チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

寒気身に染む「震災忌」

2011-01-19 10:37:49 | 身辺雑記
1月19日(水)

 一昨日の17日は、私が明石に来てから3回目の「震災の日」。思えば、KAZU君のお母さんが避難所のボランティアに来たのは大学生の時でした。あれからもう、16年の月日が流れているのです。

  献花するのは「慰霊と復興のモニュメント」の前
  

  冬空の下、鎮魂のろうそくの火を点す竹灯籠
  

 ここ2年は土日に当たっていましたが、今年は平日です。そんなこともあって、私のような部外者の見物が少ないのか、いつもより静かで重い空気が張りつめているような感じを受けました。そんな中、私も厳粛な気分で手を合わせ、献花と献灯を済ませることができました。


     年明けの祈りの一日静かなり   弁人


 私は東京の下町で育ちました。子どもの頃から、かろうじて死を免れて生き残ってきたという大人の話をよく聞かされました。思い出すと、当時は「関東大震災」と「東京大空襲」の話がごちゃ混ぜになっていたように思います。
 自然災害と戦争という違いはありますが、多くの犠牲者を出したという怖い話を歴史的に区別して認識することは子どもには難しかったのでしょう。

 そういう分別が付くようになって、やがて、ヒロシマやナガサキの話も心に焼き付ける感受性もでき、大人になったような気がします。

 人の亡くなり方にはいろいろありますが、戦争や災害による死というのは、まさに地獄の絵巻さながら。そして、それを目の当たりにして生き残った人の苦しみ。やりきれませんね。
 神戸や兵庫県南部で暮らしている人、ふだんは屈託なく明るく生きていても、その表情からは想像もできない悲しみと苦悩を背負っている人がたくさんいるのです。

 そういう人たちの大きな喪失感の中から生まれたのが、生き残った者同士の助け合いや励まし合い。その悲しい心のつながりを「生きている証」として点されたのが「1.17希望の灯り」。
   


 ところで、「1.17のつどい」の場である東遊園地からほど近くに「とんぼ玉ミュージアム」があります。ここでは、鎮魂と再生への思いを共有しようと、「1.17希望の灯り」から分灯した火を使って、とんぼ玉の体験制作を企画しているとのこと。ちょっと覗いてみようかなと思って向かってみました。

 東遊園地公園から元町に向かって西に歩いて行く辺りは、旧居留地と呼ばれる所で、ルミナリエが行われる中町通りを中心に、高級ファッションのお店の入っているビルが多い、とてもおしゃれな町並になっています。
    

  こんな入り口のビルの中に
    

  「とんぼ玉ミュージアム」がありました
  


     鎮魂の輝き冴ゆるガラス玉   弁人


 宝石のような「とんぼ玉」を見て、少しすがすがしい気分になったあと、地下鉄海岸線で、今年も新長田へ行ってみました。
  

 去年は、復興のシンボル「鉄人28号」の周囲でいろいろなイベントが行われていましたが、今年はふだんのままでした。
  

 「去年は日曜日だったからか」と勝手に思い込んでJRの駅前に行くと、夕方の暗くなる頃から「震災復興メモリアル」のイベントが行われるとのことで、「1.17ながた」という文字がペットボトルで形作られていました。

  数字の部分にろうそくの火を点す地元の子どもたち
  


     子等の手のともしび揺れて冬の空   弁人


 大寒の三日前です。今年もなんとも言えず、寒さが身に染む震災忌でした。

コメント
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