5月19日(金)
若葉色に染まった
日光の森
東照宮と輪王寺、そして二荒山神社。今や押しも押されぬ日本を代表する世界遺産です。
小学校の修学旅行の時、陽明門の前で記念撮影をしたことや、いわゆる「三猿」や「眠猫」を眺めた記憶がありますが、大人になってからは、絢爛豪華できらびやかな派手さを嫌ったのか、いろは坂を上ったことは何回かあるものの、いつも通り過ぎていました。
時間ができたら一度お参りに行きたいとも思っていましたが、仕事をやめて間もなく明石暮らしが始まり、その機会もないままでした。明石を引き上げた後もいろいろなことがあって、なかなか落ち着いた時間がやって来ませんでした。
それに、日光は平成の大修理中という話があって、あまり関心が向かなかったのも事実。でも、この春、風の噂に「陽明門」の修理や「三猿」や「眠猫」の修復が終わったと聞き、先月の20日過ぎからは東武に新型の特急が登場という話もあって、それなら、暑くなる前に世界遺産の巡礼をしてみようかという気分になりました。
ということで、16日の火曜日の朝、東武新型特急「リバティ」に乗るべく浅草駅へ向かいました。ところが、この日は春日部の先で人身事故がありダイヤが大混乱。しばらく待っていると、予約した特急は運休に。一時間近く遅れて、
次の特急スペーシアに乗って
浅草駅を出発
それでも、なんとかお昼には世界遺産の入り口の
「神橋」に
二荒山神社別宮の脇の道を歩いて行くと、輪王寺の本堂「三仏堂(金堂)」の前に出ました。
ここも
平成の大修理中でしたが、
「天空回廊」という展望見学通路ができていて、修理中でしか見ることのできない光景を目にすることができました。
素屋根が完成した後の
作業を眺め
そう、姫路城の修理中にも「天空の白鷺」という見学施設ができて二回ほど出向きましたが、あの時はエレベーターがあったので苦労しませんでした。でも、今回はエレベーターがなく、ひたすら階段を上ることになり、この高さまで来るのは少々大変でした。
とはいえ、
振り向けば、これだって
今だけの景色です
風そよと若葉に埋まる神ほとけ 弁人
下に下りて天空から見下ろした宝物殿に。
お庭も歩きました
東照宮の参道に出ると、
馬が闊歩しています
翌日に「流鏑馬」が行われるそうで、その予行練習のようです。本番の時の人混みを考えると、ここでしばらく眺めているのも一興かと思いましたが、時間が押しているので先を急ぐことに。
一の鳥居をくぐると
五重塔です
心柱が振り子のように吊り下げられていて、スカイツリーと同じ構造なのだそうです。その心柱が浮いている下の部分を覗くことができました。
十二支の彫刻も有名。正面の東は
右から「虎・兎・龍」
家康、秀忠、家光の初めの三代の将軍の干支が「寅、卯、辰」だったという言い伝えがあるそうで、その真偽はともかく、十二支の方角を考えれば、東は「寅・卯・辰」になるのは当然です。
さて、いよいよ東照宮拝観です。表門をくぐると、左にお厩舎があって、その軒に猿たちの彫刻、そして、
右前方、石段の上に
光り輝く「陽明門」
唐門の奥に拝殿と、
ここも修理中の本殿
拝殿で参拝した後、回廊の彫り物や「眠猫」などを眺め、本地堂で「鳴龍」を見学し、
二荒山神社の
参道に出ました
二荒山神社をお参りしてから向かったのは、今回最後の巡礼地、三代将軍家光公の廟所の輪王寺「大猷院」。
仁王門から二天門へかなり段差の高い石段を上ります。さらにそのきつい石段をどのくらい上ったでしょうか、足が棒になりヘトヘトになったところでたどり着くのが、四色の像がにらみを利かす夜叉門。
石段の下で励ます四十雀 弁人
夜叉門を抜けると、目の前に
絢爛な建物が
光り輝く金色にマッチした重厚な黒の配色。きらびやかではありますが、なんとも落ち着いた佇まいです。
はつ夏の光指したる天の道 弁人
建物は、拝殿、相の間、本殿と続く権現造りで、どう見てもお社の雰囲気。廟所(墓所)とはいえ、素人目にはお寺の建物とは思えません。
でも、もともとお寺と神社が一体となって信仰を集めた所は全国の至るところにあり、日光も二社と一寺が一体となって成り立っているので不思議ではありません。「鳴龍」のある本地堂もお話はお坊さんでしたが、鳥居をくぐった先の陽明門の脇にあるのですから。
なにはともあれ、日光二社一寺の巡礼をなんとか踏破しました。ゆっくり回れば半日はかかるだろうと思っていましたが、やはり予想とおりでした。
朝の電車運休の余波を受けたこともあって急ぎ足で歩き回り、路線バスに揺られていろは坂を上ると、
宿のある中禅寺湖畔は
夕闇が近い時間になっていました
若葉色に染まった
日光の森
東照宮と輪王寺、そして二荒山神社。今や押しも押されぬ日本を代表する世界遺産です。
小学校の修学旅行の時、陽明門の前で記念撮影をしたことや、いわゆる「三猿」や「眠猫」を眺めた記憶がありますが、大人になってからは、絢爛豪華できらびやかな派手さを嫌ったのか、いろは坂を上ったことは何回かあるものの、いつも通り過ぎていました。
時間ができたら一度お参りに行きたいとも思っていましたが、仕事をやめて間もなく明石暮らしが始まり、その機会もないままでした。明石を引き上げた後もいろいろなことがあって、なかなか落ち着いた時間がやって来ませんでした。
それに、日光は平成の大修理中という話があって、あまり関心が向かなかったのも事実。でも、この春、風の噂に「陽明門」の修理や「三猿」や「眠猫」の修復が終わったと聞き、先月の20日過ぎからは東武に新型の特急が登場という話もあって、それなら、暑くなる前に世界遺産の巡礼をしてみようかという気分になりました。
ということで、16日の火曜日の朝、東武新型特急「リバティ」に乗るべく浅草駅へ向かいました。ところが、この日は春日部の先で人身事故がありダイヤが大混乱。しばらく待っていると、予約した特急は運休に。一時間近く遅れて、
次の特急スペーシアに乗って
浅草駅を出発
それでも、なんとかお昼には世界遺産の入り口の
「神橋」に
二荒山神社別宮の脇の道を歩いて行くと、輪王寺の本堂「三仏堂(金堂)」の前に出ました。
ここも
平成の大修理中でしたが、
「天空回廊」という展望見学通路ができていて、修理中でしか見ることのできない光景を目にすることができました。
素屋根が完成した後の
作業を眺め
そう、姫路城の修理中にも「天空の白鷺」という見学施設ができて二回ほど出向きましたが、あの時はエレベーターがあったので苦労しませんでした。でも、今回はエレベーターがなく、ひたすら階段を上ることになり、この高さまで来るのは少々大変でした。
とはいえ、
振り向けば、これだって
今だけの景色です
風そよと若葉に埋まる神ほとけ 弁人
下に下りて天空から見下ろした宝物殿に。
お庭も歩きました
東照宮の参道に出ると、
馬が闊歩しています
翌日に「流鏑馬」が行われるそうで、その予行練習のようです。本番の時の人混みを考えると、ここでしばらく眺めているのも一興かと思いましたが、時間が押しているので先を急ぐことに。
一の鳥居をくぐると
五重塔です
心柱が振り子のように吊り下げられていて、スカイツリーと同じ構造なのだそうです。その心柱が浮いている下の部分を覗くことができました。
十二支の彫刻も有名。正面の東は
右から「虎・兎・龍」
家康、秀忠、家光の初めの三代の将軍の干支が「寅、卯、辰」だったという言い伝えがあるそうで、その真偽はともかく、十二支の方角を考えれば、東は「寅・卯・辰」になるのは当然です。
さて、いよいよ東照宮拝観です。表門をくぐると、左にお厩舎があって、その軒に猿たちの彫刻、そして、
右前方、石段の上に
光り輝く「陽明門」
唐門の奥に拝殿と、
ここも修理中の本殿
拝殿で参拝した後、回廊の彫り物や「眠猫」などを眺め、本地堂で「鳴龍」を見学し、
二荒山神社の
参道に出ました
二荒山神社をお参りしてから向かったのは、今回最後の巡礼地、三代将軍家光公の廟所の輪王寺「大猷院」。
仁王門から二天門へかなり段差の高い石段を上ります。さらにそのきつい石段をどのくらい上ったでしょうか、足が棒になりヘトヘトになったところでたどり着くのが、四色の像がにらみを利かす夜叉門。
石段の下で励ます四十雀 弁人
夜叉門を抜けると、目の前に
絢爛な建物が
光り輝く金色にマッチした重厚な黒の配色。きらびやかではありますが、なんとも落ち着いた佇まいです。
はつ夏の光指したる天の道 弁人
建物は、拝殿、相の間、本殿と続く権現造りで、どう見てもお社の雰囲気。廟所(墓所)とはいえ、素人目にはお寺の建物とは思えません。
でも、もともとお寺と神社が一体となって信仰を集めた所は全国の至るところにあり、日光も二社と一寺が一体となって成り立っているので不思議ではありません。「鳴龍」のある本地堂もお話はお坊さんでしたが、鳥居をくぐった先の陽明門の脇にあるのですから。
なにはともあれ、日光二社一寺の巡礼をなんとか踏破しました。ゆっくり回れば半日はかかるだろうと思っていましたが、やはり予想とおりでした。
朝の電車運休の余波を受けたこともあって急ぎ足で歩き回り、路線バスに揺られていろは坂を上ると、
宿のある中禅寺湖畔は
夕闇が近い時間になっていました