チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「子午線のまち」ならではのセミナーに

2013-10-02 20:02:26 | 明石風物
10月2日(水)

 ちょいと説明し難い野暮用がありまして、先週末、逗子に帰りました。今日は帰る直前にあった明石での話題です。

 保育園のある稲爪神社の入口に
  こんな掲示がありました
   

 8月の半ばには貼り出されていて、9月27日は、なんとしても明石にいなければと楽しみにしていたのです。

 もっとも、天文科学館の井上先生には、明石に来て以来、何回か質問に応じていただいたり、去年一昨年と、シルバー天文大学でいろいろなお話を聞かせていただいているので、「子午線の話」なら、既にお聞きしていることも多いかもしれないという気持ちもありました。
 でも、この夏に通院先を逗子の病院に変えて以来、逗子に帰っている時間が多く、今年はシルバー天文大学の受講も諦めていたので、このセミナーにはどうしても参加しておきたいと思っていました。

 場所は保育園の玄関のすぐ横にある稲爪神社の社務所です。実は、保育園に通い出してから、もう5年にもなるのに、一度も社務所に上がる機会がなかったので、それも楽しみでした。

 始まりました。平日の昼間、
  参加者はもちろん高齢者ばかりです
  

 初めて参加した「明石かいきょう塾」。参加者は50人弱でしょうか。和室ということもあって、お年寄りの寄り合いという雰囲気で和気あいあい。次回からも明石にいれば参加してみたくなりました。


   子午線のまちの歴史や秋の昼   弁人


 配布された資料は小学生用に作られたもので、初めに「十二支の図」、続いて「子午線の意味」、「子午線が通るまちの一覧」と、一見して、今日の話は知っていることがほとんどではと思いましたが、始まって見ると予想に反して、

 「世界標準時子午線の決定をめぐる、グリニッジ天文台とパリ天文台の確執」
 「それにまつわるイギリスとフランスとの間にあるエピソード」
 「たまたま日本標準時子午線の通る市となった明石市民への啓蒙活動の歴史」
 「測量技術の進歩の中で、子午線の位置の訂正の紆余曲折」
など、明石の近代史を知る上で欠かせない、それも興味ある楽しい話ばかりでした。

 そして、途中しばし休憩の後、もう一つ興味深い話が聞けました。

 それは、日本で初めて日本列島の正確な地図を作った伊能忠敬の話です。

 彼の生い立ちから人となり、そして、明石を通る子午線が日本標準時の基準となるということは知る由もない、その100年前の文化年間に行われた測量の旅で明石に滞在した時のエピソードでした。
 彼が歩いた跡の記録と地図から窺える当時の旧街道の状況、彼が測量と天文観察をした場所など、今何気なく歩いている道端に残る彼の足跡。

 またカメラを持って散策する楽しみができました。


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