チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

初冬の下町散歩「深川木場界隈」

2013-12-14 00:05:28 | お出かけ・散策
12月14日(土)

 一昨日から師走の明石にいます。空気も風も湘南より冷たくて冬本番、KAZU君のところへサンタさんがやって来たら、また逗子に戻りますが、さすがに師走、なかなか慌ただしい一週間になりそうです。

 今回は、まだこちらへ向かう前の今週半ばのことです。

 実は、12月7日は父の命日。あれからもう52年も経つのですが、両親の墓参りもせず明石に戻ってしまうのも如何なものかと気になって、東京下町のお墓へ向かいました。

 昼前に墓参を終えて、日比谷線の入谷駅から都心方面の地下鉄に乗りましたが、初冬のこの時期、特に行くあてはなく、車内の路線図を眺めていました。

 川向こうの清澄庭園には、なぜか行ったことがなかったからか、半蔵門線の「清澄白河」という駅名が気になりました。でも、日比谷線と半蔵門線は接続駅がなく、「それじゃあ、東西線で門前仲町まで行ってしまおう」と、深川の南のほうで地上に出ました。

  まずは深川不動です
  
 参道からまっすぐ歩いて、正面のお不動さんにお参りして、東の富岡八幡宮へ向かいましたが、

 後で、同行の妻君から「左の四角い建物が本堂だったみたい」と言われました。
「え、あの梵字で覆われた新しい建物が?」 結局、お参りしたのは御本尊ではない「おねがい観音」という木彫りの大きな不動尊でした。
 誰が見たって、参道の正面のお堂が御本尊だと思うはずで、妻君が「こっちじゃない」と言った時も、「寺務所に決まっている」と無視してしまいました。
 事前の勉強不足とは言え、カメラ片手にアングルを探しながら歩いている者には、ちょっと不案内ではないかと思っても後のまつり、また行くしかありませんね。

  そして、富岡八幡宮へ
  
 ここは、姪が11年前の秋に挙式したゆかりのお宮で、久しぶりの参拝です。あの時に記念撮影した境内に、日本一大きい神輿を納めた神輿倉ができていました。

 富岡八幡宮といえば、
  明治時代にできた「横綱碑」
  

 相撲と関わりの深い神社で、横綱が誕生すると、必ず土俵入が行われるお宮です。写真の碑には、歴代横綱の名が記されていて、初代横綱は「明石志賀之助」とありました。明石ゆかりの横綱かと思ったのですが、栃木県出身の横綱でした。因みに、四代に「谷風」、五代に「小野川」と知っている名前が刻まれていました。


   昔も今も門前仲町冬気配   弁人


 お昼ごはんは、深川飯を予定していたのですが、朝の薬の影響で食欲なく、老舗の蕎麦屋で済ませ、東へとことこ歩いて行くと、木場の公園に行き着きました。

  まだ、紅葉が残っていました
  

 「緑化植物園」もありましたが、この時期は、さすがに花園とは行きませんで、

  スカイツリーを正面に歩いて行くと
  

  都の現代美術館がありました
  
   
 
 小一時間ほど、正直のところ、昔気質の私にとっては理解の難しい現代芸術を鑑賞?して、

 今度は隅田川方向の東へ歩いて、
  深川江戸資料館へ
  

 さらに東へ。松平定信のお墓のある
  霊厳寺も参拝しました
  

 どのくらい歩いたでしょうか、もうすぐ夕方です。やっと目的の清澄庭園に到着しました。

 鴨たちを押し退けるように、
  都鳥(ユリカモメ)が
  

  冬ですね。
  水仙が咲き始めていました
  


   咲きはじむ清く澄みたる水仙花   弁人



 都会の一角ですが、
  なかなか風情のある庭園です
  

 庭園を出た、東隣りの公園も
  初冬の色合い
  

 公園でひと休みしていると、すぐに夕暮れの気配が漂ってきて、慌てて地下鉄の駅へ向かいました。


   深川の水路色褪す暮早く  弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする