11月7日(月)
住吉神社というお宮は全国にありますが、大阪の住吉大社がいちばん有名でしょうか。
その住吉の神から「播磨の地に落ち着きたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」という託宣があり、藤の枝を海に流したところ明石の魚住に流れ着いたという話や、神功皇后が三韓征伐へ向かう途中、播磨灘で暴風雨に見舞われ、魚住に避難して住吉の神に祈ったところおさまったという話が伝わっている神社です。
そんな言い伝えがあるせいか、明石の西のほうの海沿いには、海の神様である住吉神社がいくつも鎮座していますが、その中では魚住のお宮がいちばん大きいように思います。社殿の裏には言い伝えに因んだ有名な藤棚があり、初夏にはかなり賑わいますが、ふだんは人影もまばらでとても静かな佇まいです。
境内から門をくぐると
目の前が海。芝生が広がりベンチもあって、天気のよい日なんかはとても気持ちの良い場所です。交通の便も良く、夏の少々暑い日でも、木陰で缶ビール片手に単行本を広げたりなんぞするのはなかなかのひとときです。海の景色も格別で、明石もこの辺まで来ると、淡路島だけでなく小豆島の島影を望むこともできます。
さて、10月は明石から姫路にかけての播磨地方は秋祭りの季節です。魚住の住吉神社のお祭りは10月の下旬で、お祭りの賑わいもそろそろ終わりに近づいた時期になります。
10月最後の日曜日。出店もたくさん並びました
氏子は四ヶ村。最初の登場は西岡村の屋台
随神門の前にもう一つ門があって、この門をくぐるのが一苦労なのです。
屋台は、姫路の祭りと同様、かなり大きくて1、5トンから2トン近くの重さです。したがって、お宮までの道のりは山車のように引いてくるようですが、境内に到着すると、「よーいや、さぁー」という掛け声で担ぎ上げます。屋台の中には子どもが乗っていて太鼓を叩いています。それでか、ここでは屋台のことを「太鼓」と言うようで、最初に登場する屋台を「一番太鼓」と案内していました。
さて、海岸でKAZU君と焼きそばをほおばったりイカ焼を食べたりしてから境内に戻ってみると、
三番太鼓の西島村の男衆が元気よく練っていました
里の秋大事も動じぬ太鼓の手 弁人
四番太鼓の地元中尾地区の屋台も到着。お祓いを受けます
屋台(太鼓)は神輿のように見えますが神輿ではありません。本当のお神輿は拝殿の中に鎮座していました。
神輿はしばしの休憩の後、お昼過ぎから、その年の「練り番」の村が担当して担ぐことになっています。
こうして、祭りの準備も万端となり、能舞台では神楽の舞が始まりました。台詞がうまく聞き取れませんでしたが、おそらく祭神の一つの神功皇后の舞ではないかと思われます。
いよいよ練りも本番に。まずは西岡の一番太鼓
二番太鼓の大見村も始動。担ぎ手やや少なく、かなり大変そう
そしていよいよ、宮神輿のご登場です
今年の練り番は三番目の西島で、「中老」と書いた白はちまきの男衆が白装束姿になって担ぎ出しました。
練り番の村は、神輿と屋台の両方を担ぎます
姫路のほうに比べると氏子の村の規模が小さいのでしょうか、限られた人数で、両方を担いで練るというのはなかなか大変です。それだけに気合も入るというところでしょうか。
この頃から、あいにく雨が強くなり、西島の屋台と四番太鼓の中尾の屋台には透明のシートが覆いかぶされて境内から出て行きました。
秋の雨湯気となりそな熱気あり 弁人
住吉神社というお宮は全国にありますが、大阪の住吉大社がいちばん有名でしょうか。
その住吉の神から「播磨の地に落ち着きたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」という託宣があり、藤の枝を海に流したところ明石の魚住に流れ着いたという話や、神功皇后が三韓征伐へ向かう途中、播磨灘で暴風雨に見舞われ、魚住に避難して住吉の神に祈ったところおさまったという話が伝わっている神社です。
そんな言い伝えがあるせいか、明石の西のほうの海沿いには、海の神様である住吉神社がいくつも鎮座していますが、その中では魚住のお宮がいちばん大きいように思います。社殿の裏には言い伝えに因んだ有名な藤棚があり、初夏にはかなり賑わいますが、ふだんは人影もまばらでとても静かな佇まいです。
境内から門をくぐると
目の前が海。芝生が広がりベンチもあって、天気のよい日なんかはとても気持ちの良い場所です。交通の便も良く、夏の少々暑い日でも、木陰で缶ビール片手に単行本を広げたりなんぞするのはなかなかのひとときです。海の景色も格別で、明石もこの辺まで来ると、淡路島だけでなく小豆島の島影を望むこともできます。
さて、10月は明石から姫路にかけての播磨地方は秋祭りの季節です。魚住の住吉神社のお祭りは10月の下旬で、お祭りの賑わいもそろそろ終わりに近づいた時期になります。
10月最後の日曜日。出店もたくさん並びました
氏子は四ヶ村。最初の登場は西岡村の屋台
随神門の前にもう一つ門があって、この門をくぐるのが一苦労なのです。
屋台は、姫路の祭りと同様、かなり大きくて1、5トンから2トン近くの重さです。したがって、お宮までの道のりは山車のように引いてくるようですが、境内に到着すると、「よーいや、さぁー」という掛け声で担ぎ上げます。屋台の中には子どもが乗っていて太鼓を叩いています。それでか、ここでは屋台のことを「太鼓」と言うようで、最初に登場する屋台を「一番太鼓」と案内していました。
さて、海岸でKAZU君と焼きそばをほおばったりイカ焼を食べたりしてから境内に戻ってみると、
三番太鼓の西島村の男衆が元気よく練っていました
里の秋大事も動じぬ太鼓の手 弁人
四番太鼓の地元中尾地区の屋台も到着。お祓いを受けます
屋台(太鼓)は神輿のように見えますが神輿ではありません。本当のお神輿は拝殿の中に鎮座していました。
神輿はしばしの休憩の後、お昼過ぎから、その年の「練り番」の村が担当して担ぐことになっています。
こうして、祭りの準備も万端となり、能舞台では神楽の舞が始まりました。台詞がうまく聞き取れませんでしたが、おそらく祭神の一つの神功皇后の舞ではないかと思われます。
いよいよ練りも本番に。まずは西岡の一番太鼓
二番太鼓の大見村も始動。担ぎ手やや少なく、かなり大変そう
そしていよいよ、宮神輿のご登場です
今年の練り番は三番目の西島で、「中老」と書いた白はちまきの男衆が白装束姿になって担ぎ出しました。
練り番の村は、神輿と屋台の両方を担ぎます
姫路のほうに比べると氏子の村の規模が小さいのでしょうか、限られた人数で、両方を担いで練るというのはなかなか大変です。それだけに気合も入るというところでしょうか。
この頃から、あいにく雨が強くなり、西島の屋台と四番太鼓の中尾の屋台には透明のシートが覆いかぶされて境内から出て行きました。
秋の雨湯気となりそな熱気あり 弁人