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いーなごや極楽日記

極楽(名古屋市名東区)に住みながら、当分悟りの開けそうにない一家の毎日を綴ります。
専門である病理学の啓蒙活動も。

スーホの白い馬

2007年04月13日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 極楽息子(大)の読書遍歴、今回は名作「スーホの白い馬」です。昔、小学校で読んでもらった時は悲しい話なので好きになれませんでしたが、今になって見返してみると絵が実に味わい深いです。マンガと絵画の違いと言いますか、とにかく絵本という表現形態を見事に使い切っています。絵本らしい絵本、子供に読ませたい絵本の代表と言えましょう。

 「11ぴきのねこ」はもっとマンガに近い構成で、馬場のぼるさんは元々手塚治虫と親交のあった漫画家なので当然です。マンガが子供に悪いとは思いませんので、これも絵本のあり方だと解釈していますが、絵本ならではという作品ではありません。

 続編「11ぴきのねこマラソン大会」がイタリアで最高の賞を受賞されたということですが、日本人は「11ぴきのねこ」シリーズの輪郭線を強調した絵を見ると、「あ、マンガだ」と思うでしょう。画材が一緒なのだから仕方がありません。マンガが普及していなかった当時のイタリアでは新鮮な表現と受け止められたのかも知れませんね。

 長い歴史を持つ「ぐりとぐら」シリーズです。「スーホの白い馬」とはまた違った絵の味わいがあります。

 これも古典として親しまれている「モチモチの木」。ストーリーは単純ですが、絵がそれ以上に雄弁です。
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経済書を読んでみる

2007年04月12日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 長久手中央図書館で借りた本です。専門外の本はどれがいいのかよくわかりませんので、ちょっと見て興味の湧いたものを選びました。何回も読まない本を新本で買うのは負担が大きいですし、ブックオフの100円コーナーでは品揃えが貧弱です。無料で借りて試し読みできる図書館は今更ながら重宝します。

 ベッカーさんとポズナーさんの本は、"The Becker-Posner Blog"として今でも続いている人気ブログと新聞などに連載したコラムを基にしたもので、自由主義、グローバリズム経済を支持する人の立場がよくわかります。アメリカの様々な課題に関する2人の学者の意見が、ある場合には一致し、ある場合には反対となるのは、そのプロセスも味わってみると興味深いです。

 森永卓郎さんは、「萌え」ビジネスへの造詣の深さでも有名になってしまった人気経済アナリスト。自由経済主義者のはずなのですが、政治的、経済的に力のない弱い立場の個人に温かい目を向ける異色の経済人です。「年収300万円時代を生き抜く経済学」なんて、今が絶頂の新自由主義者の視点からは絶対に出て来ない着想です。

 大きな経済格差を容認する新自由経済主義者と、軍備拡張や憲法「改正」により戦争ができる国家体制を目指す人がかなりオーバーラップするのは、前線に行く兵士として想定しているのが格差の底辺から上がれないワーキングプアやニートの若者だから、という指摘はもっともです。自分や家族が戦場に行くなら、この陰惨な近代戦の時代に誰が戦争を起こしたがるものですか。経済格差が広がるほど為政者のみならず社会一般の戦争への抵抗がなくなることは、アメリカの実例が示しているのではないでしょうか。

 こちらは、少し変わった本も読んでみたくて借りたもの。まあ、「買わなくて済んで良かった」とだけ論評しましょう。

 今回借りた4冊はページを開いた形跡がほとんどなく、図書館での貸し出しが児童書などに集中していることがよくわかります。これは実にもったいない。大人はなかなか図書館などに行かないのでしょうが、昔と違って広く快適ですし、端末があるので本の検索も簡単です。子供の本を探すついでに、日頃は読まない本を漁ってみるのも楽しいのではないでしょうか。
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ボクも本を読む

2007年03月14日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 お気に入りの本は「かわいいてんとうむし」。本棚に整理してあっても、これだけ取って来るのでわかっているんでしょう。
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100冊読書日記

2007年03月12日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 極楽息子(大)を本の好きな子に、ということで目標となったのがこの「100冊読書日記」です。私はこんな本の存在を知りませんでしたし、この手の「100大XX」なるリストの信憑性も問題だと思っているのですが、極楽妻の教育熱にはアピールしたようです。

 この本で取り上げられている100冊はどれも代表的な児童書であり、リストがまるで駄目だというわけではありません。ただし、一人の作者からは原則として一冊しか取り上げていないとか、民話などのように作者がはっきりしないものの多くが除外されていること、比較的新しい出版のものが多いことなど、所詮は販売促進のためのリストか、と思わせるところもあります。また、児童書で存在感の大きな全集物を除外してるのは無視できない欠点です。

 私は児童書に詳しいわけではありませんが、恐らく専門家が見れば、出版社も大手に偏っている可能性があります。だから、「これさえ読んでおけばいい」というリストでないことは念頭に置くべきです。それに、100冊完読そのものが目的ではないのですから、1冊1冊をじっくりと味わって読むべきです。100冊全部ではなくてもいいですから、自分の気に入った作品だけでも繰り返し読んで感想を持つべきでしょう。「100冊」を消化することばかりに捕らわれると、「100名山を巡ることだけが目的のツアー客」みたいに本質を見失います。

 それでもこのようなリストが便利なのは、独力で選んでいると漏れてしまうような作品が網羅できるからです。親の立場で本を選んでしまうと、ついつい自分が読んだことのあるものばかり選びがちですから。

 100冊リストよりまず「こねこのピッチ」。子供にはわかりにくいでしょうが、テーマは「自我」です。他の子猫と同じように成長することに抵抗のあったピッチが、外の世界を垣間見て傷付き、みんなの愛情で自分の帰るべき場所を知るお話です。意味はわからなくても、ピッチの気持ちを想像してみることが大切です。いい本だと思います。

 「こぎつねコンとこだぬきポン」。ストーリーは悪くないですが、かなり長く、台詞のやり取りが未整理のためちょっと読み辛いです。しかも途中でキャラクターの入れ替わりがあるため、読み聞かせていても、読んでいるのが誰の台詞なのかわからなくなりました。もっと主語を明示するとか、口調に変化をつけるとか、キャラクターの個性を際立たせるとかの工夫が欲しいところです。

 「ともだち」をいろんな面から描いた作品なら、「きかんしゃトーマス」シリーズがあるじゃないですか。子供も喜ぶし、多くの点でこの絵本より出来がいいと思います。

 「王さまと九人のきょうだい」。中国の少数民族に伝わる民話で、話によって兄弟が3人だったり10人だったり変化がありますが、つまり異能を持った兄弟が悪い王様を撃退するストーリーに変わりはありません。中国の圧制に苦しめられていた少数民族の願望がコミカルな形で表されています。

 この「九人きょうだい」では情報係の千里眼や早耳がいないので、王様の繰り出す新手に次々に手を変え品を変え立ち向かう兄弟の臨機応変ぶりに説得力が乏しくなっています。10人兄弟の方が完成度が高いのでお薦め。ただし単行本にはなっていませんので、全集のコンテンツとして読む必要があります。

 こうした類似の民話を集めている人もいて、このモチーフが世界中にあったことがわかります。中でも1972年に太平出版社から出された「八兄弟」のアナーキーなまでの面白さは一読の価値ありです。紹介して下さったすわさきさん、ありがとうございます。
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今年は自然主義から

2007年03月07日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 通勤の電車内で居眠りしていない時に少しずつ読んでいるリサイクル日本文学全集(年末の大掃除で捨ててあったので、「青空文庫」に倣って「冬空文庫」とでもしましょうか)、今年はまず正宗白鳥集を読了しました。

 自然主義文学ですから、ヒロイズムや気持ち良さとは無縁であり、代表作の「何処へ」でも作者の分身であろう主人公は無気力で何もしません。正宗さんは「つまらん、つまらん」が口癖だったと聞いていますが、作者の倦怠感が乗り移ったような主人公は、友人たちが家庭を築き、あるいは学者として歩を進めていくのを横目で見ながら、いつも受動的に面白いものが降って来るのを待っています。

 この辺は「自分探し」などと称してふらふらと若い時期を浪費している現代人をうまく描写した感があり、単なる昔の情景描写や歴史的な読み物であることを越えて、今でも切れば血が出るリアリズムを備えています。昭和初期の当時も、将来を嘱望されながら自分の進むべき道を見出せずに海外で蠢いていた「大陸浪人」などがいたわけで、人生の見通しの悪さに懊悩する人物像が普遍のものであることは理解できます。決して面白く読める作品ではありませんが、つまらん小説というわけではありません。

 「入江のほとり」では主人公は更に何もしなくなり、その現実味のある無為無策ぶりはほとんど現代の引きこもりを見ているようです。興味深いのは、この主人公は他人の目から見れば武者小路実篤が描くところの「馬鹿一」と変わらないだろうということです。

 第三者の目からは同じような無能の人なのですが、武者小路の馬鹿一は絶対的な自己肯定の中で生きており、自己流の絵で石ころを朝から晩まで描いているだけで無上の喜びを覚えます。やはり正式の教育を受けることなく自己流で英語に没頭しながらも、何の希望も喜びも持たない辰男は正反対の人物像のはずですが、この二人を正反対ならしめているのは信仰なのでしょうか。白樺派と自然主義による人間の見方が比較できて面白いと思います。

 せっかく文学全集を手に入れたという理由で、今まで読まなかった種類の作者を努めて読むように心掛けているため、最初は義務の念で読み始めた正宗白鳥ですが、懸念したほど退屈しなかったのは拾い物です。むしろ戦後に書かれた短い旅行記などが月並みな内容でつまらない印象があります。
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借りた本を楽しむ

2007年03月05日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)

 1987年にベストセラーになった「ウォーリーをさがせ!」(正確には第7集の「ウォーリーをさがせ! きえた名画だいそうさく!」)を名東図書館から借りて来て遊んでいます。情報を検索してみると、これは最初のシリーズに飽き足らない人のためのグレードアップ版らしく、絵の細かさや背景によるカモフラージュが格段に進化しているそうです。子供が楽しむには難しすぎたようですね。

 こちらは「そらまめくんのベッド」、ただし大型本です。教室での読み聞かせなどを想定したものだと思いますが、普通の本と同じように貸し出してくれました。これはわかりやすくて好評。

 遊びに来たじいちゃんにも読んでもらいます。
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ドリトル先生

2006年04月20日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)
 お爺ちゃんの家に遊びに行って、ホットプレートで焼きそばと焼肉を作りました。極楽息子は生の魚と肉を区別できないので、「マグロをやくとお肉になるんだよ」とか言ってました。もう少し大きくなったら自分で焼いてみたくなるんでしょう。

 今週は寝る前に古本屋で買った「ドリトル先生航海記」の絵本をパパが読んでいます。ハンナ・バーベラのアニメで育った世代には説明の必要もないと思いますが、イギリス生まれのアメリカ人、ロフティングさんによる児童文学の金字塔。舞台は19世紀のイギリス。きかんしゃトーマスやシャーロック・ホームズが活躍した時代です。

 200歳のオウム、ポリネシアに動物語を教えてもらった医師で博物学者のドリトル先生が、動物たちの助けを借りて世界中を探検して回るという楽天的な冒険物語です。子供は冒険が大好きですから、息子もすっかりドリトル先生のファンになってしまったようです。冒険してくれれば、ドリトル先生でもタンタンでもボウケンジャーでもいいんですよ。

 「ドリトル先生航海記」は最近、エディー・マーフィー主演で映画化されましたが、年齢的に合っていませんし、下ネタ連発の話芸が売り物のエディーでは、原作の雰囲気はぶち壊しでしょうね。ドリトル先生はやっぱり品格を感じさせるイギリス人俳優に演じて欲しいです。舞台俳優として高名なケネス・ブラナーさんなど、世界の子供たちのために一肌脱いでくれないでしょうかね?アメリカ映画「ワイルド・ワイルド・ウェスト」は金を掛けた割りにほとんど見所のない駄作だと思いますが、ブラナーさんの悪役だけは、怪しくてねちっこい魅力に溢れていました。硬軟いずれもこなせる名優です。

 当のイギリスでは、ジェームズ・ボンドシリーズの最新作がミスキャストで台無しだということで、熱心なファンの間からボイコットが起こっているとか。クレームの是非はともかく、俳優の選択はそれだけ重要だということですね。
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円地文子集

2006年03月25日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)
 資源ごみ置き場から拾って来た極楽親父の宝物、リサイクル日本文学全集から、今読んでいる円地文子集です。通勤用の手提げに入れておいたら、少し雨に塗れてしまいました。

 若い時は興味のなかった作家で、著作も源氏物語訳ぐらいしか知りませんでした。でも今になって読んでみると実にいい。古典の素養が十分にある人なので、作家としての「引き出し」がたくさんあるのでしょう。ねちっこくて緻密な筆運び、自分の分身であろう主人公に対する仮借のない心理描写、そして時代背景を見る冷めた目。破綻のない構成。「朱を奪うもの」は見事なプロの作品です。

 通勤電車の中で読むにはちょっと重たく、読み疲れするのが欠点ですが、小説を読む喜びをたっぷり与えてくれます。
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杏っ子(あんずっこ)もしくは宝の山

2006年01月19日 | 極楽日記(読書、各種鑑賞)
 「教えて!goo」を見ていると、「生活に余裕がないので、お金の掛からない楽しみ方を教えてください」という質問を時々見ます。楽しいと感じる対象は人によって大きく違いますから、面識もないのに趣味の領域にお答えすることはできないのですが、私的な楽しみをご紹介するのは構わないでしょう。極楽親父の「お金の掛からない楽しみ」がこの本です。

 実は年末の大掃除の時期、古雑誌を捨てに行った先でこの「日本文学全集」が山積みになっているのを見つけまして、50冊ほどあったのを全部頂いて来ました。最初の発行が昭和35年、昭和38年に9刷と書いてありますのでさすがに古いですが、あまり利用されていなかったらしく状態は良好です。

 まとめて読んだことのない作家から読んでやろうと思い立ち、まず武者小路実篤を通勤電車の中で読破、2冊目に室生犀星を読んでいます。武者小路実篤の場合は、求心力のある小説ですから、年代順に読み進めて行けば彼の世界を堪能できます。

 問題は室生犀星で、この人の代表作とされる長編小説「杏っ子」を読み終えたばかりですが、構成の苦手な作家であったらしく、場面の省略や飛躍、無駄な登場人物とかが多くてまごつきました。最後の方の杏子の結婚生活の破綻を描いて行くところでは、枚数も残り少ないのにどうやってまとめるつもりだろうと思われたほどです。

 こんな長編を今の世で出版社に持ち込んだら、散々非難されて切ったり削ったりされるように思うのですが、そんな構成力の乏しさにもかかわらず、腹の据わった親方である「あにいもうと」の赤座とか、犀星の自画像であろう父親らしくない父親である「杏っ子」の平四郎と杏子のような目の離せないキャラクターを創造して、読み手を飽きさせないことは少し驚きました。こういう顔の小説を読んだことがなかったものですから。やはり文学の世界は広いです。

 「真理先生」も「杏っ子」も、私の人生を変えたとまでは言いませんが、十分に通勤時の心の糧にはなってくれました。まだ50冊ありますから、広くて奥深い日本文学の世界を、当分は只で楽しませてもらえるわけです。なかなかこれだけの宝物は落ちてないと思いますよ。
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