7月16日(木)
団塊の世代が夢中になったアーチストは「マイケル・ジャクソン」ではないでしょう、きっと。
「プレスリー」?「ビートルズ」?「ボブ・ディラン」?・・・私は「サイモン&ガーファンクル」です。
1968年4月、大学生になってまだ2週間ほどのある日、一枚のはがきが舞い込みました。二ヶ月後の6月に公開されるダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」の試写会の案内状でした。
往復はがきの返信用なのですが、私は応募した覚えがありませんでした。宛て名の文字も自分のではない。大学ではまだ親しい友人はできていないし、高校時代の誰かが私の名前で出したとしか考えられません。女性だったらとちょっとドキドキしますよね。
心ときめく淡い期待感を抱き、「君、ほんとに授業サボるの?」という声を背に大学を出ました。たしか砂防会館だったと思います。残念ながらドラマはスクリーンの中だけで、知っている人には誰も会いませんでした。
一人の青年が歩いている。暗い通路。重そうな足どり。バックから響いてくる低く単調なリズムのギターの音色、そして「ハロー,ダークネス,マイ,オールド,フレンド」の静かな出だしの歌声。その瞬間に、私はときめきも期待も何もかも忘れて、スクリーンとサウンドトラックの世界に入り込んでしまいました。
その日の夕方、私は秋葉原の石丸電気のレコード売り場(当時は売り場面積の広い専門店は少なかった)にいました。もちろん、サイモンとガーファンクルのレコードを探しに来たのです。4曲入りの「サウンド・オブ・サイレンス」はありましたが、「パセリ・セイジ・ローズマリー・アンド・タイム」のレコードはありませんでした。
映画公開の2カ月前、日本ではまだ彼らの歌声は一部のマニアにしか知られていなかったのだと思います。店員も心得がない状態で一緒に探してくれました。
この日に手にした一枚のレコード。実は今でも大切な宝物になっています。なにしろ、サウンドトラック盤ではない「サウンド・オブ・サイレンス」なのですから。こっちのほうが微妙に味わい深い音質に感じられるし、「リチャード・コーリ」など、その後に発売されたレコードやCDにはほとんど収められていない曲が入っています。ただ残念なのは、レコードプレーヤーを処分してしまったので今は聞けないことでしょうか。
さて、彼らの歌う名曲の数々。ガーファンクルの美声もさることながら、とにかく作詞家ポール・サイモンの詩が生命になっていると言っても過言ではありません。
ここでは知ったかぶりの解説は遠慮しますが、曲名を見ただけでも、「静寂・沈黙の音、調べ」とでも訳すのでしょうか、「サウンド・オブ・サイレンス」ということばは実に哲学的ですし、安らぎや癒しをもたらすハーブ(香草)の名を列ねた「スカボロー・フェア」の「パセリ・セイジ・ローズマリー・アンド・タイム」というアルバムのタイトルも何か意味深げな感じです。「私は岩だ」と歌う「アイ・アム・ア・ロック」には凝り固まる自分とか言動を封じ込めて行く雰囲気が漂っています。打ちのめされながらも立ち上がろうとするイメージの「ボクサー」。本当のアメリカを探そうと訴える「アメリカ」。
ケネディ暗殺で衝撃を受け、ベトナム戦争で傷ついたアメリカの人々。二人はそんな社会の現実を見つめ、明日への生き方を問い続けてきたのです。その鋭い洞察力と卓越した表現力、それを歌いあげるアート・ガーファンクルの美声には神々しささえ感じてしまいます。
4月頃だったでしょうか、夏にサイモン&ガーファンクルが来日するということをどこかで耳にしたのですが、まだ先の話だと気に留めませんでした。思い出したのは三週間程前。梅田のショッピングビルを歩いている時に「明日に架ける橋」の曲が流れていたのです。帰宅後インターネットで調べたところ、まだチケットの残が少しありました。いちばん上のランクの席でしたが、「冥土の土産」かもしれないと奮発しました。
2009年7月13日の月曜日。場所は大阪、京セラドーム。
パンフレットの表紙と5年前のステージでの写真
地下深くにできた阪神難波線「ドーム前」駅。ホームから人の波で、地上に出るまでが大変でした。そして外のドームへの道も人、人、人の波。
ほとんどがおっちゃんとおばちゃんです。おそらく6~7割が50才以上のシルバーエイジ。さすが団塊世代には「神さま、仏さま、S&Gさま」といったところなのでしょうか。
写真撮影は禁止ですが、開演前にケイタイでそっと一枚。
京セラドームの観客席は3万5千。外野席を除いても2万席は優に超えそうです。それにグランドの部分の観客の数。これもハンパではありません。都合5万人を超えているのかもしれません。
さあ、開演。
まずは「オールドフレンド」から入り、続いて「アメリカ」「アイ・アム・ア・ロック」などのスタンダードナンバーで引き込みます。若かりし時代の香りが蘇ってきます。15年前に一人で行ったアメリカの匂いも。
60才台も後半の二人のアーチスト、さすがにかつてのイメージどおりとはいきません。ガーファンクルの美声にも40年の時の流れを感じさせられましたが、まあ、これは仕方のないところ。
ステージと観客の距離感が少なくなってきた頃合いに、二人が交互に休憩に入り、ガーファンクル、サイモンの順でソロのステージが30分ぐらい続きました。やがてガーファンクルが戻り再び二人になると、会場はいよいよクライマックスに突入。
「スカボロー・フェア」の旋律に酔いしれていると、やがて、たぶん最後の曲になるだろうと思っていた「明日に架ける橋」のメロディに。時計は20時45分。おかしい、まだ僕の好きな「ボクサー」聞いてない。それに「サウンド・オブ・サイレンス」だって歌ってないよな・・・・・そんなことを思っているうちに「明日に架ける橋」が終わり、拍手と喚声の中でガーファンクルから「おおきに。グッド・バイ」という無情なことばが。
「マジ?」と思いながら、アンコールの拍手をしていると二人が再登場。ここで「サウンド・オブ・サイレンス」となりました。なぁーんだ、そういう演出だったの。
次のアンコールで「ボクサー」がきました。このあとも拍手の音は鳴りやまず、再度「ボクサー」、さらに、これも歌っていなかった「いとしのセシリア」。これも二回歌ってとうとうお開きに。21時10分。アンコールは30分近く続いていたわけです。グランドの聴衆はもちろんスタンディングオベーション。やはりコンサートはこうやって盛り上がるのです。
以上、「リチャード・コーリ」は聞けませんでしたが、感無量の夏の夜のひとときでした。
一生の思い出のTシャツ
文月に心よみがえるハーモニー
明日を問ふ声和してくる夏の宵 弁人
団塊の世代が夢中になったアーチストは「マイケル・ジャクソン」ではないでしょう、きっと。
「プレスリー」?「ビートルズ」?「ボブ・ディラン」?・・・私は「サイモン&ガーファンクル」です。
1968年4月、大学生になってまだ2週間ほどのある日、一枚のはがきが舞い込みました。二ヶ月後の6月に公開されるダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」の試写会の案内状でした。
往復はがきの返信用なのですが、私は応募した覚えがありませんでした。宛て名の文字も自分のではない。大学ではまだ親しい友人はできていないし、高校時代の誰かが私の名前で出したとしか考えられません。女性だったらとちょっとドキドキしますよね。
心ときめく淡い期待感を抱き、「君、ほんとに授業サボるの?」という声を背に大学を出ました。たしか砂防会館だったと思います。残念ながらドラマはスクリーンの中だけで、知っている人には誰も会いませんでした。
一人の青年が歩いている。暗い通路。重そうな足どり。バックから響いてくる低く単調なリズムのギターの音色、そして「ハロー,ダークネス,マイ,オールド,フレンド」の静かな出だしの歌声。その瞬間に、私はときめきも期待も何もかも忘れて、スクリーンとサウンドトラックの世界に入り込んでしまいました。
その日の夕方、私は秋葉原の石丸電気のレコード売り場(当時は売り場面積の広い専門店は少なかった)にいました。もちろん、サイモンとガーファンクルのレコードを探しに来たのです。4曲入りの「サウンド・オブ・サイレンス」はありましたが、「パセリ・セイジ・ローズマリー・アンド・タイム」のレコードはありませんでした。
映画公開の2カ月前、日本ではまだ彼らの歌声は一部のマニアにしか知られていなかったのだと思います。店員も心得がない状態で一緒に探してくれました。
この日に手にした一枚のレコード。実は今でも大切な宝物になっています。なにしろ、サウンドトラック盤ではない「サウンド・オブ・サイレンス」なのですから。こっちのほうが微妙に味わい深い音質に感じられるし、「リチャード・コーリ」など、その後に発売されたレコードやCDにはほとんど収められていない曲が入っています。ただ残念なのは、レコードプレーヤーを処分してしまったので今は聞けないことでしょうか。
さて、彼らの歌う名曲の数々。ガーファンクルの美声もさることながら、とにかく作詞家ポール・サイモンの詩が生命になっていると言っても過言ではありません。
ここでは知ったかぶりの解説は遠慮しますが、曲名を見ただけでも、「静寂・沈黙の音、調べ」とでも訳すのでしょうか、「サウンド・オブ・サイレンス」ということばは実に哲学的ですし、安らぎや癒しをもたらすハーブ(香草)の名を列ねた「スカボロー・フェア」の「パセリ・セイジ・ローズマリー・アンド・タイム」というアルバムのタイトルも何か意味深げな感じです。「私は岩だ」と歌う「アイ・アム・ア・ロック」には凝り固まる自分とか言動を封じ込めて行く雰囲気が漂っています。打ちのめされながらも立ち上がろうとするイメージの「ボクサー」。本当のアメリカを探そうと訴える「アメリカ」。
ケネディ暗殺で衝撃を受け、ベトナム戦争で傷ついたアメリカの人々。二人はそんな社会の現実を見つめ、明日への生き方を問い続けてきたのです。その鋭い洞察力と卓越した表現力、それを歌いあげるアート・ガーファンクルの美声には神々しささえ感じてしまいます。
4月頃だったでしょうか、夏にサイモン&ガーファンクルが来日するということをどこかで耳にしたのですが、まだ先の話だと気に留めませんでした。思い出したのは三週間程前。梅田のショッピングビルを歩いている時に「明日に架ける橋」の曲が流れていたのです。帰宅後インターネットで調べたところ、まだチケットの残が少しありました。いちばん上のランクの席でしたが、「冥土の土産」かもしれないと奮発しました。
2009年7月13日の月曜日。場所は大阪、京セラドーム。
パンフレットの表紙と5年前のステージでの写真
地下深くにできた阪神難波線「ドーム前」駅。ホームから人の波で、地上に出るまでが大変でした。そして外のドームへの道も人、人、人の波。
ほとんどがおっちゃんとおばちゃんです。おそらく6~7割が50才以上のシルバーエイジ。さすが団塊世代には「神さま、仏さま、S&Gさま」といったところなのでしょうか。
写真撮影は禁止ですが、開演前にケイタイでそっと一枚。
京セラドームの観客席は3万5千。外野席を除いても2万席は優に超えそうです。それにグランドの部分の観客の数。これもハンパではありません。都合5万人を超えているのかもしれません。
さあ、開演。
まずは「オールドフレンド」から入り、続いて「アメリカ」「アイ・アム・ア・ロック」などのスタンダードナンバーで引き込みます。若かりし時代の香りが蘇ってきます。15年前に一人で行ったアメリカの匂いも。
60才台も後半の二人のアーチスト、さすがにかつてのイメージどおりとはいきません。ガーファンクルの美声にも40年の時の流れを感じさせられましたが、まあ、これは仕方のないところ。
ステージと観客の距離感が少なくなってきた頃合いに、二人が交互に休憩に入り、ガーファンクル、サイモンの順でソロのステージが30分ぐらい続きました。やがてガーファンクルが戻り再び二人になると、会場はいよいよクライマックスに突入。
「スカボロー・フェア」の旋律に酔いしれていると、やがて、たぶん最後の曲になるだろうと思っていた「明日に架ける橋」のメロディに。時計は20時45分。おかしい、まだ僕の好きな「ボクサー」聞いてない。それに「サウンド・オブ・サイレンス」だって歌ってないよな・・・・・そんなことを思っているうちに「明日に架ける橋」が終わり、拍手と喚声の中でガーファンクルから「おおきに。グッド・バイ」という無情なことばが。
「マジ?」と思いながら、アンコールの拍手をしていると二人が再登場。ここで「サウンド・オブ・サイレンス」となりました。なぁーんだ、そういう演出だったの。
次のアンコールで「ボクサー」がきました。このあとも拍手の音は鳴りやまず、再度「ボクサー」、さらに、これも歌っていなかった「いとしのセシリア」。これも二回歌ってとうとうお開きに。21時10分。アンコールは30分近く続いていたわけです。グランドの聴衆はもちろんスタンディングオベーション。やはりコンサートはこうやって盛り上がるのです。
以上、「リチャード・コーリ」は聞けませんでしたが、感無量の夏の夜のひとときでした。
一生の思い出のTシャツ
文月に心よみがえるハーモニー
明日を問ふ声和してくる夏の宵 弁人