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電話室便り
永遠の門 / AT ETERNITY'S GATE
2020-04-26 / 映画
シネマフロンティアにて
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホの生涯は、1853年から1890年までの
37年間です。
この作品は、ゴッホといえば思い浮かべる 「 ひまわり 」 をはじめとした代表作品群を
もの凄い勢いで描いていった最期の2年間を描いています。
自身も現代美術の画家である監督のジュリアン・シュナーベルは、カメラアイをゴッホ
の視界とし、彼が見る世界がどんなものだったか、またどのように見えていたのかを、
カメラを手持ちして撮影することで観客である私達に疑似体験的に伝えるという手法を
とっています。そのため、私達は、まるで自分がゴッホの中に、・・・・・・
この場合は、ゴッホの精神の中に? ゴッホの脳内に? いずれにしてもゴッホに潜入
したかのような感覚で映像を観ることが出来るわけです。
例えば 「 アルルの女 」 のモデル、ジヌー夫人 ( この役エマニュエル・セニエ : 好き
です! )、ゴッホが通っていたアルルのカフェの女主人で、彼女の上半身や顔が大写し
になるシーンがあるのですが、彼女は何かをゴッホに向かって喋っているのですが、その
声はほとんど音声にはなっていず、顔立ちや物腰や身につけている衣服などをじっくりと
映すのです。
つまり、ゴッホがジヌー夫人をそのように観察しながら会話して、絵の題材という視点で
向かい合っていたのでは、、、というように。
ゴッホの動きに合わせた揺れや、見え方の翳み、焦点、背景。
視覚という感覚は、個人の内面との連動性がとても強い、特に画家のとって重要な機能で
あることに着目し、ゴッホを外側からではなく超内面から描き出すという斬新さは、シュ
ナーベルならではでしょう ( 同監督の2007年公開 『 潜水服は蝶の夢を見る 』 も脳内
イメージの映像化で非常に斬新 )。
ゴッホ。自分が天性の画家である、と気付いてから9年間の画業です。たったの9年間。
人生は、長さではなく質である、という真実を生きた人。
周りから、世間から、どう思われてどう扱われていても、言い訳を一切しなかった人。
どんなに困窮していても、絵を描くことを一時たりとも止めようなどとは考えなかった人。
世の中のために、自分が出来ることはなんだろう、と生涯つとめた人。
どうしてそんなことができた?
テオがいたから。そして、
フィンセントが本当の芸術家だったからであり、自由ということが解っていたから。
崇高な自然の景色を、色彩を、自分の目に映る美の素晴らしさを、命懸けで描き残すこと
が彼のやりたいことの全てだった。だからそうした。自由。
芸術とは、芸術家の個性を通した自由の表現、ゴッホの残した傑作は、その美しさ自由さ
においてその個性において、並外れて強靱なのです。
『 永遠の門 』 は、そう伝えてとても深い説得力がありました。
ゴッホ役のウィレム・デフォー、もう、もう、もう、ゴッホそのもの!!!
私の中のゴッホのイメージを100%満たしてくれ、
さらに100%上乗せ!の素晴らしさ。
つまり合計200%のウィレム・デフォー・ゴッホが、最高の演技で私達の心に揺さぶり
をかけてくる。
美と自由をあきらめるな、と。
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