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闇金が増加したワケ(追加あり)

2006年05月26日 21時34分30秒 | 社会全般
貸金市場の構造については、貸金業界での信用供与額約10.5兆円のうち大手5社+レイク(買収されGE系)が約7兆円超程度、第二グループ(20社程度)で約2兆円超、両者で約9.5兆円程度になります。つまり信用供与額の約9割はこうした大手・準大手業者によって貸し出されています。業者数に占める割合ではたったの0.6%に過ぎません。残りの約1兆円のうち、約4分の1程度(約2300億円)が10億円以下の貸出残高しか持たない零細業者たちによって貸し出されています。このような零細業者は全体の96%を占め、恐らく顧客の多くがヨソを回ってきたような人しかやってこないのではないかと予想されますね。


通常多くの人がまず大手6社か、せめて準大手に借りることが多いと思われます。しかも、信用情報に問題がなければ、他の大手などを選択することも可能であるかもしれないです。3社以内の借入ということになれば、大手・準大手だけでも十分間に合います。この辺の業者であれば、ある程度の審査機能や量的規制(自主規制)も概ね守ることが多いかもしれません。

しかし、借入が増えていくと、こうした大手・準大手などからは融資が受けられない状態が想定されますね。すると、他の業者の需要が発生するのですね。

primary:大手
secondary:準大手
tertiary:小規模業者

概ねこのような階層になっているのではないかと思われます。なので、4千社以上存在する貸金業者は、貸出先が既に他から借り入れている人である可能性は高いであろう、と。このような貸金業者の他に、途中で闇金業者が参入してくることもあり、競合して貸していかねばならず、回収も競合となります。なので、営業利益は減少していくし、調達金利水準は大手などに比べても不利です。であれば、このような圧倒的大多数を占める零細業者たちは、貸し込み競争と回収率を上げることによって生存を図ってきたのだろうと思うが、それでも業者数は淘汰されてきたんだろうと思います。財務局や都道府県の登録業者数が02年頃から増加が見られたのは、罰則強化によるのではないかと思われます。たぶん実態のない闇金系ではないかな、と思います。

結局、多くの零細業者は貸し込み業者になって、3社目以降の貸出市場のような部分しか割り当てられなかったのではないだろうか。


それから、以前から書いてますが、「日本での闇金の増加が金利上限引き下げによって起こされたものである」、という貸金業界の主張には疑問を感じています。


00年の金利上限引き下げ以前から、闇金被害は拡大してきており、自己破産の増加とほぼ似ていると思います。そもそも、何故このような大手シフトが起こったかと言えば、91年の上限金利引下げが直接的な要因ではないと考えています。90年代半ばから、特に95年以降に、貸金業界に大きな変化がやってきたのが原因ではないかと思われます。

・無人機(93年頃)の登場→大手は次々と設置していった
・95年からCM解禁→資本の大きい業者が有利となった
・95年に公定歩合は大幅ダウン(1.75→0.5%)し調達金利は低下
・大手4社(TAPA)は貸出の社内上限金利を95~97年頃に揃って引下げ
(三洋信販は85年以降一度も変えてない、ずっと28%くらいだったと思う)
・失業率上昇や賃金低下などで借入需要は増加傾向だったのではないか


途中でしたが、追加してます。


このようにして、貸出競争は激化していった。大手が貸付残高を伸ばし、中小は傘下に収められたり、撤退する業者も増えていった。


この同じ時期から自己破産者数は、増加傾向が見られた。また、破産件数、特定調停件数とも04年のピークに向かって増加していった。残高が10億円以下の零細業者の営業利益率は、97年よりは低下したものの、98年まではプラスであった。しかし、99年には急速に営業利益率が悪化し、マイナスに転じた。これは上限金利引下げとは関係なく起こっていたと考えられる。金利引下げは91年と00年であって、98年や99年ではないからだ。97年頃には規模には関係なく、10%前後の営業利益率があったのが、99年には、大手・準大手などはあまり低下が見られないが、中小規模の業者は急速に悪化している。これは、金利引下げとは関係のない現象であり、大手の社内上限金利引下げや無人機の拡大などの影響の方が大きいのではないかと思える。


特に99年度の落ち込みというのが目立つのだが、この時の変化とは何だったのか。この時期に考えられることは、所謂「商工ローン問題」なのではないかと思う。99年5月頃から、マスメディアを中心に「商工ファンド」や「日栄」などの問題を取り上げ、取立てなどの惨状などが明らかになっていった。国会でも取り上げられるに至り、00年以降の上限金利引下げの大きな原動力となったと考えられる。この問題が社会的に大きく取り上げられたことで、借り手側にも「知恵」がついた面があると思う。相談窓口や専門に処理する弁護士なども続々登場することとなったかもしれない。それに伴い、従来は日陰でひっそりと耐え忍んでいた人々が色々な手続きを行うようになってきたかもしれない。自己破産件数の増加や調停増加はそうした結果とも考えられるのではないか。


それまで「取立て」部分では優位にあったかもしれない中小業者は、「取立て手段」のいくつかを封じられた可能性がある。そのことが収益悪化という形で表れてしまったのだろうか。特に貸出残高が100億円未満の業者で悪化が目立つが、96%を占める零細業者が最も大きなマイナス(10.9%→-0.42%)となっていることがその表れではないか、ということだ。


このようにして、00年の金利引下げより以前に貸金業界の大きな変革が起こっており、「金利引下げで業者が淘汰された」というのが本当の理由ではないように思われ、業界が主張するような金利上限の水準に結びつけるというのは難があると思われるが。貸出競争が中小零細業者を駆逐していき、「商工ローン問題発覚」によって「取立て手段」のいくつかを失ったことが更なる収益低下をもたらしたということではないか。


この同じ時期に、闇金被害が多くなっていった。これは次の要因によるのではないか。

・借り手(利用者)の数が増加したこと=カモも増える
・貸出競争の結果、弱小業者は「貸し込み業者」となったのではないか?
・名簿が流通(業者のIT化で名簿を持ち出すのが容易になる)


直近の金利引下げは00年6月だが、これ以前から闇金問題は取り上げられていた。
破産者の人口比を見ると、日本では95年には約0.03%で(イギリスは0.05%、米国は0.2%)、91年上限引下げがあったが、95年までも間ではそれほど変わっていない。しかし、98年には約0.08%と倍増し、99年約0.1%、02年約0.17%、ピークの03年には約0.19%(イギリスは約0.07%、米国は約0.4%)とうなぎのぼりであった。貸倒もそれに伴って増加傾向であったと思う(日本の住宅ローンにおける信用保証協会の貸倒が1.6%程度)。消費者金融全体(貸金業以外の銀行・クレジットなどや物販も含む)の信用供与額が95年以降低下している中で、破産者の割合は増加を続け、これと同じく増加を続けていたのは貸金業の信用供与額である。


貸金業の利用者が増加することとそこでの信用供与額の増加は、まさに破産者増加や闇金被害増加と似たような経過を辿っているように思われ、少なくとも上限金利引下げという政策変更よりも説明力があるように思われるのである。


米国では上限金利のない州は3州に過ぎず、貸出業者は本社をそこに置いて「自由金利」としているだけのようである。残りの州では上限が設けられており、上限金利のない州であっても、総額規制がある州もあるようである。また、日本の貸出金利よりも、低い金利が適用されていることが多い。信用情報は統一されており、どの業者も同じくネガティブ情報は見ることができるようである。日本とは審査レベルが違うことと、同業他社の低金利商品供給が行われやすいのではないか。つまり競争原理が働きやすい環境なのではないか。それでも破産者は10年間で2倍に増加しているのだが。


韓国では通貨危機後に「クレジットカード普及」の為、上限金利を撤廃したようである。これはIMF勧告に従って行われたと考えられている。しかし、「サチェ」と呼ばれる業者が高金利で貸し出すようになり、「身体放棄書」という体を担保とした契約を結ばされたりしたようだ。これは強制労働や売春などを行わせて、「回収」するという意味のようである。最悪の場合には、「腎臓を売る」というような臓器売買までもが業者に強要される、ということが起こったりしたようである。その為、金利上限を設定することとなった、とのことである(66%らしい)。


確かに金利規制による統制が経済学的には望ましいとも言えないかもしれないが、それぞれの国によって、社会的な要因などが異なれば起こる反応・問題も別の形で顕在化すると思われ、このような違いは元々の持っているシステムの違いによるのかもしれないし、国民性というような曖昧なものによるのかもしれない(カウンセリング機構とか破産法制とか破産に対する社会的評価とか・・・)。一概に言えない部分もあるのではないかと思ったりもする。


いずれにしても、闇金の増加が「金利上限引き下げ」によってもたらされた、という主張には疑問を感じている。


参考:金融庁 貸金業~懇談会資料





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1 コメント

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99年貸倒増加の背景 (吉行誠)
2006-07-21 19:38:33
99年に業者のパフォーマンスが悪化したのは、東京総和銀行が破綻したことです。資産規模50億円から1500億円ほどの業者がターゲットでしたが、100億円以上の多くの業者では、98年末には、資産の1/3を貸し付ける状況でした。99年春に銀行が破綻したとき、貸金向け貸出は、総額で4000億円に近い額に達していましたが、一挙に貸付がストップし、返済がはじまりました。300億円以上の先には、さらに追加融資する旨も決まっていました。97-98年で、資産規模は、銀行のおかげで、多くが30%-50%増えています。

貸倒が通常通り発生するには、半年の延滞が続くか、弁護士介入、破産宣告ですから、か貸してから最低半年以上かかります。半年未満での貸倒はかぎられます。半年たっても、追加貸付したり、新規であらたに貸していれば、一方で貸倒で債権全体が減っても、あらたに常に水が供給されるので、貸倒計算の分母は減りません。

銀行が融資を止めると、新規の貸出にまわす金がかぎられます。そうすると、貸倒がでて、残高が維持がむつかしくなります。そして貸倒率が増加します。真水が入ってこなくなって、一定数の金魚が死んでいくということでしょうか。真水は、年間で通常25-30%ありました。途上で貸す件数も合わせれば、資産の70%が変動しています。それが還流しなくなった。

希薄化現象がなくなり、そのうち貸倒が見た目増えていった。

そして、2000年以降、東京相和BKの処理が進む中、リッチ、タイヘイ、マルフク、オリエント信販と500億円以上の資産を持った会社もやって行けなくなりました。そしてアエルまでいきました。2003年までには、多くが資本を手放していったのです。







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