チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

冬枯れの山里に佇む「大原の寂光院」

2013-02-09 19:32:57 | お出かけ・散策
2月9日(土)

 三日前の水曜日、ふと思い立って、京都駅からバスに乗りました。行き先は大原の寂光院です。

 実は、前日の天気予報で、関西各地で夜半から朝方にかけて雪に見舞われるとの話を聞き、ちょっと雪景色の京都にでも行ってみようかと思ったのです。
 はじめは南禅寺か銀閣寺あたりをと考えていたのですが、朝起きてみると、どうも雪は予報どおりではなさそうでした。案の定、京都駅に降り立っても小雨が少々ぱらついているだけで、雪景色の気配すらありません。
 でも、立春の直後とはいえ、まだ寒い時期の京都です。北山の奥のほうに向かえば、少しは白い景色に出会えるかもしれないと、淡い期待を抱いてバスに乗ったのです。

 大原へは11月の末の紅葉の季節に出向いたばかりです。でも、あの時は東福寺界隈を歩いた後に向かったこともあって、あまり時間が取れませんでした。
 三千院をお参りした後、一度は寂光院へ向かいかけたのですが、夕暮れが迫って来て、数分歩いたところであきらめて戻って来てしまったのです。

 さて、1時間ほどバスに揺られて大原に到着。たしかに降水量が少なかったこともありますが、今年は1月の下旬から寒さが緩んで、そのまま立春を越した感じがします。この日の大原も、手袋を外してもほとんど苦にならない感じの気温でした。

 もちろん、期待していた雪景色は、
  そのかけらもありません
  

 でも、山里はまだ冬枯れの佇まい。それに、平日ということもあって、訪れる人影もほとんど見えません。そういえば、バスも空いていましたし、バス停の食堂ものれんがしまわれたままでした。

  ナンテンの実でしょうか
  
 うっすらとでも雪がかぶっていれば、いかにも冬の大原の里という風情になるのでしょうが・・・。


   春立ちてなほひっそりと山の里   弁人


  受付から、雨上がりの階段を上ります
  

 途中、苔むした屋根が印象的な
  茶室の前を通ります
  

  階段を上った山門をくぐると
  

  きれいに整備されたお庭と本堂が
  

 本尊の地蔵菩薩は聖徳太子の作と言われています。それに、ここは安徳天皇の母の建礼門院のゆかりのお寺ということで、ずいぶんと歴史を刻んできた名刹なのですが、実は13年前の火災で全焼してしまい、本堂は新しい建物なのです。本尊の地蔵菩薩像も復元されたもので、黒焦げになったお地蔵様は別の所に保管され、年に二回だけしか拝観できないそうです。
 私が寂光院を訪れたのは高校時代以来ですから、当時お参りした本堂と地蔵菩薩像は火災前の古い佇まいであったのだと、感慨深い思いで拝観しました。

  鐘楼と汀の池
  
 右側の無残な姿になっている大木が、平家物語の「大原御幸」で後白河法皇と建礼門院の対面の場に登場する「姫小松」です。この由緒ある樹齢千年を越えるという名木も、火災でこのような傷ましい姿になっているのですが、それがかえって、この清楚で静寂さの漂う庭園に、いっそう哀しい美しさを醸し出しているかのような感じがします。

 本堂の脇にも、
  奥に滝を配したお庭がありました
  

 大原のお寺は、皆ひっそりとした雰囲気ですが、極楽往生へと導く阿弥陀三尊像のある三千院のほうが、いくぶん華やかさがあるのかもしれません。対してこの寂光院は、高貴な女院が隠棲し生涯を閉じた所ですから、何とも言えない哀愁が漂う、本当に「寂光」という名前のとおりの、大原の里にふさわしい佇まいのお寺でした。

 今回は、期待していた雪景色こそ見られませんでしたが、冬枯れの季節で人影のほとんどない時だったので、かえってそれが寂光院の世界に浸るのによかったのかもしれません。


   寒き春寂しき光満つる寺   弁人


コメント
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