チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

台風禍を気にしながら「サンライズ出雲」に乗車

2019-10-18 17:48:52 | 旅行
10月18日(金)

 大変な台風でした。9月9日の15号の被害の爪痕が残ったままの中で襲来した超大型の19号。幸い、逗子の我が家は無事でしたが、気が気ではありませんでした。

 やはり「温暖化」が進んでいるのでしょう、本腰を入れて取り組まないと大変なことになりそう。世の指導者たち、国家間の利害に明け暮れている場合じゃないんですが、そういう自覚あるのでしょうかね。地球環境問題を最優先しないと人類の未来はなさそうな気がするのですが。

 オリンピックのマラソンを北海道にすると言われて、関係者は慌てているとか。たしかに唐突の感は否めませんが、夏の暑さも異常を呈している昨今、やはり反論の根拠はなさそうです。だいたいにおいて、7月下旬から8月上旬に東京でオリンピックをやろうということ自体、理解できませんでしたから。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

 それはさておき、今年は母校国学院の駅伝ランナーがかなり充実、もし前日の「サンライズ出雲」の寝台券が取れたら出雲駅伝を現地で応援したいと思っていました。
 それで、一ヶ月前の9月13日、みどりの窓口へ行ってみると、なんと取れちゃったのです。

 「さあ、出雲へ行くぞ。今年も青山学院・東海・東洋が三強という下馬評だけど、なんとか一泡吹かせてやりたいもんだ」と、6人のエントリーメンバーを、あーだこうだとシュミレーションをしながら楽しみにしてきました。

 そこへやって来たのが台風19号。「サンライズ出雲」は前々日の11日から運休になって、もちろん12日だって走るわけがありません。「台風、早く行っちゃえ!」と祈っているのに、のろのろのろのろ。13日も運休なら宿も含めて全部キャンセルにして家のテレビで観戦するしかありません。
 もちろん、早めに新幹線と特急で現地入りしておく手もありますが、以前から、明石を引き揚げて逗子に戻ったら、出雲駅伝を観に「サンライズ出雲」に乗って行こうと決めていたのですから譲れません。
 国学院は7年ぶり3回目の出場ですが、初出場の2011年に、明石から早朝の新幹線で岡山へ向かい、「特急やくも」に乗って行きました。「サンライズ出雲」はその時より1時間以上早く出雲市駅に着くので、時間的にも絶好なのです。

 情報によると、選手や関係者は12日に空路で出雲入りする予定だったのを早めて、11日の飛行機で伊丹に飛び、車で出雲に移動したらしく、もう駅伝が中止になることは考えられません。
 そして、問題の台風。予報では12日の午後に関東に接近するということでしたが、暴風雨圏に入ったのは夕方でした。強い雨は夜の9時過ぎに収まったものの、風は依然として吹き荒れていました。そんな時、一瞬停電があって、同時にJcomの回線がプッツン。テレビもインターネットも固定電話もまったく使えなくなってしまいました。もし我が家への引き込み線が切れて復旧に時間がかかるとしたら、列車の運行情報も最終区間エントリーもわからないし、ビデオの録画もできません。ピンチ。停電にはなっていなかったので、ケーブルモデムの電源を入れ直したりしてみましたが、まったく反応なく、イライラと心配で、とてもゆっくり寝ていられる状況ではありませんでした。

 という中で、いよいよ13日がやってきました。心配していたケーブル回線は復旧してくれて一安心。でも、電車はまったく動いていません。京浜急行は昼頃から動くようですが、東海道線と横須賀線の運行は先が見えません。問題は「サンライズ出雲」が走る東海道本線。昼を過ぎても、依然として東京-熱海間、熱海-豊橋間で見合せとのこと。とりあえず東京駅へ行って様子を伺うのがいいかなと思っても、東京駅までスムーズに行ける状況でもありません。仕方なく自宅待機となりましたが、やはり落ち着かず、夕方、家を出て、京浜急行で横浜へ向かいました。

 せっかく「サンライズ出雲」に乗るのですから、チケットは始発の東京駅からにしてありました。でも、横浜駅も停車駅なので、まずは横浜で情報を得ようかと。
 答えは、「今のところ運休という連絡は入っておりません。東海道線も動き出していることだし、徐行区間はあるかもしれませんが、大丈夫かもしれませんね」と、少々曖昧ではあるものの、なんとか動きそうな気配。

 その後、東京駅に18時半に着いて運行を確認。発車まで、まだ3時間以上あります。折しも、ラグビーワールドカップ、日本-スコットランド戦が始まる頃合いで、テレビのあるお店はごった返していました。そんな喧騒とは無縁のお店で食事をして、「勝った、日本が」という興奮の声を耳にしながら9番線ホームに上がりました。

  21時50分、入線
  
  

 22時00分発。荷物の整理なんかをしているうちに動き出していました。どうも、水位の上がった川の鉄橋を渡る時は徐行運転になるようで、多摩川、相模川、酒匂川の上はゆっくりと走行、横浜の次の停車駅の熱海では15分ほど遅れていました。

 ところで、この歳になると、人生もすでにゴール手前の直線に入っていますから、珍しい列車に乗ったり、ちょっと遠くへ出かけたりすると、つい、「これが最初で最後かもしれないな」と思ってしまいます。ということで、夜とはいえ、景色が気になってなかなか目を閉じる気にはなりません。
 この夜は、満月の一日前、台風一過。東京の空にもお月さまがきれいに光っていました。こういう夜は、暗黒の中から月光に浮かび上がった富士の雄姿が見えたりします。かつて、甲子園へ行くのに、大船から寝台列車の「銀河」に乗ったことが何回かありまして、雄大な夜のパノラマに感動したことがありましたから。

 でも、この日はダメでした。カメラを持ってラウンジに待機していましたが、何も見えないまま、夜中の0時過ぎ、
  富士駅に着いてしまいました
  

 この後、浜名湖通過まで外を眺めていましたが、さすがにダウン。伊吹山も見えるかもしれないと思っていたのに、目が覚めると、ちょうど大阪の手前、淀川を渡るところでした。

 5時過ぎ、
  三ノ宮駅通過
  

 こうなると、思い出の明石を通過するまで寝られません。


   長き夜や見慣れし景の眠りたり   弁人


 そういえば、逗子と明石の往復に、この「サンライズ」に乗りたいと思ったこともありましたが、三ノ宮は通過して姫路着が5時半頃、上りは三ノ宮に止まるものの0時10分頃ということで、せっかく寝台車に乗るにしては短か過ぎてもったいないと一度も乗りませんでした。

 姫路辺りでウトウトしちゃったのでしょうか、まもなく岡山駅に到着という放送で目が覚めました。岡山駅で「サンライズ瀬戸」を切り離した後は、伯備線で中国山地を縦断です。

 7時過ぎ。備中高梁の町が
  見えてきました
  

 新見の手前。ずっと高梁川に沿って
  進んで行きます
  

 新見を過ぎても、しばらく水は岡山方面へ流れていましたが、いつの間にか分水嶺の県境を越えて鳥取県に入ったようで、川の水が
  進行方向へ流れていました
  

 もうすぐ米子。今日も
  大山の雄姿は雲の中
  

 明石にいる時、米子には二回ほど来て、皆生温泉に泊まりましたが、なぜか大山の全容を眺めたことがありません。でも、明日も米子を通るので翌日に期待。

 10時ちょっと前、
  出雲市駅到着
  


   体育の日出雲に着きて武者震ひ   弁人


 さあ、駅伝応援です。もうご存知の感動の顛末は次回にしますが、今回は、軽自動車をレンタカーで予約してあります。地方の町を一周ちょっと周回するコース。その内側を足早に走り回ります。


コメント
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