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助産師・看護師の業務に関する法的検討

2006年08月27日 23時57分17秒 | 法と医療
先日の事件発覚を受けて、改めて違法な看護師による業務が問題になっている。私には当該事件についての知識はないので、特にコメントはできないのですが、ネット上の議論などを眺めると看護師が行った内診行為と死亡事件との因果関係はなさそう、ということらしいです。警察の捜査発表を待たねば軽々しくは申し上げられませんが、看護師の行為と死亡例とは分けて考えるべきだと思います。


「悪法も法なり」というご指摘は、古くから言われておりますので、そうなのだろうと思います。当該事件の院長の抗弁というのも、かなり問題のあるものであったことでしょう。それについては、今は触れません。産科の実態などについては、もっと詳しく検討されているものをお調べ頂いた方がよろしいかと思います。まずは、看護師の行為についての法的な解釈を考えてみたいと思います。


前提となる情報として、次のことがあります。
・「看護師は内診行為を行ってはいけない」という通知を厚生労働省が出していた
=故に、当該病院の看護師が行っていたのは違法とされた(助産師ならばよい)


まず、基本法について見てみましょう。これは「保健師助産師看護師法」という法律になります。この規定によって、違法行為とされたものと思われます。


保健師助産師看護師法

第三条
この法律において「助産師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、じよく婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子をいう。

第五条
この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。


「助産師」「看護師」というのは、定義上はこのように規定されています。次に業務を見てみます。

第三十条
助産師でない者は、第三条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法 (昭和二十三年法律第二百一号)の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。

第三十一条
看護師でない者は、第五条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法 又は歯科医師法 (昭和二十三年法律第二百二号)の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。
2  保健師及び助産師は、前項の規定にかかわらず、第五条に規定する業を行うことができる。


こうして見れば、保健師と助産師は看護師の業務を行ってよい(31条第2項)が、看護師は助産を業として行うことはできないように思えます。整理しておきますと、次のようになります。

助産師の業:
①助産
②妊婦、じよく婦、新生児の保健指導
③看護師の業

看護師の業:
①傷病者、じよく婦に対する療養上の世話
②診療の補助


ところで保健師、助産師、看護師のいずれも「免許制」となっており、それぞれ異なった試験を受け免許を取得することになっています。これからは、やや特殊な事例を考えることになりますが、法律上の検討と思ってご容赦願います。

それは何かと申しますと、保健師や助産師であっても、実は看護師の国家試験に不合格となる事例が稀にあります。これは、看護師になるための専門学校や大学等においてまず決められた課程を履修し、その国家試験の後に通常「保健師」や「助産師」となる為の学校等に進学することになるのです。従いまして、まず「看護師」の国家試験を受験し、同時に進学するのです。ここで、看護師の国家試験に不合格となっても、保健師や助産師の学校の入学資格が取り消されたりする訳ではなく、看護師の受験資格を得られる学校を卒業しておけば進学することは何ら不都合を生じないことになっています。これは保健師助産師看護師法にも載っています(第19条、20条)。


普通不合格であったならば、もう一度看護師の国家試験も受験することが多いのですが、翌年看護師と保健師もしくは助産師の国家試験を同時に受けることになりますので、稀に再び看護師の試験に落ちる場合があるのです。すると、保健師や助産師の免許が与えられているのに、看護師の免許がない人が存在することになります。法律というのは、こうした特殊な事態を想定しては作られていないため、先の第31条第2項規定にある通りに、「看護師の業」を行ってよい、ということになるのです。


従いまして、「看護師の基準に適合しているものとして」助産師の免許を与えられれば、法律上は「看護師の業」を行うことが許されます。実際には国家試験に落ちていて、基準に達しないとしても、です。ところが、こうした状況は好ましくはありませんので、厚生労働省は「通知」を出すことで「看護師」の資格を有さない保健師や助産師には「看護師」の業務を行わせないようにさせるのです。こうした通知というのは、法律ではありません。あくまで、中央省庁から下級機関への通知ですので、「法的強制力」は法学的には有していないと解釈することも可能と思われます(本当なのかは確かめたことがないです。裁判で争うということで確かめたりしないと難しいかと思います)。ただ現実の実務上では、無視することはできませんし、相当の強制力として働くのですけれども。「看護師免許を有しない助産師の看護師業務は違法行為なのか?」というのは、法的解釈だけ考えれば「違法とは言えない」というのが私の考え方です。条文だけ読めばそうなると思います(厚生労働省通知よりも法第31条第2項の方が優先されるし、上級?(上位?)法であるということです)。


このように、法律の条文に書いてあっても、実際には通知や疑義解釈などによって相当程度の影響力・強制力をもって変えられるし、それが可能であるということです。翻って、看護師の行う「内診行為」が助産師の業であってなおかつ違法行為であるかどうか、という問題を考えてみることとします。


上で既に見ましたように(看護師の業の②)、看護師は「診療補助」行為が認められておりますが、これも解釈次第なのですね。どこまでが補助なのか、どこまでやって良いのか、ということですが、簡単な「静脈注射」の例を考えてみましょう。これは通知によって「OK」ということになっていますが、実はこの通知が出たのは最近なのです(去年でしたか)。それ以前から日常的に行われていた業務ですけれども、注射・点滴・採血などは看護師が行える行為とも法的には言えないのです。医行為に該当すると考えられる為であり、これは医師法等の規定による為なのです(故に、厳密に言えば違法行為とも考えられた)。でも、医師法も保健師助産師看護師法も、それぞれの「業」の規定を法改正することなく、通知のみの解釈変更を適用することで「違法」から「合法」へと変えることが可能であるということです。「違法」行為である、というのは、単なる解釈論に過ぎないのです。実は、通知によって変更可能であるというのは、医療技術等の進歩に合わせたりでき柔軟な対応も可能になるため有利な面もあるのです。毎回法改正をせずともいいし、医療行為や技術の進歩等は大きく変わっていくこともあるし、社会的要請が強まるということも考えられるためです(除細動行為や喀痰吸引行為などもそうですね。医療従事者以外でも可能になりました)。


別な例で考えてみましょう。看護師が重篤な狭心症患者の心電図モニターを監視していて、患者の狭心症発作を認めたため医師に連絡するという場合を想定しましょう。この場合、「心電図モニター」を監視していて「狭心症発作」を連絡することは、「診断」を伴う行為であり、これが「アーティファクト」なんかではなく「狭心症」であるということで医師を呼ぶわけです。実務上では、このような行為は日常的に行われており、もしこれを「違法」と規定されれば、そうですか、とは思います。これが「診療補助行為なのか」と言われれば、どちらとも解釈可能であるからです。しかし、よく訓練された看護師であれば「狭心症発作」の心電図異常は容易に判別可能なのであり、医師に緊急のコールができれば問題ないのです。ここで、行為の禁止規定もあるので、条文を見てみましょう。

第三十七条
保健師、助産師、看護師又は准看護師は、主治の医師又は歯科医師の指示があつた場合を除くほか、診療機械を使用し、医薬品を授与し、医薬品について指示をしその他医師又は歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。ただし、臨時応急の手当をし、又は助産師がへその緒を切り、浣腸を施しその他助産師の業務に当然に付随する行為をする場合は、この限りでない。


この規定によれば、「診療機械を使用」、「医薬品を授与」、「医薬品について指示」、「衛生上危害を生ずるおそれのある行為」が禁止されるが、「医師又は歯科医師の指示があつた場合」には可能な行為も有り得る、ということになります。先の静脈注射や心電図モニター監視などは、これらの「指示があった場合」に該当すると解釈することも可能であると思います。つまり、看護師が行う「内診行為」は、 a)「医師の指示」があり、b)「診療補助行為の範囲」であると考えられるものであれば、「看護師の業」として解釈することも可能であるということです。現状では、厚生労働省通知が既にある為に「禁止規定」ということになりますが、法的には「通知の無効」を争うことも当然可能であると思われます。


実際の現場のことを考えてみます(あくまで推測ですので)。不謹慎だ、という非難があるかもしれませんが、書いてみます。
医療現場というのは、昔のRPGのパーティみたいなものと思われます。これは、個々の職種に応じて役割は決まっていますが、問題になるのは、その「パーティの強さ」なのです。望ましいのは、個々の能力が高く、パーティ全体としても強いことですが、中々そういうパーティを作るのは容易ではありません。人的資源には限度があるからですね。

イ)医師1、研修医1
ロ)医師1、看護師1、看護師2
ハ)医師1、助産師1、看護師1

こんな感じであるとしましょう。医師の能力は全て同じであるとして、違いがあるのは他のパーティメンバーです。イ)の場合には、抽象的に書けば「医師2名」であり、どんな医療行為も可能であり、万能ですね。誰がやっても、全て合法です。実際には、使えない研修医というのは、「役立たず」と言っても過言ではなく、パーティの強さとしては「最弱」かもしれません。戦力としてはカウントできないのです。特に経験のほとんどない医師なんて、実務上では看護師以下であることも多々あります。点滴の下手くそな研修医に当たったことがあれば、直ぐに実感できるはずです。思わず「ベテラン看護師に代わってくれ」と言ってしまうでしょう(笑)。

次に、ハ)を先に考えますが、内診行為を行えるのは2名でイ)と同じですが、研修医よりも経験を積んでる助産師ははるかに役立ちますが、福島県の事件のような「産科医が一人でやった」とか言われる時には、なんら言い訳にはなりません。「医師が2名」よりも弱いのが追及された時の弱点ですね。実際上はイ)の方がパーティの総合力は低いにも関わらず、なのですけれども。

最後にロ)ですが、内診行為の問題では医師以外にできないのであり、看護師がどれほどベテランであっても横浜の件のように違法と言われます。ハ)の助産師が未熟な場合であれば、ロ)の方が強い場合も十分有り得ます。それに、看護師免許を持たない助産師であれば、注射も診療補助もできないんですからね。


結局、実務上の経験とかパーティ全体の強さが重要で、事故や過誤を防ぐのはもっと別な次元の問題であることが多いのです。検事にしても、成り立ての「ペーペー検事」よりかは、実務経験豊富な事務官とか資料課事務官の方が「使える」ことが多いのと同じようなものではないかと思います。


それから、どういうわけか弁護士の団体が内診行為の申し入れをしているんですね。法的解釈はどのようにしているのか、全く不明ですが、何かの利権ということはないのでしょうが、「訴訟提起」増加の背景の一部なのかもしれません。


保健師助産師看護師法の遵守徹底に関する申入書


「内診行為」が安全な助産には欠かせない、というのは、部分的にはそうだろうと思いますが、リスクの判定はそれ以前の問題なのであり、助産師単独が行う助産院において事故が発生する可能性にしても、助産師がいるから安全などということはないのです。


なぜ、これほど弁護士関連の団体が産科関連の訴訟に「熱心」なのかはよくわかりませんね。



私は官僚ではありません(笑)

2006年08月27日 21時50分02秒 | 俺のそれ
前の記事にコメントを頂いたので、少しお答えをしたいと思います。

悪い予想が現実になってしまった


まず、今までにも幾度か指摘されたのですが、私は官僚なんかではありません(笑)。生まれてこのかた、「公務員」になったことなど、一度もないのです。「官僚みたいな物事の見方」という厳しいご指摘は、非常に痛いところでございます。いつも私が官僚や公務員を批判しているのに、自分自身がそれと同じなのかと思うと辛いですし、同時に深く反省せねばならないなと思いました。ただ、我々国民にも行政の一部に留まっている情報を取り入れたり理解しようとしたりする努力も、いくらかは必要だろうと思います。これは私もそうだろうと思っています。一国民の立場だと、行政側がどんなことをやっているのか、よく判らなかったりすることが多いのです。


私は既に40過ぎなのですが、私が生まれたのは田舎で、しかも自宅で生まれました。私の兄弟も自宅出産でした。当時は、病院での出産に移行していく途上でして、恐らく都市部の大半では病院出産になっていたと思いますが、3人に1人くらいは自宅出産であった時代だと思います。多分東京オリンピック頃を境にして、病院出産が一般的に広まっていったのではないかと思います(これは推測に過ぎないですが、統計的には大体そういう傾向です。高度経済成長時期に平行して都市化が進展したからであろうと思います)。自分の家は貧乏であったことも自宅出産を選択の理由であったと思います。私を取り上げてくれたのは、祖母でした(これは後年母から聞かされました、笑)。現代では考えられないと思いますが、私はこうして生まれてきました。


通常の出産というのは、自分ひとりでも出産可能であり、特別なことがなければ、私の祖母が取り上げても何ら事故など起こらないのです。これが看護師であっても、勿論そうです。実際には、問題が起こり得る場合というのは、ずっと少ないし限られていますが、リスクとしては病院出産に比べて高くなると思います。問題が起こる時というのは、医師がいても、或いは助産婦がいても、起こってしまうのです。事前に予期できるものもありますし、予期不能のものもあるのです。そうは言っても、事故や医療過誤に遭われた方々にとっては、確率で言えば「1分の1」という100%なのであり、心情的にも許すことはできないというのは判ります。「確率なんかじゃないんだ」というのは、当事者にとっては必然的な思いであるということも。ミスをすること、違法な医療行為をすること、それらが簡単に許されていいということではありません。しかしながら、それらと、医療のシステムとか法律、政策、といったことはやや異なる部分があると思います。「最善」を常に求めるのであれば、その為のコストを国民全部が負担するという意思が必要であるということです。


つい最近、車の転落事故で「ガードレールの強度が不足していた」という報道がありましたが、これも事故で考えられる荷重に耐えうるガードレールを設置することは、いくらでも可能です。日本の技術力をもってすれば、高強度のチタン製ガードレールさえも作れるかもしれません。しかし、その設置にかかるコストというのは膨大になってしまい、その為だけに数兆円か数十兆円かかるかもしれませんが、ガードレールからの転落事故は防げるようになるかもしれません。そのことを国民が賛成し許容でき得るならば、そうするべきです。他の重視するべき何かよりも、そうした転落事故を防ぐ方を選択するかどうかです。


何かのシステムを作ろうとする時、無限にお金や人材などを使える訳ではないので、どの水準で何を優先して国民が求めていくか、ということが重要なのだろうと思います。


次の記事で、法的解釈を考えてみます。
「悪法も法なり」という言葉を頂いておりますし。