いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

こうして蟻地獄へ

2006年08月22日 21時38分11秒 | 社会全般
こりゃ、いいようにムシられ、タカられたのさ。これが貸金業者のウマミさ。住宅担保なら、支払が止まれば競売かけて、取り返せばいいんだし。無担保融資じゃないんだから、はじめの頃によく調べて借りていれば、とっくに返し終わってるって。

ちょっとしつこいかもしれませんが、また貸金関係の話題。どうぞ、お許しを。


広がる多重債務 信用情報、悪用 「借り換えが得」業者、交互に勧誘-縦並び社会・格差の現場から:MSN毎日インタラクティブ


93年に50万円からスタート。普通に考えて、月2万円くらいを4年かければ返せるハズ。でもね、甘いのよ。継続し続けることは難しいのよ。どこかで、急に他の出費がかさんだりすることもあるの。なので、手元資金に50万円も残らない程の、住宅購入計画というのがまず大きな間違いだろうね。退職直後なんだし。恐らく、退職金1500万円という、未だかつてない大金を手にした時、「大きな気分で行ってみよ」(笑、古すぎて、誰も知らないかも。再放送してくれんかな~>NHKさま)になっちゃったのかもしれんね。思いのほか、予定外の出費はあるものですから。


しかも当時55歳くらいですから、子どもさんの費用なんかもかかる頃なんではないかと。なので、必ず手元資金をある程度残すような資金計画で住宅購入をするべきですね。どうしても資金不足になるなら、10年程度の少額の住宅ローンを組んでおく方が無難。なので、最低100万円くらいは手元に残して、その分住宅ローンで100万円設定しても、ほとんど問題ないと思う。有担保だから借入条件は悪くないし、10年だから金利負担もさほど大きくはないはず。年利5%で10年ローンであっても、月10607円均等(ボーナス返済なし)で返し終わる。というわけで、まず住宅購入の資金計画に大きな問題があったのではないかと思う。

普通ね、大の男がだよ、50万円も出せない、ってなったら、家族は困るよ。家族が急に病気になったり、息子が何かしでかしたり、娘が結婚したい、って言い出したりとか。何があるか、判らんのが人生ですから。なので、手元資金は必ず一定額は残すべき。


まあ、これは仕方がなかったとしても、50万円のサラ金ローン返済ができない、ってことはないと思う。女房に黙っていたとか、そういう何か特別な理由がなければ、サラ金ローンの年利40%であっても毎月21000円くらい払えば4年で返せるはず。もしも返済に充てる21000円が世帯支出の死活水準である時、住宅購入は無謀であったとしか言いようがない。総返済額で考えると(4年ローンとして)、金利水準が25%ならば約80万円で、40%だと約101万円だから、80万円くらい払っていれば返し終わってるはずなのですが、金利が高いから途中でその20万円が調達できないか、使う額をオーバーしてしまう事態が発生すると、結局返済が終われずに借金が残るのですよ。また借りるわけだ。すると、いつの間にか増えてるんですよ、これが。

「あれれ、ちょっと払えないな」と思って、次の借入を起こす。20万円とか30万円とか。そういうのが3つくらいになって、払い続けてるから自分では確か減ってると思っていたのに、金利成長速度が自分のイメージしているのと全然違うから、元金減らせず、途中で借入の誘惑に勝てないと、借入総額は増えている、という結果に終わる。この男性の例が、まさにそれ。100万円を超えてくると、もう無理。貸金業者にとっては、いいカモになっているんですよ。


で、記事にあるようにカモられる。
01年頃の上限金利引下げを挟んでるから、「金利を下げます」とかうまいこと言われて、元金かさ上げで返済負担が増えてるんですね。自宅の担保設定変更なんかで、登記費用とか諸経費なんかをボラれて、金銭消費貸借契約書の腹の立つ印紙代(笑、財務省に入るのでしたか?)とかも勿論貸し付けられとるんでしょうよ。有担保貸付なのに、無担保金利なみの設定なんですね。こりゃ、どう考えてもおいしい商売なのですよ。でもね、自宅競売まで追い込めるように狙ってるんですよ、業者としては。逝く所まで逝ってもらわないと、やっぱり。回収限界までは貸すに決まってる。担保設定されてしまえば、逃れられんのよ。返す以外にない。それか自宅を手放すか。どっちかだ。


毎日の記事にある、次の部分。
『A社が今回提示した金利は、B社より0・1%だけ低い9・5%。「なぜ最初から9・5%で貸さなかったのか」。男性がこう尋ねた瞬間、社員は初めてたじろいだ。「できないです。そういう商品がなかったんで」
社員は言った。「どちらを選ぶかということですよ。全体として安くなって7年できれいに終わるか、B社さんに高いまま払い続けるのか」』


これは、その通りでしょうね。「そういう商品がなかったんで」というのもそうでしょう、多分。本当は初めから自分の努力で、対処を考えるべきだったのですよ。その高い授業料を今になって払わねばならなくなっている、ということです。初期段階で正しく対応しておけば、ここまで被害は拡大しなかった。そもそも、50万円の借金を8年もかけて120万円に増やしているような「管理水準」に、大きな甘さと借金を軽く考えているという問題があるのですよ。月々2万円が払えないレベルであったのに、その後借入残高が増えても「返せる」と考えてること自体に大きな問題があるでしょう。カモられてる、ってことに途中で気付かないというレベルであれば、かならず餌食にされるでしょう。


親族に今になって150万円借りるくらいなら、初めから借りとけってことですよ。少なくとも01年頃に処理しておけば、まだ間に合ったでしょうね。現時点では、担保設定がある限り、どうにもならんと思うよ。業者が有担保なので金利を下げてくれたのは、まだマシな方と言えるでしょう。他のアコギな複数業者が高金利の資金を供給してなかっただけ、増え方が少なかったですよね。10年以上貸金から借り続けていると、大体「自己破産コース逝き」ではないかと。



特例金利?なぜ?金融庁

2006年08月22日 19時58分14秒 | 社会全般
業者への配慮以外には何の意味もないでしょ。何で?金融庁はどうしちゃったの?ブレるのはよくないよ。それとも、某ブログ界隈の座長批判にでも怖れをなしたか?批判されるのは、よくあること。説得的な説明・検討をすることを目指すべきだよ。

でもね、特例って言えば、昔の日賦業者みたいに、109.5%の特例を認めたら、闇金がそこにタカって、「日掛け」で密着取立してたんではないですか?(貸金業の上限金利問題~その9


貸出金利:上限に特例、少額対象に1顧客1社 金融庁方針-話題:MSN毎日インタラクティブ

(以下に一部抜粋)

短期・少額の貸し出しについては「利払い負担は小さい」ことなどを理由に特例金利を認める余地も残し、金融庁に具体的な検討を求めていた。金融庁は、少額・短期の貸し出しについては、急な出費への対応やつなぎ資金として個人、事業者からの需要が強いと判断。急な金利引き下げで貸金業者が融資を絞るのを防ぐため、数年間の経過措置として、特例金利を容認することにした。

特例は融資額10万~50万円を対象とし、(1)利息制限法の上限に3~5%上乗せ(2)現行の出資法の上限である29.2%--の2案を軸に調整している。「特例を認めれば、金利規制は有名無実化する」との批判が強いことから、特例金利で貸せるのは顧客1人につき1社に限定。顧客がすでに他社から特例金利で借りていないかどうかを業者が正確に把握できる仕組み作りも検討する。




相当猛烈なロビーにやられたのか?オイ。
貸金業界だけじゃなく、広告業界とか辺りから?も。
放送・出版とかのメディア業界からとか?
何で、こんな馬鹿げた案が出されるんだよ!!


万が一、この特例金利ができると、大手の「かっぱぎ」容認というか、寡占体制強化でしょ。明らかにオカシイでしょうが。


特例金利は1社のみが適用できます。1社目は必ずこの金利を適用し、もっと低い金利を適用するインセンティブはありません。つまりこれは何を意味しているかというと、借り手のファースト・アクセスというか、貸金業者のうち大手数社のような「1番最初に借りるところ」に選択されやすい業者だけが圧倒的に有利になります。初めて借りに来たら、ソッコウで「特例金利決定」ですもん。しかもこの金利適用のオカシイところは、借り手の「リスク」には全く関係ない、ということですよ。明らかにオカシイでしょ。


他社からの借入がない、借入金額は比較的少額、ということであれば、最もリスクの低い顧客層であり、所謂「プライム層」じゃないか。それが一番高い金利が適用される、って、オカシイだろ。「急な出費やつなぎ資金」の需要が最も強いゾーンなのであれば、最も「競争原理」が働きやすい部分だろが。そこになぜ強力な規制金利を適用するのよ。オカシイだろ。


短期・少額ということから金利負担額が審査や返済等の事務手数料にも達しない、ということであれば、金利としてではなく、別な手数料として明確に規定させるべき。例えば、「信用情報登録料」として100円徴収するとか。まるでレンタル屋さんの会費みたいだけど。ああ、こんなことを書くと、カモを騙すのに悪用されてしまうかもしれんな。悪徳業者は「保証料」とか「登録料」とか称して、おバカなカモから搾り取ってるらしいからね。でも、クレジットカード会社だって、会費徴収でうまい汁を吸ってることも多いでしょ。そういうようなもんでしょ。きちんと手数料を明示させておけばいいのではないですか?もしも競争力のある貸し手が現れれば、手数料無料(カード会社にも会費無料はあるぞ、セゾンカードとか。なので、会費のないカードが結構好きです。多分借入限度額の枠は最高額まで行ってると思う)の業者も登場するかもしれないし。需要が多いなら、手数料だけでも儲かるでしょ。


坂野教授が色々とペーパーを出してた「早稲田大学消費者金融サービス研究所」が、いつも引き合いに出してくる「英国の消費者金融事情」ではどうですか?
イギリスでは、導入金利は低いのが現実なのではないですか?
(参考記事:坂野教授に反論する

それがどうして、日本だと(上限より)高い金利が適用されるんだよ!市場構造が異なってるからですか?法制度が違うから?利用者の態度が違うから?日本とイギリスの消費者金融市場は、全く別物なのかもしれないですね。


貸す側にとっては、他から何社かつまんでいれば、段々とリスクはアップしていくから、2社目以降は貸出金利が上がるのが普通だろ(会社の調達金利とか営業費用によって違いはあるけれど、一般的にはという意味で)、借入残高が増えてるのですからね。後ろになっていけば行くほど(一社でもいいんですけど、それは稀ですから。借入残高が増加すればするほど)リスクは増大し、それに見合う金利を適用するとなれば上限金利を超えるかもしれず、その水準を超える人たちにはもうそれ以上「貸せない」ということになるんでしょ。資金需要があるのに貸せないというのは合理的でない、ということも有り得るけれど、無限大まで借りられるわけでないとすれば、どこかに限界点は存在しているはずですから。

なのに、1社目が一番高い金利で、それ以降は下がる、って有り得ないでしょ。これは宣伝力があり、資金規模の大きな、最初のアクセスに強みのある業者のみに、意図的に「利益」を与える方法ですよ。特定業界に利益供与することが狙いですか?


もう一度引用しますけど、『急な金利引き下げで貸金業者が融資を絞るのを防ぐため、数年間の経過措置として、特例金利を容認することにした。』ってなってますよね。融資が絞られる可能性があるのは、「プライム層」じゃなくて、「ハイリスク・グループ」とか「サブ・プライム層」でしょ。高い適用金利じゃないと貸せないような人たち、ってことですよ。短期・少額の顧客がどうして資金を絞られるわけ?クレジットカードのキャッシングとかでも、18%以下になってる所がある訳で、貸金業者が絞るならばそっちから調達すればいいんだよ(笑)。短期・少額であろうと、クレジットカードのキャッシング・ビジネスは行われているんですけど。


特例金利、絶対反対!!
断固阻止!!

昔の左翼運動みたい・・・笑



奴隷の木

2006年08月22日 18時00分10秒 | 社会全般
昔むかし、はるか遠い昔、ある島がありました。そこには「不思議な実のなる木」がありました。みんなはそれを食べて生きていました。「不思議な実」は「ドル」と呼ばれていました。どういうわけか毎日実がなる木で、家族ごとにその不思議な木を持っていました。裕福な家族は、その木を何本も持っていたり、たくさん実がなる木であったりしましたし、貧乏な家族は少ししか実のならないやせた木をわずかばかり持っているのでした。


この島に、ある家族がいました。とりあえず、「貧乏一家」と呼ぶことにしましょう。家族は3人で、お父さんとお母さんと娘が1人いました。貧乏一家の持ってる「ドル」のなる木は、あまりいい木ではなく、毎日10個の「ドル」がなる木でした。少なくとも1人3個のドルを食べれば生きていくことは可能でした。貧乏一家の木には毎日10個の実がなるので、余った1個はいくらか保存してありました。ドルは腐らないので、食べない時にはずっと保存しておくことが可能だったのです。でも、天候などの影響なのか、8個しかならない日もあるし、12個なる日もあるのでした。それに、時には「もっと食べてみたい」という誘惑に勝てずに、1人5個とか食べてしまう日もあったりするのです。なので、いつも保存してあるドルは僅かしかありませんでした。

この貧乏一家にとんでもない不幸が訪れました。ある日、悪いタヌキがやってきて、貧乏一家のドルをみんな食べてしまいました。お父さんは言いました。
「こりゃ、困ったことになったな。蓄えのドルを食べて過すしかないな」

その日はとりあえず保存してあった実をそれぞれ3個ずつ食べて、次の日にはいつも通りに再び実がなることを期待しました。しかし、悪いタヌキはまたやってきて、実を全部食べてしまっていたのでした。一家は保存してあった実を食べる事にしましたが、保存している実に限りがあるので、心細くなってきました。タヌキから実を守るために、3人が交代で番をすることにして、タヌキを何とか捕らえようと考えました。次の日、タヌキがやはりやってきたので、番をしていたお母さんがタヌキを棒で強く打ちつけました。タヌキはあまりの痛さに驚いて、一目散に逃げていってしまいました。それからは、タヌキはもう来なくなりました。これで一件落着かと思われたのですが、更なる不幸が待っていたのです。


ドルのなる木は、次の日から実が減っていきました。初めは5個、次の日には3個、そして、全く実がならない日が来たのです。これはどうしたことか、と不安に思い、隣のオヤジに聞いてみることにしました。

「ああ、こりゃタヌキに芽を食われちまって、実がつかなくなってるのさ。大体新芽の出てくるまでの10日から20日は、実がつかないな。それまで待つしかないよ」

こう言われて、貧乏一家は困ってしまいました。既に蓄えておいたドルはかなり食べてしまって、残りは僅かでした。あと3日と持たないでしょう。腹は空いてくるし、これから先、木にドルがつくのはずっと先です。一体全体どうしたものか・・・・と思っていたら、隣のオヤジが教えてくれました。
「長者のAさんに頼んでみたらどうだ?」

オヤジが言うには、きっと何とかしてくれるだろう、ということでした。貧乏一家は教えられたように、長者のAの所へ行きました。すると、Aは親切にも何とかしてあげましょう、と言ってくれたのです。貧乏一家は大喜びしました。

長者は言いました。
「そうですか、それは大変でしたね。わかりましたよ。困ってる時はお互いさまだからね、ドルの実がなる日が来るまでドルを貸してあげましょう。しかし、私の方としても、この先ドルの実がちゃんとおたくの木になって、貸した分が戻ってくるかどうか心配なんだ。だから、約束をして欲しいことがあるからね。まず、ドルの実を100個貸そう。これで10日以上食べられるだろう?で、おまえさんたちの木はだいたい毎日10個のドルの実がなるそうだから、10日で10個くらい余るはずだ。そこから、元の100個の分を2個ずつ返してもらおう。これを50回繰り返せば元の100個は返せるね?それから、10日ごとに余計に1個もらうことにするよ?そうじゃないとね、500日先まで貸したドルが戻ってくるのを待ってなきゃいけないし、心配なんだよ。どうだい?」

長者の申し出は、一家にとっては死活問題でしたので、勿論断る理由なんてありませんでした。貧乏一家の父は言いました。
「ありがとうございます。それでかまわんです。必ず、返しますから」
長者Aは続けて言いました。
「おまえさんたちを信じないわけじゃないんだが・・・万が一返せなくなるってことはないかい?そうかい、大丈夫ってんだね。じゃあ、もしも返せなくなったら、ドルの木をもらうか、娘が一生奴隷になるか、どちらかだからね?いいのかい?それで約束は守れるね?」
貧乏一家は言いました。
「誓って大丈夫です、絶対に約束を守りますから」
「じゃあ、10日毎に3個ずつ持ってくるんだよ。いいかね」とAが念を押して、貧乏一家に100個のドルを持たせてくれました。
一家は、足取り軽く家路につきました。これで何とか食べられる、と安心したのでした。


その後貧乏一家は「100個あるから大丈夫」と思って、1人3個ずつ毎日食べていきました。しかし、大きな箱の中に入れておいたドルの実が次第に減っていくのがハッキリと感じ取れました。一家はだんだん不安になってきました。「全部なくなる前に、実がならなかったらどうしよう?」と思うのは当然でした。1週間が過ぎた頃、母親が箱の中に残っている実の数を数えてみました。借りてきてから70個は既に食べてしまっていたし、実は父親が「すごく食べたい」ということで余計に食べていた時もありましたので、更に減っていたのです。でも、元々残っていた分も少しはあったので、45個残っていました。父親と相談して、これからは毎日順番に1人だけ2個にして節約することにしました。


最初は娘が2個食べ両親が3個ずつ、翌日は父が2個で他が3個、次の日は母が2個で・・・・という具合に食べていきました。長者Aへの返済の日の朝がやってきました。実の残りは、45個あったうち24個減って21個でした。ここから借りた100個の返済分2個と、お礼分1個を返せばよいのです。父親は長者Aの元に3個を返しに行きました。長者Aは、この調子で約束を守ってくれよ、と言っていました。父親はとりあえずホッとして帰ってきました。でも、残りは18個です。あと2日するとなくなってしまいます。それまでに実がなってくれればいいが・・・・と祈るような気持ちでした。とりあえず、残りの日は1人2個で我慢することにしました。

3日後の朝、実が付いていました。ようやく貧乏一家の木に実がつくようになったのです。ですが、以前のように10個もついていませんでした。まだタヌキに食べられてしまって、新しい芽が十分出てこなかったのでしょう。それでも、全く実がならないよりはいい、と思いました。残り6個だったドルの実は、朝5個ついていたので11個に増えました。ですが、以前のように1人3個食べるとすぐになくなってしまうかもしれないと思い、当面は1人2個にすることにしました。この日は3人で6個食べ、残りは5個になりました。翌朝見ると再び5個しか実がついてませんでした。10個のうち6個を食べてしまい残りは4個になりました。でも、次の日からは毎日6個実がつくようになり、5日後には7個実がつくようになってきました。


また返済の朝がきました。今朝は7個残っていて取れた実が7個ありましたので、全部で14個あるうち3個を返しに行きました。毎日6個で我慢していたのですが、3人とももう少し食べたくて仕方がありませんでした。でも、これを続けて行かねばならないのです。その後、ドルの実は8個とか10個なる日も出てきたので、少し余裕がある時は1人3個食べられるようになりました。


長者Aにドルの実を返して始めてから半年以上たった頃でした。この島に台風がやってきて、ドルの木も被害を受けてしまったのです。実がみんな落ちてしまって、芽も傷んでしまいました。その為、しばらくの間はドルの実の数が減ってしまうのは確実でした。貧乏一家のドルの木も勿論被害を受けていて、4個しかならなくなってしまいました。それまでの蓄えはほとんどなく、残りは5個しかありませんでした。貧乏一家は困ってしまって、長者Aに頼んでみることにしました。

「長者さん、すまないがまた貸してくれんじゃろか?」
「いいや、無理だな。これ以上は貸せないよ」
「でも、それじゃったら、ワシら食べれん」
「無理じゃ。ほかに当たってくれんか」
「わかりました・・・・」
「ああ、返せなかったら、判ってるな?約束」
「へえ・・・」

貧乏一家は途方にくれました。貸してもらえるあては、ありませんでした。
トボトボと歩いていると、向こうから男がやってきます。

「おまえさんたち、断られたのかい?」
「ええ、でも台風の被害で困ってしまって・・・」
「なら、いいことを教えよう。長者Bさんなら貸してくれるだろう」
「本当ですかい?」


男に教えられたように、貧乏一家は長者Bの元を訪れました。

「ドルの実を貸そう。だがな、この台風でみんな借りたがってるんだよ」
「そこを何とか・・・・」
「いいけどな、その分多くお礼をもらうぞ」
「へい、それは承知しております」
「それと、約束を破ると奴隷だからな」
「はい、それでもいいですので」
「よし、100個貸してやろう。その代わりお礼は7日で一個だ。いいか」
「わかりました」
「元の100個は7日毎に1個返せばいい。それを返し終わるまではお礼も続く」
「はい」
「じゃあ、7日後に2個持ってくるんだぞ」


こうして貧乏一家はどうにかドルの実を調達できたのです。台風被害の為に木になる実の個数が減ってしまって、4個しかならなかったのですが、1ヶ月もすると7個程度はなるようになっていました。それでも100個借りた分は、70日後には残りがかなり少なくなっていました。この間、平均で毎日ドルの実を7.8個食べていたのです(それでも1人3個よりは少なくしていた)が、実がなったのは平均で7個でしたのでその差分が56個あったことと、41個は返済に回さねばならなかったからでした。なので、残りは13個しかありませんでした。


それから7日後長者Bに2個を返して11個残っていたのですが、その日にまたタヌキがきて、ドルの実を食べられてしまったのです。再びドルの木に実がなるのは、日にちがかかります。もう返済はできそうにありませんでした。勿論、借りるあてもありません。貧乏一家は長者Aに頼みに行きました。

「もう少し待ってもらえませんか」
「約束を守れよ」
「判っています。次の時には必ず一緒に返しますから」
「本当だな?今度持ってこなかったら・・・・判ってるな」
「はい・・・」

しかし、もうダメでした。貧乏一家には返すことなど無理でした。毎日一家全員で1個だけ食べていましたが、残りは僅かです。長者Bにも待ってもらいましたが、次の長者Aに4個返すことなどできないのです。長者Aに懇願しました。何とか待ってもらえませんか、と。しかし、長者Aはダメだ、と言いました。

「おまえたちは、約束を何度も破ったのだ。もう待てない」
「しかし・・・・もう少しすれば実が・・・」
「黙れ。木をもらうか、娘をもらうかだ」
「そんな・・・ご勘弁を。必ず払いますから」
「ダメだな。木をもらおう」
「ワシら死んでしまいます。それだけは・・・」
「じゃあ、娘をもらおうか」
「・・・・・」

こうして娘は奴隷に取られることになりました。数日後にドルの木に実がなりましたが、また4個くらいしかなっていなくて、長者Bへの返済も苦しいありさまでした。それでも、長者Bに返済を続けねばならなかったのです。実を食べるのが父母の2人に減ったので、どうにか頑張れば返せそうですが。こうして、貧乏一家は家族の1人を失ったのでした・・・・



このような事態は貧乏になったのが原因なのであり、元々のように定常的に10個くらい実をつけていれば何の問題もなかったのです。長者は何も悪くないのです。貸してあげたんですから、善人かもしれません。


現代でも、これに近いことはあります。貸す側の年利で言えば、10日で1個だと36%くらい、7日で1個でも50%くらいですから、「上限金利(引下げor規制)反対派」の意見に従えば、「暴利でも何でもない」のですよ。奴隷もないですし、人身売買もないでしょうから、物語のようにはならないですけどね。


でも、自殺とかはありますので、自殺者が当然出ることを見越して貸金業者が生命保険を掛けてあるから、「債務者の命」と引き換えに「回収」しているので、似たようなもんですかね(一生涯奴隷も死んだのと同じようなものではないかと)。貸金業者にとっては合理的な行動と言えるでしょう。だって、貸金業者が「殺してる」わけじゃないんだし(笑)。合法だよ、合法。知らんヤツが悪いのさ。完全焦げ付きよりも、借り手の命で払ってもらった方がいいわな、そりゃ。「保険掛金+回収不能債権」の大きさと、「受け取る生命保険」の比較だもんね。多少は死んでもらった方がいい、ってことなんでしょうな(ところで、そういう保険会社の商品って、他の一般加入者とかと混ざってたりするの?混ざってないとしても、他の借り手も含めてその経費を負担しているんだろう。住宅ローンの団信みたいなのにも似てるけど、意味合いは別だ)。

縦並び社会:広がる多重債務 最後の頼りが消費者金融、出口は見えず--長崎・対馬-話題:MSN毎日インタラクティブ


命を張るくらいなら、自己破産した方がいいのよ。でも、破産というのが、死と同じくらい過酷なものであると考える人たちが少なくないということでしょうか。田舎とかだと暮らし難いのかな・・・。「少数が死ぬのは仕方ない」であり、「死ぬのは弱い個人だから」ということを肯定している人たちもいるかもしれません。「それは制度のせいではない」「金利が高いせいじゃない」ってことでしょうけど。


ところで「上限金利のような事前規制はよくない」という人たちは、事後的に何を規制しようと言うんでしょうかね。価格競争なんだから上限金利規制はいらない、完全自由化でよい、というのに、事後的に何を違法とするのか、ちょっとよく判らんね。詐欺行為なら詐欺だし。取立行為規制は既にあるから関係ないしね。個人の貸出総量の規制も同じく事前規制だと思うけど。自由化による競争促進なら、貸金業者を今の許認可制でなく完全自由にするべきなんでは?これも事前規制なんでしょ?参入障壁だと思うけど。それより、誰でも自由にいくらでも貸せるようにした方がいいんじゃないの?業者・業界ごとの信用情報の偏りも、新規参入障壁でしょ?



専門家は正しい知識を啓蒙しているか

2006年08月21日 21時53分00秒 | 俺のそれ
今日のfinalventさんの日記を読んで、ちと考えた。判るような気もするけど、どうなんだろうな、と。

専門家の意見というのは、大抵は素人よりも正しいだろうし、素人の知らない知識なんかも総合して考えるから、同じような意見表明であっても意味合いが違うだろう、ということは理解できる。そりゃそうだろうね。特に専門家自身が「メシのタネ」にしている分野なのに、素人以下であれば、その人の存在価値が失われるか、いい加減な評価の恩恵を受けているが故に稼げる、ということになるでしょう。素人以下の専門知識しかない専門家は、カタリみたいなもんですかね。そういうのは結構いたりするような気もしますけど、まあいい。要は、「素人衆」に正しい知識を植えつけられるように、情報を保有している専門家が正しい情報を出すようにしてもらえればいいのです。あんまりできてないことが多いと思うけど。


では、専門家以外の人間が、生半可な知識をかじったくらいで批判したり、ブログに書いたりしちゃいけないか、というのは、ちょっと違うと思いますね。もう何度も書いてきましたが、たとえちょっと間違っていようとも、十分な専門知識がない状態であっても、意見表明はしていいハズです。それに、経済学者や経済評論家が専門知識に基づいて何かの意見表明をしていても、それに対する批判とか反対とかそういう意見を文学者や社会学者が何かに書いたりするのも当然アリですよね。そういうのには、言論で対抗してもらえばいいのです。で、専門家と専門家以外の人がやりあって、それを見ている人々は「どちらがどうなのか」ということを考えるわけで、まるで「見当ハズレ」の批判とかであればアッサリと決着がつくでしょう。専門家にしか判らない知識に基づく意見であっても、それを相手に理解できるように示せるか示された意見への反論を見れば、専門知識がない人であってもおおよその判定はつけられるでしょう。

他には、ブロガー同士のような場合であればどうなのか、ということもあるかもしれない。一方が「アルファーな方」で影響力の大きい場合で、間違ってることを言ったり書いたりしている時もあるかもしれない。そのような場合でも、やっぱり言論で対抗してみるしかなく、「専門的にはこうです」ということが判りきってるならば、専門家がそれを教えてあげればいいのだし、そこで専門家の意見を拒否する理由なんてそれほど存在しないのではないかと思えますね。どうしても同意できない場合には、拒否もあると思いますけど。ああ、でも、無視はあるかもね。本当の専門家の言う正当な意見が全く黙殺されて、アマチュアなブロガーの方が支持されるということは、あまり見かけないと思います。


そうは言っても、専門家にも問題があることもあるし、報道段階で誤って伝わってることもあるし、色々あるからね。なので、専門家の意見だからといって、鵜呑みにしちゃいけないこともあるから、「どうなんだろう?」と素朴に思って考えたり調べたりすることに意味があるんじゃなかろうか。私もどちらかと言えば「反専門家主義」に罹患しているからね(笑)。今までに、専門家の意見に反対していることも多々あるし。


いずれにしても、本物の専門家の方は、「アマ」の間違ってる姿を見かけたら、元々の優位性に裏打ちされた精神的余裕があるはずですから、優しく教えてあげればよいのではないでしょうか。アマの方は、たとえ間違った意見の表明であっても、問題提起としては否定されることはないと思うし、そこから次のステップに進めることができればそれでいいと思う(いつまでも間違った意見を押し通すのはよくないね)。


namiさんの言うように、日経社説の「マクロ経済スライド」が正確に説明されていないことが問題であるとして、「マクロ経済スライド」のスライドの仕方自体が社説の主旨とかfinalventさんの意見を大きく変えるわけでもなく、影響は殆どないと思うんですよね。「スライドの説明が間違ってる」ってのは、専門性は高いかもしれないが、本質を変えるものではないわけで。そりゃ、完璧な知識を持って批判せよ、っていうのは、部分的には正しいけれど、それを全部に求めるのであれば、「専門家以外」は全く批判できなくなっちゃうわけだし。


<ちょっと寄り道:
昔(といっても高校時代だから、今から22年くらい前)、文系の人にありがちだったように思うんだけど、日本史の凄く細かいどうでもいいようなことを知っている人がいて、「マニア?自慢」みたいな感じがしてたんですよね。「軍オタ」もちょっと似てる気がするが。細かい間違いを修正したり、指摘したりしても、そういう枝葉末節で問題が解けるということでもないのでは、と思っていた。自分は入試で歴史を選択しなかったから(日本史・世界史は教科書が厚かったので・・・笑)よく知らないし、そんな細かいのは全く興味なかっただけなのですけど。>



因みに、namiさんのマネをして(というか、対抗意識?)、google検索を調べてみましたよ。
前にもちょっとやったけど。「麻生親分」とか(笑)。


キーワード「反専門家主義」でみると、約639000件中、トップ!
信じられないでしょうが、そういうもんです。ガハハ
みなさん、ちょっとショックを受けられたのでは?


続いて、namiさんご自慢(13位)の「格差社会」、これ、すごく多い。
何と約3130万件。
それがですね、何と、2着ですからー!!!
「内田樹の研究室」の次ですから、わたくしの「ショボクレた寂れブログ」が!!
これが、どうしてなのかは全く不明。
ただですね、このキーワードでウチに訪れてる人はきっと少ないと思う。
何故なら、読者の数が増えないからですね。大体同じ傾向だもの。
でもいい。

グーグルいいぞ、凄いぞグーグル!!笑
これからは、グーグルを応援します、私。オリンピックのスポンサーみたいに。
「私たちは、グーグルを応援しています」


グーグルの人?は、多分ブログなどに自分の所の記事が出てないか、ネット上を巡回していると思う。
だって、前に書いた検索結果の表示のことなんですけどね、その後暫くしたら修正されてたし。
どうやってチェックしているのかは不明ですけど。


あと参考までに、gooブログの記事にも、「ヤバい」キーワードみたいなのが設定されていて、記事更新をしようとするとチェックに引っ掛かるのではないかと思う。どうしてそう思うかと言うと、前に「麻薬」に関する架空の物語を書いた時に、画面の表示が変になってたもん。多分、違法な記事などが無闇やたらと公表できないようになっているんだろうと思うな。その為の、キーワードチェックがあるのだと思う。



駒大苫小牧は惜しかったね

2006年08月21日 16時55分08秒 | 経済関連
偉業の3連覇はやっぱり難しかったか。
でも、凄いね。選手はとても頑張ったと思うよ。


ハンカチ王子(笑)も立派だ。
非常にクレバーな投球術を心得ている。


でもね・・・・3連覇に挑戦できるのは、誰かが連続優勝するしかないので、
最短でいってもしばらく先になるだろう。
折角だから、駒大苫小牧には「歴史」を作って欲しかったな・・・
なんてね。
欲を出してもダメでしょうけどね・・・


高校野球が多くの人々に感動を与えたことは確かだよね。
野球はやっぱり魅力があるんだよ。



教育は格差を再生産するか~その2

2006年08月20日 01時02分11秒 | 教育問題
前の記事は途中で挫折してしまいました。睡魔に負けてしまいました。というわけで、続きを書いてみようと思います。


結局のところ、「親次第」ということであり、「親の生き方そのもの」が子供にも受け継がれていく、というようなもんです。なので、親が思考法を変えない限り、「迷える若者たち」はいつまでも残されるでしょうね。


子供の成績が悪いのは学校の教育が悪いせいだ、というようなことを言う親がいるらしいですが、「まず自分を見てみなよ」ということなんでしょうね。「あなたから生まれた子なんですから、それなりってものですよ」と誰か言ってみてくれませんか(笑)。勘違いしてるのは、まさに親の方なのでしょう。


生まれつき足の速い子は、100m競争では優位性があるに決まっており、速く走れる能力を元々持っていなければ、たとえ努力してもある程度までしか向上しないでしょう。それならば、もっと別の―長距離走とか―競技で能力向上を目指す方が効果的であるかもしれないのです。でも、何故か学校の成績ばかりを気にしている親が多いと思いますね。普通、自転車に乗れる人が圧倒的に多いと思いますが、子供のうちに練習すれば大体誰でも乗れるようになれますね。勉強にしても、最低限「自転車に乗れるようになる」という水準ならば、努力やトレーニングで到達できるようになれると思います。でも、「他の連中との競争に勝って、いい大学に入れ」というのが可能な人と、そうでもない人がいても不思議じゃないのです。自分の得意な分野で勝負する方がいいと思えますけどね。それが何なのかは、発見するのが難しかったりしますが。


確かに、プロ野球選手になるのは大変です。1球団に75人いるとして、12球団ですから900人しかなれません。海外に流出した選手や、元プロ選手とか、そういう人も含めればもっと多くなりますが、現役選手ということで考えると、高々1000人程度です。つまり、大雑把に「1億2千万分の1000」という厳しい水準です。12万人に1人しかいません。それだけ狭き門ということですので、高額年俸であるとも言えます。プロゴルフ選手とか、大相撲の関取とか、そういう人々は、もっと少ない確率でしかなれないでしょう。弁護士や医師の方がはるかに多く存在しますから、確率的には、そちらを狙う方が有利、ということかな。医師は確か26万人くらいは存在するはずですからね。


勉強をある程度やっておけば、他の色々な場面で使えることもあるし、相撲とか野球とかゴルフの能力よりも、有効範囲が広い、ってことはあるね。だから、やっぱり頑張った方がいいけど、親の能力・人生から見て「ずば抜けて」いいことは少ない、ってことか。でも、スポーツ選手でも、親は普通の人であっても、中には成功する人もいるから、生まれつきの能力とばかりも言えないこともあるかも。統計的な傾向というのはあくまで「平均的」な場合を示していることが多いから、それと乖離している場合もそれなりにあるだろうね。所謂「個体差」ってやつだね。


「垂直跳び」の平均を見るとき、日本人とケニア人を比べるとかはできるよね。仮に、日本人の平均が50cmで、ケニア人は平均が60cmだったら、「垂直跳び」という競争においては優位性というのがあるもんね。でも、日本人の中にも80cm跳べる人もいるわけで、親が50cmしか跳べなくても、そういう可能性はあるかもしれないですね。勉強も同じで、親の能力に大きく影響を受けるけれども、「トンビが鷹を産む」ということも有り得るのでしょう、きっと。逆の場合も有り得るけどね。親が立派なのに、子どもはどうして・・・みたいな。


よく判らなくなってきましたが、親の態度としては、「子どもの成績が思わしくない時」には、「自分の生き方に問題があったのだ」と自覚するしかないのでしょうね(笑)。しかし、必ずしも悲観することはなく、優位に立てるものを探してあげることができればよく、子どもの可能性を否定しないことが必要なのかも。

そうは言っても、私自身が一人の親として、その勇気があるか、子どもが挫折を乗り越えられるか、という部分では、自信ないなー。親の「生きざま」を見せることで、何かを学び取ってくれればいいかな、と思っていますけれども。



中国の非モテは日本よりも非モテ(笑)

2006年08月19日 23時51分23秒 | 社会全般
嫌中派?の独身男性諸君に朗報です。って、そんなわけないか。冗談です。
日本の男性のうち、生涯独身の方は1割くらいいると思われますが、中国は今後それ以上に深刻な「非モテ」状態に陥ると思われます。「中国人男性よりはマシ」というのが常識になるでしょうね、きっと(笑)。


Yahooニュース - サーチナ・中国情報局 - 【中国】20年後には男性の10人に1人が「結婚相手なし」


記事にもありますが、なんと言っても、「一人っ子政策」が大きな影響を持っているのと、都市化進展の影響で「産み分け」というか出産前に性別が判明するようになって、男児優先が実現してしまうからですね。中国においても男尊女卑の思想は未だ根強く、男児でなければ産まないという人が増えた結果、男女比のバランスが大きく崩れてきた為でしょうね。


記事の一部を抜粋しますね。

中国では1980年代から男女の出生数の不均衡が表面化。2000年には0歳児の男女比が116.9:100となり、04年には121.2:100に達した。

省別では海南省と広東省で不均衡が目立ち、2000年の時点で海南省では135.6:100、広東省は131.9:100になった。中国では人口抑制策として、計画出産が実施されている。地域や民族により詳細は異なるが、1組の夫婦は1回の出産しか認められないという場合が多い。中国の計画出産が、しばしば「一人っ子政策」と呼ばれるのは、そのためだ。

男女の出生数の不均衡が発生したのは、「1人だけというならば、どうしても男の子がほしい」という夫婦が多く、妊娠中に医療機関に男女の性別判定を依頼し、女の子だと分かった場合に人工中絶してしまうためだ。既に妊娠中の性別判断は禁止されているが、徹底しているとはとても言えないのが現状だ。




こんなに不均衡が進んでいるんですよ!!
日本との状況と比べて考えてみましょうか。

日本でも少子化は進んでいて、一人っ子に限りなく近づいてきていることは確かにありますね。でも、男女比の不均衡はそれ程悪化しているわけではなくて、大体最近では男:女=105:100くらいですね(もうちょっと昔は102:100とかそういうレベルであったと思う)。これでも、今の生涯未婚率が10%だったか12%とか、それくらいのレベルなのです。

当たり前なんですが、女性が全部結婚する訳ではないですからね。そういう数を除外しなけりゃいけないし、一人の「モテ男」が複数女性をものにしていることもあるでしょうし(笑)。なので、男は余るから、1割くらいが未婚男性になってしまう。それでも、中国とかロシアとかブラジルとかから女性を連れてきて、国際結婚している男性も増えていて、今の水準なのですね。中国人女性は今後中国国内でさえ「貴重」な存在となっているのに、日本に流出しているわけですから、もっと厳しくなるかもね。


要するに、日本では女100人に対して男がたった5人多いという水準でさえ、これほどの「女不足」「非モテ」が起こってしまうのに、これが今の中国みたいな20人とか30人といった水準で男が多くなれば、それより多い割合の未婚男性が出てくるはずです。

どーです?日本の独身男性諸君、何だか希望が湧いてきたんじゃありませんか?
「中国よりは、マシ」
これ、ホント。確実ですから!!


ああっと、昨日の続きは後で書きます。スミマセンでした。




教育は格差を再生産するか

2006年08月18日 20時06分37秒 | 教育問題
昨日の記事でたまたまシカゴ大の話題を書いたのだが、先日購入した『ヤバい経済学』の著者の1人である経済学者レヴィットもシカゴ大だそうだ。

以前に触れたベッカー先生(少子化と労働問題9)もシカゴ大なんだって(レヴィット本の中でもチラッと登場してた)。そういえば、山口一男先生(少子化と労働問題7)もシカゴ大だった。私はアメリカ本土に行ったことは一度もないし、シカゴもどんな所なのか知らないけれど。ギャング(マフィア?)映画とかのイメージしかない(笑)。


本の中身に戻ろう。全体に興味深い内容になっているが、特に目を引いた部分を取り上げてみたい。


「完璧な子育てとは?」という第5章の中で、学校の成績と関係のある事項を調べているのだが、詳しい中身は実際に読んで頂くとして、一番感銘を受けた記述を挙げてみよう。

『一つ目のリストに挙がっているのは親がどんな人かだ。二つ目のリストに挙がっているのは親が何をするかだ。いい教育を受けていて、成功していて、健康な親御さんのところの子供は学校の成績もいい。(中略)子育ての技に取り憑かれ、パラノイアになった親―や子育て専門家―に聞かせてやれば目が覚めるかもしれない。現実には、ああいう技はもてはやされすぎている。』

『でも、だからといって親が関係ないってことじゃない。もちろん親はものすごく重要だ。それがとても難しいところだ。つまり、親御さんが子育ての本を手にするころにはもうぜんぜん手遅れになっている。大事なことはずっと前に決まってしまっている―あなたがどんな人で、どんな人と結婚して、どんな人生を歩んできたか、そういうことだ。あなたが賢くてよく働いてよく勉強してお給料も高くて、同じぐらいよくできた人と結婚したなら、あなたのお子さんも成功する可能性が高いでしょう(中略)。でも、あなたが親として何をするかはあんまり重要じゃない―大事なのは、あなたがどんな人かなのだ。』(P222~223)


如何でしょうか。けっこう衝撃を受けたりしませんか?(笑)
『大事なことはずっと前に決まってしまっている』ですからね。それに、『大事なのは、あなたがどんな人かなのだ』ですし。


子供の成績がいいのは、遺伝的な要因なのか、出生後の環境要因なのか、これは判らないのですけれども、親と関連していると言えそうだということです。

考え方としては、大雑把に言えば

①生まれつき頭がいい→なので成績もいい(→社会的に成功しやすい=収入も高い)→子供も生まれつき頭がいい

②親の収入が高い→教育にお金をかけてもらえる→子供の成績がよくなる→社会的に成功しやすい=収入も高い

ということだろうと思われますが、どちらがどうなのかは判りません。でも、親が「どんな人生を歩んできたか」というのが、一番重要なのでしょう。親とはそういうものだ、ということです。これって、「子は親の鏡」ということが当てはまるのではないかと、ちょっと思いました。まあ普通に考えて、「センスと努力」の両方(生まれつきと環境)なんではないかと思うけど。


例えば、「ゴルフ」について考えるとしよう。「生まれつき要因」というのは、元々センスが良くて、ゴルフの才能がある、ってことだ。大して練習しなくても、ドライバーショットは遠くに飛ばせるし、バンカーショットもうまい、ってことです。でも、練習しないと、成功できない。なので、「環境要因」としては「小さいうちからゴルフをさせられる」とか、「頻繁にコースを回るお金がある」とか、そういう要因ですね。どっちもあるのではないかと感じますけどね。すごく貧乏である場合、ゴルフ用具も用意できないし、コースを回るなんて無理ですよね。生まれつきセンスが良ければ、同じ練習時間であっても早く上達するし、一定水準以上に超えていける。でも、センスがないと、練習である程度までは上達するが、どこかの時点で頭打ちになり、何度プロテストに挑戦してもダメとかプロになれたとしてもいつも予選落ちで終る、というようなことです。たとえゴルフの英才教育を施したとしても、その子供たちがみんな、タイガー・ウッズや宮里愛ちゃんみたいにはなれんのですよ、多分。


<休憩所:
全然関係ないのですが、笑い話を聞いたことあります。
シカゴ大のアメリカ人と日本人留学生の間での会話。

ア「日本の地名で知ってるトコあるよ」
日「えっ、東京とか京都とか?」
ア「それは確かに有名だけど、もっと違う街さ」
日「他には・・・大阪とか?それともヒロシマ?」
ア「いや、違うよ。札幌さ」
日「よくそんな地方都市を知ってるね。どうして?」
ア「シカゴじゃ、かなり有名さ。サッポロビール」
日「あー、ナールホド」(笑)

作り話かもしれないですけど。どうなんでしょ?

毎度のビールネタですみません。
私がビール好きだからっていうことではないんですけど。笑>


ちょっと退席しますので、また後で。



世界の大学ランキング

2006年08月17日 21時23分21秒 | 社会全般
世界との差はあるけれど、日本はまずまずの健闘ということかもね。

livedoor ニュース - ソウル大、「世界の大学トップ100」入りならず

(記事より一部抜粋)

アジアでは、日本の東京大学が16位となり、最も世界化された大学として評価された。日本は東京大学のほか、京都大学(29位)、大阪大学(57位)、東北大学(68位)、名古屋大学(94位)の5校が100位圏に入った。さらに韓国の金融ハブのライバルである香港からは香港科技大学(60位)と香港中文大学(96位)、シンガポールではシンガポール国立大学(36位)と南洋理工大学(71位)がそれぞれ2校ずつ選ばれた。しかし、韓国と中国大陸の大学は一校も入っていなかった。


だってさ。

韓国は香港やシンガポールをライバル視しているんだね(笑)。そして、何よりもガックリ感が漂うのが、『韓国と中国大陸の大学は一校も入ってなかった』という記述だよね。本当に残念そうに言うんだもの。


日本ではやっぱり、東大・京大・阪大・東北・名大といったところがグローバル化というか世界標準での評価は高く、他の有名私立は国内でばかり大きな顔をしているが、世界基準では全くのランク外なんだね。
「どうした?慶応・早稲田、もっとガンバレよ」と激励したくなります。せめて100位以内には入れるように頑張るべきだね。上の記事風に書けば、香港の科技大や中文大以下の評価ってことだし、シンガポール国立大や南洋理工大の足元にも及ばない評価ってことだよね。この評価が適正かどうかは知らないし、一つのランキングだけからは一概に言えないだろうけど、でも、国内でメジャーな割にはどうかと思うね。

私学助成金とかで散々金をつぎ込んでいる割には、「私立が1校も入れない」という現実をよく見るべきではないかと。ハッキリ言って、無駄。何百校も私立大学があっても、香港中文大以下の評価しか受けない、ということだ。単年度で数千億円(?)かけてもこのザマだ。


ベスト10をもう一度見ておきましょうぞ。

1位 ハーバード
2位 スタンフォード
3位 イェール
4位 カリフォルニア工科
5位 UCバークレー
6位 ケンブリッジ
7位 MIT
8位 オクスフォード
9位 UCサンフランシスコ
10位 コロンビア

だよ?(って、何が?笑)
こりゃ、仕方ないわな。東大はまずまず頑張ったんじゃないか?シカゴ大でさえ、ランク(ベスト10)外だし。

因みに、シカゴ大関連のノーベル賞受賞者はもの凄く多いぞ。厳密に言うと、経済学賞は「ノーベル賞」じゃねーよ、とか言われてしまうかもしれんが(実際そうだし)、一応一緒にカウントすることにすると70人以上もいるんだと。スゲー!!!


経済学に関連するのは、確かに量産されとるようだな・・・・。ノーベル賞受賞者が。
でもね、私の場合、シカゴ大で直ぐに思い浮かぶのは、勿論「ワトソン君」だ。
例の「ワトソン君」なんかじゃないですよ、ホームズに出てくる。
そうさ、「ワトソン、クリック」のワトソンさ。
DNAの2重らせん構造を解き明かした、分子生物学の祖と言ってもいい。

これはまあ別にいいんだが、シカゴ大では「ノーベル賞受賞教授」が普通に陰気くさい顔して廊下とかスタスタ歩いてたりするんだろうけど、それでも「ランク外」ですから。なので、ベスト10の壁は相当厚いね、多分。世界ランク「トップ20」でも十分自慢できるよ、きっと。


で、日本の有名私立は、「実践的な教育」とか「職業訓練」で成果を挙げてるのかも。ふーん。
それか、もっと別な意味で「実践的」なのかもしれんな(笑)。さすが、私立。



保守は革新に対抗できるか

2006年08月17日 00時35分26秒 | 社会全般
昨日早朝に小泉総理の靖国参拝がありましたが、国内外で色々と議論があったようですね。最後の「置き土産」としては、中々重たいものであり、良くも悪くも小泉総理らしい「パフォーマンス」であったと思います。


戦後日本の「お詫び」「反省」というひたすら平身低頭の時期を脱して、ようやく過去の「自分たちの国」が行ってきたことを冷静に見つめられるようになってきたのだろうと思います。それは、「触れてはいけないもの」「犯罪者・加害者の家族」というようなトラウマに支配されていた期間が非常に長かった、ということであるように感じます。それだけ先祖の犯した過ちは大きく、その過去を全て引き受けざるを得なかったのです。これもまた、歴史の重みであると思いますし、日本人が「得たもの」の代償はとても大きな犠牲を伴うものであったのです。日本人がほんの僅かに賢くなるには、あまりに大きな代償でした。


小泉総理が参拝を貫いたことで、中韓にとって「靖国問題」は外交カードとしての威力(魅力?)は小さくなり、より「国内問題」へと引き戻すことになったと思います。これを総理が国民に説明してしまえば、それこそ外交上問題が大きくなると思います。その点、安倍官房長官は「好ましい」選択をしたと言えるでしょう。「行ったとか、行ってないとかは言わない」というのは、中韓に対するメッセージとしては明確であるからですね。


日本人が考えるべきこととしては、「靖国神社」をイデオロギーに利用させない、ということでしょうね。そういう勢力を封じ込める、ということです。靖国神社の持つ政治性を完全に消し去って、例えば「徳川家康が祭られている神社」というのが現在政治的役割もイデオロギーも持たないのと同じようになるならば、今のままの靖国神社であっても誰も問題視しなくなるし、取り上げられなくなるであろうと思います。昔、一向宗が何らかの「政治性」を胎蔵していた如く、宗教が利用されてしまうことはあるのであり、宗教がイデオロギーから完全に切り離されてしまえば、殊更問題にされることもなくなるのではないのかな、と思います。こうした政治利用をさせているのは、中国でもなければ韓国でもなく、日本人そのものではないかと思えます。そのような煽動に便乗し、勢力を拡大しようとする連中に加担している日本人がいる為でしょう。


今の状況というのは、傾向としての右派・左派という区分と、保守・革新という区分はややズレがあるように思われ、どちらかと言うと「革新右派」と呼ぶべき勢力が存在していると思います。安易な排外主義に傾いているのは、主にこうした「革新右派」であり、反米を掲げるのもその一環なのではないかと思えます。従来の「保守勢力」とは大きく異なり、単純に右派とは呼べないように思えるのです。若年層の右傾化というのは、欧州などでもよく観察されるのであり、こうした「革新右派」に陥りやすいのは日本に限ったことではないでしょう。若年層の置かれている経済状況が貧困化へ向かえば向かうほどその傾向を強めるであろうし、ネットの影響もあるかもしれないけれども、「革新右派」はこれらを背景にして勢力拡大を図ってきていると思われます。


これらに対抗するのは勿論旧来の左派ということでもいいのですが、多くの先進国で左派勢力の衰退が起こっているし、日本国内においても左派の政治的役割が認められているとは到底考えられず、このことは選挙での結果が如実に物語っていると思われます。戦後に左派勢力が何一つ成果を残してこれなかったことを反映しているのです。ひたすらに「攻撃対象」を見つけては攻撃を続けたが、そうした闘争に多くの国民が疲弊しすぎ、いつまで経っても埒の明かない攻撃に飽き飽きしたというのが本音ではないかと思えます。対象を単に攻撃したところで、何も生まれてこないということを大衆は悟ったのです。長い間に大衆が得た教訓でした。堕ちて行った左派に代わって、こうした攻撃的な姿勢を作りつつあるのが「革新右派」であり、左派への攻撃だけではなく、従来の「保守勢力」をもその対象としているのでしょう。それ故、「反米」とかその他排外主義的な主張を繰り返し、右派に対しても「腰抜け」「ポチ」「隷従」などの罵倒を行っているのではないでしょうか。


こうした「革新右派」に対抗できるのは、やはり「頼りにならない左派」などではなく、「保守」勢力であると思います。



終戦記念日に思うこと

2006年08月15日 01時59分13秒 | 社会全般
先日読売新聞の特集記事で、昭和の戦争についての総括が出ていた。これまでのシリーズをまとめたもので、読売新聞の取り組みとしては、高く評価されていいと思っている。特に戦争への記憶を持たない日本人にとっての、大切な教訓を示していると思う。改めて思うことは、「人間は愚かだ」ということと「戦争は絶対に避けなければならない」ということだ。


「戦争責任」についての歴史的評価は、読売新聞でも示されたし、他の歴史研究でも数多く出ているだろうから、今は特に触れない。ただ「犯罪」というのは、法に規定されているから犯罪なのであって、法になければ犯罪として処罰されてしまうことはないはずであろう。「戦争は合法だ」というのも、心情的には賛同しがたいが、法とはそういうものなのであり、「戦争責任」というのが確実にあっても「犯罪」として成立しているかどうかということは、法によるべきものなのだろうと思う。


恐らく危険なのは、「理想を追求していく」ということを突き詰めていけば、「精神性」「神秘性」のような部分が強調されるに至ってしまうことであろう。特に官僚主義的とか完璧主義的な組織が存在すれば、一方向に傾いていくのかもしれない。こうした先導を果たす役割というのは、全くの無学な人間にはできないのであり、むしろエリート的な人間にしかできないであろう。「理想」を求めるが故の陥穽であるかもしれない。平凡に、「怖いものは怖い」「命が何よりも惜しい」という、より生物的な、というか「本能的」な感覚の方が結局大事で、そういう「普通の感覚」を持つ人々の方が多いということが間違いを減らすに違いないと思う。世の中というのは、そうそう「理想的」にはいかないものなのであろうし、混沌としていて完璧でない部分がある方が健全であるという証拠であるのかもしれない。


靖国神社に対する意見や想いというのは、人によって大きく異なるのは当然だろうと思う。これは、戦争の「傷」を受けた者でなければ、やっぱり判らないものなのではないだろうか。私は戦後生まれであるので、本当のところは判らないし、色々な情報や識者等の意見を見かけるだけである。もしも自分の親兄弟とか、その他肉親を失った人であるなら、「何と思っているか」「どう考えているか」というのは、私のような戦後世代とは違っていても不思議ではないと思う。そこには、数百万か数千万の「物語」があるはずだろうと思っている。肉親や友人たちや近所の人等の知人たちが、次々と戦争の為に死んでいくということを「受け入れざるを得なかった」人にとっては、特別なことなのではないかと思う。体験していない私達があれこれというのもおこがましいというか、申し訳ない気持ちになる。


「絶対に許せない」、そう思う遺族も少なくないのではないか。当時の国のやったこと、軍部をはじめとする責任者たちのやったこと、それを永遠に許すことはできないし、指導者とか上官という特定個人を恨みに思うことがあるかもしれない。そこには、そう思うことで「死者」に対する自分の想いを60年以上に渡って繋ぎ続け、「やり場のない怒り」をぶつけることで自分の心を鎮めてきたという「物語」があるのかもしれない。逆に、特定個人への恨みや非難は全く持っていなくて、ただひたすらに「死」をもって分かれることとなった故人への「慰霊」という気持ち、国のために死んでいったその他の戦死者たちへの敬いの気持ち、これらを表わしたいと考えている人もいるかもしれない。戦友たちなどが死んでいった中で、「自分だけ」が生きて残ってきた後ろめたさのような気持ちを詫びるという人もいるかもしれない。いずれにしても、それぞれの物語があって、それは体験していない人間には計り知れない深さのあるものなのだろうと思う。もしも自分の家族、親戚、級友、職場の同僚、隣の家の人、そういう人々が、常に「死」が身近にあって次々に死んでいくとしたら・・・・これは受け入れがたい状況だと思うし、それ故に自分の心の中に何かの「理由付け」を行わない限り心の整理がつかないと思う。


こうした人々が靖国神社についてどのように思うかは、私にはどうすることもできないし、彼らにとっての「靖国神社」というものに立ち入ることもできないように感じる。彼らの「物語」が残っている限りは、私には彼らの気持ちを無視して「靖国神社」をどうこうと言う権利もないように思える。せめて直接の遺族の残っている間は、今のままで置くしかないように思える。「物語」はまだ続いているのだ。


「政治的な靖国参拝問題」と、かかわりのあった人々の心の救いがあるかどうかということとは別なのだろうと思う。



アクセスが出来ない地域に逝ってきます

2006年08月13日 08時05分15秒 | 俺のそれ
更にド田舎に行くので、更新が滞ると思われます。

クヤシイけど(どーして?)『ヤバイ経済学』を購入。
大半を読みましたが、面白い。後日記事に書こうと思っています。


それと、『クルーグマン教授の経済入門』の文庫本も購入。905円もふんだくられた(笑)。印税寄付を行ってしまいました。文庫化は好ましいね。買ってもらえるチャンスが広がるからね。私のような貧乏性だと、文庫がいいと思いがち。

昨今、新書での「大当たり」に味をしめた出版社は、「新書版」で色々出していて文庫は押されがちかも。だから、もうちょっと値段下げてくれ(笑)→「日経ビジネスじんぶんこ」(本当は「人文庫」なんだけど、ひらがなで書くと凄い名称だな、と。変な名前すぎ)。



裏金は「公然の秘密」

2006年08月12日 16時26分36秒 | おかしいぞ
全く聞いて呆れるね。
思ってはいたけれど、こうハッキリと言い切られると、かなりの拒絶感がありますね。やっぱり「公務員」の腐敗体質は、「長い歴史と伝統」があったんだな、と思いますよね(笑)。「悪しき伝統」ほど長く残りやすい、ということでしょうかね。


Yahooニュース - 毎日新聞 - 岐阜県裏金 存在推測も関与は否定 梶原前知事

(記事より一部抜粋)

岐阜県庁の裏金が県職員組合管理の口座にプールされていた問題で、裏金が組合口座に集約され始めた当時の梶原拓前知事が8日、県庁で記者会見し、裏金について「具体的に掌握はしていなかったが、岐阜県でもありうるとは思っていた」と述べ、県庁内での存在を推測していたことを明らかにした。一方で「やましいことは一切していない」と裏金隠しへの自身の関与を改めて否定した。
 梶原前知事は会見で「就任した89年度当時は公然の秘密として国や自治体で裏金作りが行われていた。改革を進める中で裏金問題は解消したと推測していた」と話した。その上で「どこでどれだけ(作られた)というのは一切聞いていない」と強調した。





15年くらい知事をやっていて、知事会でも活躍していた方ですから、そりゃ「表も裏も」知り尽くしているはずだわな。で、「89年当時は公然の秘密として国や自治体で裏金作りが行われていた」ということですから、こんなの始まったのが「バブル期以降」なんてことがあるはずもなく、もっと昔から「当たり前」のように行われてたんでしょ?


ほぼ全部でしょ。部署も関係ないし、警察も検察も裁判所も保健所も税務署もみんなだろ?それがいくつかバレちゃっただけでしょ?中央も地方の出先も、自治体も全てでしょ?運悪く見つかったところだけは、「返しゃあいいんだろ、返しゃあ」ってことで、いくつかの部門だけは返還したけれど、実際には「氷山の一角」だろ。これって、どうして犯罪じゃないんですか?


自分たちが腐ってるくせに、「制度が悪い、システムの問題だ」とか「悪いのはほんの一部だ」とか「不正は失くせない」とか言うヤツラがいるんですよ。世の中というのは不思議なもので、「犯罪に加担しているヤツラ」が偉そうに御託を並べて、それがまかり通るのですよ。こういう連中のやった、明らかに「意図した犯罪行為」に刑事罰が加えられることはなく、逆に医療ミスのような「意図せざる行為」であっても刑事罰が与えられるのですよ。国民がどれほど「不正を止めてくれ」とお願いしようとも自ら止めようとしないし、散々批判しても「言うことを聞いてくれない」のも、何故なんだろうか、と思うね。


「規則ですから」
昔、ありがちな公務員の殺し文句みたいなものではないかと思ってたけど、公務員の実態というのは「規則はないも同然」であり、彼ら自身が「法」であり「ルール」なんですよ。談合もそう。天下りもそう。特殊法人の蔓延りもそう。


彼らの感覚では、税金というのは一部は「自分たち」に融通してもいいものなのですよ。帳簿も数字も操ればいいだけだから。裏金は、彼らの「クラブ会費」みたいなものであって、自分が払いもしないくせに「活動費」として使えるのは「当然」と思ってるの。だから、宴会の時やゴルフの時や送別・慶弔の時とか、勝手に使うんですよ。テメエの金を出してみろ!っての。要するに「タカリ」の根性が染み付いてるんですよ。

こういう感覚・慣習はね、直ぐには抜けないの。毎度接待されるのに慣れてたし。自分のサイフから金を出すなんてことは、「全くない」んですよ、ヤツラは。初めから1円も払う気などないくせに、「活動費」だけは一丁前に欲しがるんですよ。「互助会費」にだって、補助として職員が払う額の数倍もの公金を入れてたけど、それでも「足りないからもっとよこせ」ってことなんですよ。そういうヤツラです。


なので、不正は今後もなくならないでしょう。同じように出てくるでしょう。自らが「隠してある全て」を自白して、罪を償い、信頼回復に努めようと意識改革を行わない限り、何を言っても無駄でしょうね。国民が文句を言ったり騒いだりしても、屁とも思ってないでしょう。バカな大衆に成り代わって、「オレ達が(仕事を)やってやってるんだ」、という意識が強く残ってる限り、大衆の言うことになど耳を貸すことはないでしょう。自分たちで「規律」回復ができるなら、とっくの昔に解決しているでしょうけどね。



『ゲド戦記』の感想

2006年08月10日 13時37分09秒 | 俺のそれ
昨日家族で観に行ってきました。
評判は「悪くなかった」と。
夏休み期間だから、家族連れが多かった。ウチもそうなんだけど。


ウチの子が言うには、「週刊誌なんかで「あんまり面白くない」とか出てたりしたけど、結構面白かったよ」ですって。十分楽しめる娯楽作品になっている、ということだろう。

因みに、週刊誌の評価って、どこで見てるんだろう、と思って聞くと、新聞の下段広告なんかの見出しらしい。

読売さんの頑張りは伝わってきました(笑)。
エンドロールの一番最後までみて、「こんなにたくさん関係者がいるんだね」と驚いてました。そうだよね。


何ヶ月か前に、『海猿』も観たんだけど、「感動度」ではこちらが上だったと思うね。アメリカで「笑われたシーン」は、ウチの家族も「そんなこといいから、早くハシゴ登れよ」とか思ったようだし。作品全般に「ツッコミどころ満載だよね」とウチの子は言っていた(笑)。
でも、1人置き去りにするシーンでは涙すると思うよ、やっぱり。救出される部分も。そりゃ、私が泣いちゃったシーンなんだけど(恥)。



「のだめ」ドラマ化だってぇ??

2006年08月10日 13時15分02秒 | 経済関連
特に「我が家事情」というのは全く関係ないと思いますが(笑)、麻生親分も好きだという(噂の)「のだめカンタービレ」がドラマ化ですってー!!

niftyNEWSniftyフジ月9「のだめ」で視聴率奪還だ!(スポニチ)


Matimulog経由で発見。
うれしいお知らせとも言えるが、どうなんだろう?実写版。
原作が面白いと、実写化した時の違和感とか期待ハズレであると、ショックが大きいからね。

因みに、我が家での人気度では、「のだめ」の次点は『アニマル横丁』、通称「アニ横」で、家のパソコンの壁紙は全て「アニ横」にされている(ウチの中坊がやってくれた)。今はテレビアニメが放映されているらしいが・・・テレビ放映される前からファンだった一家なので、「アニ横」が有名になっていくことが何だか自分のことのように嬉しい。こういうのって不思議な気分ですよね。自分には関係ないのに、応援していた作品がブレイクしたりテレビ化されたりすると、凄く嬉しく思うのって。


ドラマは殆ど観てないですが、先日一つだけチェック。阿部寛が出てる「結婚できない男」のドラマ(タイトル忘れた)。妻に言われた。「ちょっと似てるよね」

容貌などでないことは絶対で(笑)、「いちいちウルサイ」部分とか、丁度40男であるところとか、下らない説明が長いこととか、だそうな・・・・ガーン。
結婚できて良かったー、と心の底から思っております。