チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

ぶらっと立ち寄った姫路の二つの史跡

2014-08-02 13:56:45 | 身辺雑記
8月2日(土)

 全国で五つしか残存していない「風土記」も残っている「播磨国」。歴史的には、わが国の中心だった「畿内」の西隣りに位置し、瀬戸内の温暖な気候風土にも恵まれた豊かな土地だったに違いありません。
 その播磨の国にも、昔は当然国分寺があったはずですが、思いがけないきっかけがあって、その旧跡を訪ねる機会を得ました。

 まずは、そのきっかけの話から。

 明石にやってきた2008年の秋、新しい暮らしにようやく慣れてきたころのことです。ある時、明石海峡大橋の下の舞子公園を歩いていて、公園の西にある「橋の科学館」へ入りました。

 帰り際、玄関脇の売店にあった、明石海峡大橋のイラストが入ったトートバッグを購入しました。

 このバッグ、
  なかなか便利なのです
  

 500ミリリットルの缶ビールを脇に置いてみましたが、6缶パック二つとスーパーで調達する水を入れる3リットルの容器がすっぽりと入ります。
 ビールや水の用がない時でも、丈夫で容量が大きいので、買い物の時はいつも持参することになります。
 でも、何年も使っていれば、さすがに汚れて傷んできます。新しくしたいと、3年前に科学館へ行ったのですが、もう売っていませんでした。
 それ以来、デパートや大型店で、同じ形の同じ大きさのものを探していたのですが、出会うことはなく、洗剤をしみ込ませた布で拭いたりしながら大切に使ってきました。

 そして、二ヶ月ほど前。天文科学館の売店に、大きさは違いますが、全く同じ仕様のバッグが置いてあるのを見つけました。

 プラネタリュウム
  座席新装記念のバッグです
  

 プラネタリュウムでは日本最大の座席数ということで、その数がプリントされた、小型ではあるものの、形状も配色も全く同じバッグです。

 おそらく、天文科学館のオリジナルとして独自に発注したものでしょう。だとすれば、製造元がわかるかもしれないと、さっそく調べてもらったところ、納入したのは、姫路の東部にある業務用ユニフォーム販売レンタル会社だということがわかりました。

 プリントの有無、あるいはそのデザインなどは問わないのですが、大量購入するわけではありませんから、電話で問い合わせて話が頓挫したらそれで終わりなので、直接出向くことにしたのです。
 すぐに手に入らなくても、もし最近発注を受けた相手があって、その所在がわかれば、なんとかなるかもしれないという淡い期待もありました。

 姫路市街の東に、市川という比較的大きな川が流れていますが、会社は、そのさらに手前の御着というところにありました。
 国道2号線から南に折れて、右に曲がればすぐ先に会社があるところの左斜め前方に、史跡公園のような広場が目に入りました。ちょうどお昼の時間だったので、30分ほど時間をつぶしてから会社へ行こうかと車を下りてみると、

 いかにも「新しく復元しました」という感じの
  築地塀が
  

 そうなんです。ここは
  「播磨国分寺」跡なのです
  

 南側(写真奥)には山陽本線と新幹線の線路が走っていて、ちょうどN700系が通過しているところでシャッタを切ったのですが、写真が小さくてよく見えません。

 往時は、金堂・講堂・七重塔など、
  壮大な伽藍が建ち並んでいたとか
  

 北側に見える甍は、江戸時代初期に姫路城主松平忠明によって再建された現在の国分寺です。

 「牛堂山国分寺」と言い、
  牛の石像がありました
  

 牛というと、道真を祀った天神様を思い浮かべますが、仏様とはどういう関係にあるのか、案内を見ると、「牛は聖武天皇の使者で、野草を食するも病にかからず、体力剛健、人類に貢献する平和の守り神」とありました。


   熊蝉の声いちめんに牛の寺   弁人


 そんなわけで、国分寺跡をひとしきり散歩してから目的の会社に行くと、担当の方がとても親切に応対してくれて、なんと、長いこと探していたトートバッグが手に入ることになりました。
 どうも、ここは、注文を受けると、製造元から取り寄せてプリント加工をする会社のようで、「無地でよければ単品でも取り寄せますよ」というお話、すぐにカタログを見せてくれました。

 ひょんなことで、先に国分寺に参拝したのがよかったのかもしれません。万事うまく行って、気分良く帰途につきました。

 さて、国道2号線に戻って少し車を走らせた所に、

 姫路市御国野の
  歩道橋があります
  

 歩道橋の向こうに、お城の形をした建物が見えていて、

 姫路市役所の
  東出張所となっていますが、
  

 実は、ここは黒田官兵衛が前半生を費やした小寺氏の居城、御着城址なのです。大河ドラマでは、片岡鶴太郎が扮した小寺政職、あの優柔不断の武将が城主だったお城です。

 車で姫路に行く時は、いつもここの2号線は通らずバイパスを利用します。そんなこともあり、せっかくなので立ち寄ってみることにしました。

 城址は国道で分断され、本丸は歩道橋を挟んだ南側に位置していたようですが、

 そこに、小寺大明神という
  お社がありました
  

 北側の出張所の脇にある
  官兵衛の祖父と母の墓所
  

 出張所の北に、天川橋という
  太鼓橋が保存されています
  

 御着城は平城だったので、すぐ西側を流れる天川を堀として利用、この橋は、城址の南を通る西国街道の天川を渡る石橋で、半世紀前まではその場所に架かっていたそうです。昭和47年の水害で落橋し、ここに保存されたとのことでした。

 「軍師官兵衛」で盛り上がっている播磨。御着城址にも幟旗がはためき、仮設の案内所にガイドの方も常駐、人影のなかった国分寺跡とは対照的な史跡歩きとなりました。


   往にしへの面影照らす夏日影   弁人


コメント
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