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不戦敗宣言はまだ早いのでは

2006年08月31日 19時21分38秒 | 法と医療
新小児科医のつぶやき - 遵法闘争の方が前向きさんのブログで拝見しました。私のような素人考えでは、間違いかもしれませんが、とりあえず一生懸命考えてみました。


まず、司法の壁は厚い。これはその通りと思います。それに、述べられている通り「堀病院」単独での戦いは、圧倒的に不利ですので、医師会や産科等の学会などの全面的バックアップは必要でしょう。訴訟の資金面でもそうだろうと思います。


方法としては、「当事者に限られる」というのが難しい問題なのですが、とりあえず本件を頑張ってみるというのが一つ、別にも方法が有り得るのではないかと思い書いてみたいと思います。


1)当事者となるためにはどのような場合があるか

以前に、「行政指導」が行政の権力行使に当たるかどうか、ということが裁判で争われたことがあります(Matimulog arret抗告訴訟の対象が行政指導にも及んだ例)。これは医療法規定による勧告が実質的に効力・強制力を有し、それによる不利益を医療機関が被るか、ということが問題になったのです。これは最高裁で認められています。今回の「通知」も、「実質的に診療行為を制限し、(法的)拘束力・強制力を有する」ということは、十分考えられると思います(それ故、看護師の内診行為が違法行為として刑事事件の対象となっています)。要するに、「通知」によって現実の不利益を被ることが十分に想定されれば、その対象となる医療機関は全て当事者となりえます。主に、産科の民間病院等であれば、可能ではないかと思われます。


2)「通知」は行政指導か

先の最高裁判決の例でも、行政指導を受けた医療機関でなければ提訴は難しいと思われますが、では、厚生労働省の出した「通知」がこの行政指導に該当するのかどうか、というのが問題になります。そこで、通知はどのように、一般医療機関に影響力を有しているのか考えてみます。

通常、厚生労働省が出した通知は、下級組織に対する「命令」的に作用(法学的にはどう言うのかはわからないので、とりあえずこう表現します)します。相手は、「都道府県(何とか保健局長、とかのような人)」とか横浜のような政令指定都市では「市(同様に何とか局長みたいな人)」であると思われます。これら下級組織の行政職員は、一般医療機関に対して「通知」の内容に基づいて、適切に指導しなければならない義務を有していると考えられます。もしも通知が来ているのに、医療機関等に何ら周知していなくて、皆がそれを全く知らない場合には、罪に問われることは有り得ないでしょう。周知徹底しなければ、違法性を認知できないのであり、もし法的責任を問うのであれば「官報」とか「告示」みたいな公表手続きが必要だろうと思います。なので、下級組織としては「適切に指導」しなければならないことになるはずです。

で、実際にはどうしているかと言えば、恐らく「文書による通知」が殆どなのではないかと思われます。いちいち医療機関職員を呼びつけて、「これこれこのようにやって下さい」とか指導するのは、人的にも時間的にも双方ともに労力がかかるので、平たく言えば「保健所」みたいな所とか「~~局長」みたいな名前で、各医療機関に文書を送付しているのではないでしょうか。すなわち、これが「指導」です。行政側の「お願い」というのは、行政指導の一部と解することができ、「このように注意して下さい」、「これこれのこの通りにきちんとやって下さい」というのは、行政指導なのです。従って、「助産師以外が行う内診行為に係る通知」(本物のタイトルは知りません)というようなのを受け取っていれば、行政指導を受けたことになり、その医療機関は全て当事者足りえると考えます。


ここまでで、

・「通知」を裁判で争えるか?:通知は「行政指導」であって実質的不利益が明らかであれば争える

・当事者たりえるか?:通知の内容を示す文書を受け取っていれば、可能性はある

と思います。次に最も難関の部分ですが、不利益が想定されるかどうかです。


3)実質的不利益を被ると考えられるか

ここが問題です。仮に、産科診療所があって、そこに助産師が存在しない場合、新たに雇い入れなければならなくなります。この時に、合理的な理由があって、「不利益」が存在しているかどうかを考えねばなりません。

①従来看護師が診療補助行為として内診行為を担当
②内診行為を医師が全例単独で行うのは事実上困難
③新たに雇用するべき助産師の数が不足している

これらを示せる証拠が必要です。①と②は日々の診療体制などを説明すれば可能なので、大きな障害はないと思われます。問題は③ですね。もしも、世の中全体に余っている助産師が相当数存在するのであれば、たとえ人件費が大きく上昇してしまうとしても、助産師を雇用するべき義務が医師にはあると思います。単に雇用の問題に過ぎないのであれば、人件費上昇分は経営努力をすることで解決できてしまうことになるので。なので、最低限、次のことを証明する必要があるかと思います。


イ)就業している助産師数・助産院数
ロ)全国の産科の数・出生数
ハ)助産院・大病院等での助産師の数・割合
ニ)残りの助産師数
ホ)平均的募集期間

イ)とロ)については、厚生労働省の統計等で判明するのではないかと思いますが、実数はどれくらいか知りませんので、どなたか調べて頂ければと思います。ハ)は、助産院は単独だから当然で、大病院に「都市部に存在し」、「労働条件が比較的良く」、「助産師の占有も多い」と考えられるからです。イ)の助産師数からハ)の総数を引けば残りのニ)が算出できます。その人たちが3交代制で勤務した時に、「充足可能な数なのか」「出生数がサバける数なのか」ということが問題になると思います。たとえば、残りの産科数が1000、助産師が500人しかいなければ、配置そのものが物理的に不可能、ということになります。助産師が2000人でも1医療機関当たりで見れば2人しか配置できないため、3交代制はとれないということになり、「空白の時間帯」を生じることになります。助産師数が5000人いるとして、5人配置しても受け持つ出生数が助産師1人当たり1日(8時間)で10人とか20人になってしまうならば、「掛け持ち」が増えることになるので問題があるかもしれません(これは実際の業務に就いてる人しか判らないと思いますので、曖昧です。現実には掛け持ちが相当数多くても業務的には困らない、ということならばいいですけど。でも普通に考えて一日当たりの出産受け持ち数は数例だけしか無理なんじゃないでしょうか)。ホ)は現実問題として、募集しても誰も来なければ採用しようがない訳で、労働契約に至った時の募集からの平均期間とかで見れば判るのではないかと思います。地方などの偏在の問題があるような地域では、これでも説得的ではないかと思います。


曖昧な記憶なのですけれども、助産師数は保健師や看護師に比べ毎年の合格者が最も少ないはずです。1000人以下だったかな?ちょっと統計とか調べないと判らないのですけれども、結構少ないはずです。なので、充足が難しいことは確かであると思いますね。いずれにせよ、このように確実に不利益がある、ということを示せば、訴訟提起は可能になるはずです。


以上、行政指導による効力・強制力が発揮され、実質的に不利益を被る当事者、というのは有り得ると思います。もしも提起するならば、ある程度規模の大きい公的(若しくは半公的、大学病院、社会保険関係の病院、自治体病院、などが望ましいですね)病院の産科医師の連名とかで訴訟提起した方がいいと思います。その方が社会的影響力が大きいのと、万が一の「経営基盤を左右するような事態」は少なくできる、ということで。


あと、看護師の「業」として認められうるのか、という問題もありますが、産科の学会でこれを肯定することも大事なのですけれども、「現代の医療水準」としてどうなのか、というのが一番重要です。要するに「時代の要請に合致している」とか「医療技術の進歩等で看護師にもそれが要求されるような時代になっている」というようなことです。これが肯定されるのであれば、看護師の業=診療補助行為として、認定されうるはずです。そこで、最も分かり易いのは看護師の教科書・成書の記述ですね。国家試験の問題でもいいでしょう。「産科」領域の「学問」として、妊婦の出産に関わる記述で、「出産」の過程をフォローするような記述がきちんとなされていれば、これは「看護師」として行うべき或いは行える技術水準に達している、看護師の業務の領域として確立されている、とも解釈可能だからです。なので、産科領域に詳しい方々は看護師の教科書関係を綿密に調べておくことをお勧めします。


最後に、行政の通知を覆すのは困難であること、司法の壁も厚いこと、これはその通りと思います。でも、以前書いた「市立札幌病院の事件」(シリーズです)では、通知内容が「後日変更された」という事例であり、全く可能性がない訳ではないと思います。この事件では、その後の裁判の結果が情報として出てないので、2審判決は見てないのですけれども、司法の判断が全く期待できないとは言えないかもしれません。正しく行われている、本当の善意は必ずどこかに通じるはずです。不正や、やましいことが含まれていたり、イヤラシイ下心(儲けがどうの、みたいな)が多くあったりすれば、きっとどこかで綻びが露わになるでしょう。でも、そういうのがなくて、純粋に「人々の幸せの為に」と思って行われていることであるならば、必ず届くはずです。私はそう信じています。



もう疲れたよ・・・・

2006年08月31日 13時53分46秒 | 俺のそれ
「上限金利規制は正当か否か?」

この問いに対する明快な答えは見つかっていない。これはしょうがないかもしれないけれども、今までの「上限金利引下げ問題」で判ったことがある。それは、そんなの当たり前だと「経済学理論を掲げる人々」ほど、「短絡思考」なのではないかと疑わずにはいられないのですけど、もっともらしそうなペーパーに飛びつく、ということですね。経済学を用いるのも、それを指向(言葉が変かもしれないが)するのも、別にいいと思いますよ。しかしながら、評価は別に行うべきなのではありませんか?


asahi.comも広告掲載していた早稲田大学消費者金融サービス研究所の坂野教授のペーパーですけれども、これを「理論的にも実証的にも明らか」とする人々は、経済学理論に則って私のような素人の疑問程度には楽勝で答えることが必ずできるはずだと思う。ペーパーが正しいと信じるので「理論的にも実証的にも明らか」と豪語するのであるから、何ら不都合なく解答を導きだせるはずだ。ところが、実際どうだ?これが論拠です、と明示している割には、答えられないんですよ。


例外的な一部だけなのかもしれないが、経済学者や経済学信奉者たちの、知的不誠実さには本当に驚かされます(笑)。「ペーパーに書いてあるから」という理由だけで、それを根拠とするのは、共通ですね。何も判っていない素人と、ペーパーを最上最善のものとしてしか考えない連中は、何か違いがありますか?まともに経済学を知っていて、理論的に思考することができる能力を有しているならば、疑問に思うのは当たり前なのではないか?ペーパーで自己の主張の補強をするのはいいですよ、別に。でも、素人でも「違うんじゃないか?」という疑問に思えることを、「経済学理論では”事実”、理論的には”明らか”」とか、何故豪語するのでしょうか?私の個人的経験だけから言えば、経済学信奉者たちにしばしば見られるけど、他ではまず見ない珍しい現象ですよね。偉そうに経済学理論を掲げるヤツラに限って、そうなんですよ。


「神秘の木の根を毎日食べると、ガンが消えてなくなる!!」とか、本に書いてあったら、普通「本当なんだろうか?」とか思うわけでしょ?「トンデモ」なのではないか、とか、注意深くなるでしょ?それが、「これに書いてあるから、理論的にも実証的にも明らか」とか豪語したり、喧伝したりするような場合、「それって、どうよ?」と思うことが多いのではないのですか?ところが、ネット上でそれなりに有名で影響力も結構あるような人々とか、それにくっついてる応援部隊なのか経済学信奉者たちの一派?の連中なのか知らんが、そういう人々が口を揃えて「トンデモ本」を引っ張ってきては、宣伝しとるんですね(笑)。

日本の経済学コミュニティの一端を窺い知ることができましたよ、何となく。早稲田大学消費者金融サービス研究所の研究水準の素晴らしさも、です。それに日本の経済学の大学院生って、本当にハイレベルなんですね。教育の成果ですね(爆)。

突撃は得意、自分たちの理論を他人に押し付ける、「書いてある」至上主義、他人の思考の否定だけは大得意、自分たちの理論は最強・最高・絶対的正当性、というのが揃っていて、大変勉強になりました。ありがとうございました。


本音を言えば、上限金利規制に関して、私にとっては別にどうだっていいんですよ。自分が貸金から借りるつもりもないですし。困ることなんかないですよ、当然。ハメられる人々がいくら出ようが、貸金がボロ儲けしようが、別に困りはしないから。破産する人が増えようが、自殺に追い込まれる人が増えようが。上限完全撤廃でも、40%でも、30%でも、大して変わらんですよ。なので、こんなアホらしいことにエネルギーを投入するのは、無駄だ。時間の無駄。


上限金利反対派たちは、早稲田大学消費者金融サービス研究所の”ありがたいペーパー”を持って行って、金融庁にねじ込めばいいじゃない(笑)。「これを嫁。金融庁の官僚というのは、真のバカだ。お前ら、本当のアホだ。いっぺん氏ね。クビでいい、無能者なんだから。経済学理論も知らんくせに政策立案・立法に関わるな。こんなもん、理論的にも実証的にも明らかだろが」とか言ってやれ。官僚からも馬鹿にされる程度の官僚って、本当に役立たずなんだから、そんな無駄な官僚は切ればいいだろ。排除してくれよ。そういうヤツラは。
官僚からも、ありがたいお褒めの言葉を貰えて、幸せですね?>金融庁官僚諸君。


論拠を否定することが、「上限金利」やその引き下げを正当化するものでないことくらい知ってますよ。「では、どうするのか?」というのを言わなけりゃ、同じだろうと思うね。「引き下げは間違いだ」→「じゃあどうするのさ?」→「撤廃せよ」か?(笑)。それで、問題が解消されるのなら、いいですよ、それで。所得比例の量的規制は、大反対しなくていいの?多重債務者にとって、急に失業したり収入が落ち込んだりしたら、貸出枠は今ある枠よりも減るから、与信枠の拡大部分がゼロかマイナスになってしまい、それ以上借りることができなくなるのは同じなんじゃないの?上限金利引下げによって想定されているらしい追加融資枠の減少と何が違うの?事前規制はヤメれ、と言ってるなら、反対すれば?


もしも、貸金の規制を全て撤廃した方がいいなら、他の契約・商取引も同様にするべきだね。需要があるから、いいんでしょ?麻薬も解禁すればいいんじゃないの?闇市場はなくす方がいいんだよな?リフォームで平均的な価格の100倍むしり取られても、別にいいじゃん。「買う人がいるから」売っただけだよね?普通なら10万円で済むところを、1000万円で売ったっていいじゃん。でしょ?自由でいいよね?それを買う人の割合は、たかが知れてる。だから、何も規制しない方がいいよね?1000万円で買う自由の権利を奪うのはオカシイよね?
ドツボに嵌められるのは、バカだからしかたないのさ。そういうことでしょ?


経済学理論がある限り、最初から「最善」は決まってるのさ。
他の選択肢は有り得ない。
これ、理論的にも実証的にも明確ですから、残念~。


好きにすればいいじゃん。
「ありがたい経済学理論」の通りにすればいいんだよ。
それで世の中は住みやすくなるだろうし。

有力な賛同者が多くて良かったですね>経済学信奉者どの


いい加減、疲れた。