではありません。なぜなら、物語なんて受動的に聞いているだけでは単なる寝物語に終わってしまい、自分のものになるはずがないので、朗読ならではのアドリブを入れて少しでも息子が主体的に「読む」ように仕向け、いずれは自力で本を読むように興味を持たせることを目標としたからです。

 例えば、私の朗読ではギリシャ神話のペルセウスが鏡の盾と魔法のサンダル、魔法の兜と共に「ヤマナカのふくろ」を持ってメドゥーサ退治に出掛けますし、リンドバーグの物語では絵本の下手くそな英雄主義的記載をカットし、彼が大西洋横断で強力なライバルと比較した自分の強さと弱さをどう理解して、唯一の可能性に向けて周りを説得していったかに重点を置いて語りました。また「蜘蛛の糸」では芥川が省いた地獄の描写を存分に付け加え、裁きの厳しさが鮮明に感じ取れるように工夫しました。

 こんな自分流の朗読ですから著作権も何のその、で他でお聞かせすることはできませんし、自分が感動を覚えた物語以外は本気で読めませんので、たとえ推薦図書になっていてもこき下ろしたものはいくつもあります。本は楽しいから読む、あるいは自分の糧になるから読むのであって、有名な人が書いたから読むものではないし、推薦図書だから読むものでもありません。面白い本には自分なりの一番面白い読み方があるし、つまらない本はできる限り読むべきじゃありません。

 私は本の文章を息子に伝えたいのではなく、自分の読書スタイルを伝授したいのです。子供への読み聞かせとしては破格のスタイルでしょうが、今のところ私の気に入った本を喜んで読んでくれるようなので、この路線も悪くないなと満足しています。子供を本好きにするのは親をおいてない、と私は信じています。
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ハリー・ポッターと魔法の箒

2009年06月10日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 極楽息子(大)が夢中になって読んでいたハリー・ポッターシリーズを全巻読破しました。

 これが最終巻ですね。1冊読むたびに次のをせがまれて買う、というパターンでしたが、最後まで勢いが続くとは思いませんでした。最初は本を読まない息子のために読み聞かせをしようと「賢者の石」を持ち込んだのが3月の初め。短時間でここまで読み通してくれたのは嬉しい驚きです。

 ご褒美は欲しがっていた魔法の箒(ほうき)、ニンバス2000です。マジレンジャーのマントを着て、さっそく飛行に挑戦!

 こうなると下の子も黙っていません。

 箒なので掃除にも役に立ちます。
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少年王者復刻版

2009年02月04日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 昭和20年代の子供たちに絶大な支持を得た絵物語、「少年王者」の復刻版が手に入りました。復刻版自体が昭和50年代のものですから、それからでも30年以上たっていることになります。私の子供の頃は既に漫画が全盛だったので、こうした絵物語を愛読した世代はほぼ60代だと思います。

 絵物語は要するに紙芝居を本にしたような構成で、戦前に紙芝居作家だった人たちが制作したものが多いはずです。「少年王者」の山川惣治さんも元は紙芝居作家だったのですね。私は絵物語作家としての山川さんをほとんど存じませんが、子供の時にテレビで見た「荒野の少年イサム」の原作者と言われれば、そうだったのかと思います。また1984年に角川が山川さんの絵物語「少年ケニヤ」をアニメ化しているので、大学生の頃に毎日のように宣伝を聞いた覚えがあります。

 そんな昔の絵物語を極楽息子(大)に読んでやると、けっこう面白そうに聞いてくれます。いつの時代でも子供には冒険物語が必要だということでしょうか。

 戦争直後の混乱期で絵を描こうにもろくな資料がなく、動物園からも動物が処分されていなくなった時代、山川さんはライオンを描くのに猫をデッサンして、乏しい資料からライオンのディテールを写し取って制作するなど、苦労を重ねたようです。近代兵器としてジープ(の改良型)が大活躍するのはもちろん進駐軍の影響でしょう。いろいろな意味で時代を感じさせてくれます。それでも作品には貧しさや乏しさの影すらなく、勇壮な少年王者の活躍は当時の子供を力づけたことでしょう。日本の児童書の歴史上、非常に重要な作品だと思います。
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Oliver Twist

2009年01月28日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)


 現在の通勤の友は、"Jane Eyre"に続いてビクトリア王朝期の古典、"Oliver Twist"です。映画化やテレビドラマ化もされておりストーリーはよく知られていますが、原文はDickens特有の皮肉や饒舌に富み、挿入句のやたら多い文体は揺れる電車でかなり読みにくいです。ゆっくりですが繰り返し読んで何とか固有の雰囲気を味わっています。地下鉄で読んでいたら、外国人から声を掛けられ、「びっくりした」と日本語で言われました。英語ネイティブも普段はあまり読まない古典なんでしょう。

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冬休みの読書

2009年01月08日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 長久手町中央図書館で借りて極楽息子(大)に読んでやった本です。図書館に連れて行っても、好きにさせておくと図鑑ばかり借りるので、少しは物語も読ませないと。動物の話なら聞いてくれるかと思ったので、どちらも動物が登場します。

 「カブトエビの寒い夏」は読んでいると平成5年の米騒動が思い出されます。そうそう、国産の米が不足して、タイの米を緊急輸入したものの食味に不満が集まり、ゴミ捨て場にせっかく輸入した米が捨ててあった、というニュースを覚えています。

 そんな年には誰でも少しは米作りのことを考えますよね。この騒動を通じて、家業の米作りを見直していく主人公と兄の話に、子供が興味を持ちそうなカブトエビの話題を絡めてあります。ストーリーはありきたり、と言うか作為的(出版社が農文協です)なのですが、このようなスパイスの利かせ方が上手で文章も練れているため、子供に読んでやっても退屈しません。2回読むとプロパガンダの臭いが気になるでしょうから、図書館で借りて読むのがいいと思います。

 「ぼくのそり犬ブエノ」は有名なムツゴロウこと畑正憲さん。この人は小説家と言うよりは多数のエッセイと対談、バラエティーなどが仕事の中心ですね。題材は面白いと思うんですが、朗読していると継ぎ合わせて作ったような繋がりの悪さを感じて、物語の魅力をうまく息子に伝えられないんです。かと思うと、文章に抑揚のないまま場面が変わっていたりして、とにかく朗読向きじゃない。

 低学年向きのやたら簡単な文章と、子供にはわかりにくいエピソードが入り混じっていて、息子がなかなか没入できませんでした。例えば、暴力団がなぜライ君を誘拐しようとするのかは(インプラントが何か、も含めて)もうちょっと説明が必要だと思うし、リュウおじさんを罵倒して馬を「くれてやる」のが何で結婚の後押しをすることになるのかは大人でも理解困難です。

 こんな閉鎖的な田舎町で、突然別世界から来たようなリュウおじさんやマリアンナと町の人が簡単に折り合うはずもなく、その困難の末の融和を描くことも重要でリアリティーがあると思うのですが、なぜかそこはあっさり。それに、大人の背中がよく見えるはずの大自然の中で、登場する大人がさっぱり魅力的に見えないのは意図したことでしょうか?ネットで検索してみると、畑さんは戦争体験による少年時代からの抜きがたい人間不信を引きずっている人だそうですが、そうした人格の「冷え」が、小説でも動物に対するほどの愛情を人物に注げない原因かもしれません。

 この本は違う日に作った段落を集めただけみたいな印象があり、あまり全体を通した推敲がなされていないように思います。エッセイ集ならこれでもいいのでしょうが、小説としての完成度には疑問を持ちました。ムツゴロウ先生、少し楽をしすぎでは?
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Jane Eyre

2008年07月30日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 目下の通勤の友は名作"Jane Eyre"です。大英帝国最高の繁栄と言われるヴィクトリア朝は芸術活動においても百花繚乱の黄金期であり、小説だけでも最大の文豪ディケンズに加えてブロンテ姉妹、サッカレー(虚栄の市)、ワイルド(幸福な王子)、エリオット(ミドルマーチ)、スティーブンソン(宝島)、ドイル(シャーロック・ホームズ)などの著名な作家を輩出しています。

 産業革命後の工業化により急速に豊かになった大英帝国ですが、社会的にはまだ古いキリスト教的価値観が支配しており、女性の小説家がようやく世に出始めた状況でした。最初は男性名で作品を出さないと出版もできなかったようで、ジョージ・エリオットは男性名ですが実は女性作家ですし、ブロンテ姉妹も男性名で詩集を出したことがあるそうです。"Jane Eyre"はそんな時代の重苦しい価値観に反発して、旧態依然の男性社会に踏み潰されそうになりながら懸命に生きていく孤児の姿を描いて好評を得た作品です。

 孤児たちには「肉体の苦痛を忍んで神の教えに近づくこと」を強要しながら、自分と家族は安逸で贅沢な暮らしをしている偽善者の校長が経営する"Lowood Institution"は、度を過ぎた清貧を押し付けてブロンテ姉妹の二人を肺炎で死なせた実際の学校がモデルになっているそうで、描写もリアルです。

 女の子の10歳からの回想録というスタイルにしては語彙が非常に豊富で、辞書が頻繁に必要になるため、通勤には荷物が増えてしまうのが難点ですが、今読んでも大変面白いです。古本で入手したので、40年前のオーナーがあちこちに書き込んであるのも一興です。まさに名作は時代を超えるという実感があります。
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誕生日には本を贈ろう

2008年06月24日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 2歳の誕生日にじいちゃんが本をくれました。

 こんな飛び出す絵本です。サメなんか見たことないから、今度水族館に行かないとわからないかな?

 でも兄ちゃんが教えてくれるみたいです。すぐ引っ張るので壊れないといいけど。

 パパからのプレゼントも本でした。テレビでよく見ている「ぜんまいざむらい」です。
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「はれときどきぶた」

2008年05月02日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 有名な「はれぶた」シリーズの第1作。結末の仕掛けには誰でも笑うでしょう。絵本のジャンルに入るのでしょうが、絵は子供が塗りつぶしたような素朴な絵柄にとどめて、日記帳を主体にしたところが見事な着想です。無駄がなくテンポのいい文章も優れています。児童文学作品にも、長いだけで描写力のない駄文が少なくないだけに、「はれぶた」の歯切れの良さはいいお手本になると思います。

 小学校低学年が自分で読む本としては欠かせない古典と認めますが、けしからんことに極楽息子(大)は長らくこの本を「積ん読(つんどく)」状態でポケモンやゾロリの本ばかり見ていたのが、読んでやった時の最後の大笑いでばれてしまいました。
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トム・ソーヤーの冒険

2008年03月06日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 "Harry Potter"の2冊を読んだ後の通勤の友は、誰でも知っているアメリカ文学の祖、Mark Twainの有名な2作品をバンドルしたものになりました。これは珍しく新品で買ったもので、2冊分だから安いかと思ったのですが、よく考えてみれば死後100年近いMark Twainの著作権は切れているので、オンラインで読むなら無料でした。ただ、地下鉄ではネット使えませんからね。

 1作目の"Tom Sawyer"を読み始めるとすぐにわかりますが、"Harry Potter"と違ってこれは子供向けに書かれたものではないということです。豊富な語彙からして子供がストレスなく読むのは無理でしょう。イベントに次ぐイベントで映画を見ているような"Harry Potter"に比べると、南部の田舎町を舞台にしたストーリーは実にゆっくりしたテンポで進みます。ストーリーそのものは単純であり、その間に埋め尽くされた作者の饒舌、皮肉、人生哲学や言葉遊びを味わいながらゆっくりと読み進めるべき本なので、簡略化や映像化をすると味もアクも抜けてしまって単なる子供向きの冒険物語になってしまうのでしょうね。日本では長らく児童文学として理解されてきたのは、その辺に原因がありそうです。

 Mark Twainについては"Tom Sawyer", "Huckleberry Finn"の他に短編集の完訳本を読んだことはあるのですが、まだ小学校高学年から中学校にかけての頃だったので、前述のような(翻訳者も苦労したであろう)ストーリーそのものに関係のない言い回しは読み飛ばしていたように思います。二大代表作よりむしろ、「ハドリバーグの街を腐敗させた男(邦題)」などの短編の方が作者らしい権威への批判意識などがよく読み取れたと思います。今になってみれば、あの短編を書く人がストレートな児童文学など書くはずがなかったなと実感します。

 そんなこともあって、"Harry Potter"よりは読むのに時間が掛かりそうです。内容よりもむしろ困るのは字が小さいことで、2冊分を圧縮してあるので仕方ないのですが、揺れる電車の中では少し苦しいところです。
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