あれから 5年



『 今日 』

  

今日、わたしはお皿を洗わなかった

ベッドはぐちゃぐちゃ

浸けといたおむつは

だんだんくさくなってきた

きのうこぼした食べかすが

床の上からわたしを見ている

窓ガラスはよごれすぎてアートみたい

雨が降るまでこのままだとおもう



人に見られたら

なんていわれるか

ひどいねえとか、だらしないとか

今日一日、何をしていたの? とか



わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた

わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた

わたしは、この子とかくれんぼした。

わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅっうっと鳴った

わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった

わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた



ほんとにいったい一日何をしていたのかな

たいしたことはしなかったわね、たぶん、それはほんと

でもこう考えれば、いいんじゃない?



今日一日、わたしは、

澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために

すごく大切なことをしていたんだって。



そしてもし、そっちのほうがほんとなら、

わたしはちゃーんとやったわけだ。



伊藤比呂美 訳 / ニュージーランドのお母さんの詩。読み人知らず。





きのう、区民センターに保育所関連の提出書類を出しに行って、受付のカウンター

にあった 「 のこたべ 」 という食を中心にした子育て小冊子を何気なしにいただい

てきました。その中に掲載されていた詩、なんです。

ぐーーーっときましたねえ。

じわりとした潤いと、こころの芯のあたりが震えるような切なさと。

そうだった、そうだった。

あなたは、わたし、ですよ、まるで。

そんな日々が一日、一日とたち。

「 今日 」 を目一杯やって。

もう5年も経ちました。

やれやれ、ごくろうさん、わたし、そして、世の中のすべてのお母さんたち。

そして、小いちゃかったわたしの赤ちゃん、それから、何もかもに、ありがとう。



コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )